雲黒斎ブログで「山登りと川下り」の話を見てきた。この人は、禅僧を思わせるような解脱の教えを、現代の言葉で語っている人で、「悟り」が話の中心になっていた。
でも、この話の提唱者である牧野内大史氏は、主に「引き寄せの法則」をやってた人で、もともと「川下り」というのは、その方面から出てきた話。
つまり、ナポレオン・ヒルの成功哲学、「思考は現実化する」じゃないけど、「イメージの法則を活用して、願望を実現する」というところに、本来の主眼がある。
本人のインタビューから一部をコピペすると(後でリンク貼ります。見つからなくなった・・・)、
>(質問者) 著書「イメージの法則」で1番伝えたかったことは?
>「イメージの法則」は、「川下り思考」について伝えたくて書いた1冊です。僕たちは子どもの頃から「がんばって自分を変えることができれば幸せになれる」と教えられてきました。努力は大切です。けれども、「自分を変えなくてはいけない」と思えば思うほど、人は自分を見失っていきます。
>ビジネスでもダイエットでも、山頂という目標があって、そのために必要な情報や地図、綿密な計画などをすべて揃えた上で、今度は「山登り」という自分を変える努力が必要になります。このような「山登り」の心理には、多かれ少なかれ現在の自分への否定があるんです。
>一方、人生はまったく正反対の視点からも見ることができます。それは「川くだり」です。
>僕たちはすでに山頂にいて、その頂上から水源の豊富な川の流れにのって、自然と可能性の広がる海へと出ていく。これが、川がただ流れていくように、自然と人生がうまくいく秘訣です。そのために必要な力は、自分の外側にあるのではなく、すでに自分の内側に備わっています。目標達成に疲れた現代人に最も必要なのは、自分自身とつながるコミュニケーションです。
この牧野内氏という人は、もともと企業向けの心理コンサルタントとして、成功哲学のような話をしてたんだそうな。
仕事はうまく行ってたが、あるときから急におカネがなくなり、ホームレス同然の生活となった。外で夜を過ごしていたら、ホームレスのおじさんが、「にいちゃん、これ使いな」と段ボールを貸してくれた。それをフトン代わりにして寝ていたら、なんともいえない、深い心の安らぎを感じた。それが、「川下り」の原点だという。
まあ、「ホームレス同然の生活になりました」というのと、本当に「ホームレスになりました」というのは、似て非なる問題ではある。筆者の受けた印象では、おそらく、この人は「ホームレス経験をした」というわけではなく、「ホームレスの人たちと一緒に、段ボールをフトン代わりにして寝てみたことがある」という程度なんじゃなかろうか。まあ、それはそれで構わないんだが・・・。
筆者も、フリーターになったり、失業給付で生活したことはあるけど、ホームレスになったことはない。現代の日本では、よほどのことがない限り、最低限の住む場所くらいは、たいてい確保できるようになっている。公園で段ボールを敷いて寝るのは、確かに気持ちいい。でも、問題は冬の寒さや、雨の季節だろう。取り締まりも厳しい。一年を通してホームレス生活をするのは、大変なことだ。
ホームレスには、いろんな人がいる。英字新聞を拾って読んでいるインテリもいる。大学生のとき、新宿でホームレスの爺さんが、どこで手に入れたのか、日本酒の一升ビンを持っていたことがあった。「坊やも飲むか?」と言われたので、分けてもらったところ、おいしいお酒だった。そこには確かに、分け合い、助け合いの精神が、ごく自然に生きていた・・・。
またまた話が脱線してきたけど、この牧野内氏という人は、願望実現するイメージ法を教える人。愛読者と思われる人のブログを引用すると、
>マッキーこと牧野内さんの本のユニークな点は、
願望達成を『川下り』に例えたことだと思います。
>川下りといえば、流れにのるだけで、
目的地につくイメージですよね。
>普通の願望達成の方法は、まず叶えたい夢や願望があって(目的地)、
それに向かって、一歩一歩努力し、近づいていくイメージでしょうか。
>牧野内さんは、それを『山登り』に例えていますが
願望達成の方法論としては、(マッキーさんのものとは)明らかに真逆です。
>『川下り』というのは、何をするのかというと
イメージを探求することなんです。
>本にも書かれてありますが、イメージを使うというと
「自分の引き寄せたい現実を強くイメージする」こと(「引き寄せの法則」で有名ですよね)を、思い浮かべるのですが、
>マッキーさんのイメージの探求は、特定の目標や願望を願うのではなく、イメージを(ただ)拡げていく方法なんです。 (中略)
>顕在意識、潜在意識という言葉は
聞かれたことがありますよね。
>じつはその奥に、「純粋意識」という意識のもっとも深い部分が、あるそうです。
>イメージを探求するのは、この「純粋意識」とつながるため…
>ユングは、この意識層を「集合的意識」と呼んでいました。
>この意識まで、下りていくことが出来たら、
願い事は、まるで宇宙がサポートしてくれているように、簡単に叶うのだそうです。
>最初に、願い事ありきでイメージングをするのではないのですね。
率直に言って、これは筆者の苦手な分野だ。
苦手な理由は、いくつかある。ひとつには、筆者は、地球の物質環境や、そこでの人生を基本的に嫌っており、「人生は苦しい。地球人類はダメだ。地球はもう嫌だ」とよく言うので、このような思考実現・願望達成の教えの信奉者たちからは、「ネガティブだ」と言って非難されることが多いからだ。
もう一つの理由は、もっと単純で、かつてモーレツな営業会社で営業マンをやっていた頃に、「願望達成のイメージ・トレーニング」とやらを散々やらされたおかげで、それがトラウマになっているからだ(笑)。
「思考は現実化する」という教えは、もちろん正しい。それ自体は、否定できるものではない。
でも、やっぱり、なんか違うと思うんだな。自分や他人の人生、そして何よりも、地球人類の過去の歴史を観察してきた結果、単純な願望実現論は、地球の現実とは大きくズレているように思われる。それにしては、あまりにも地球の現実は過酷であり、人類の大半は悲惨なのだ。
ただし、だからと言って、「思考は現実化する」というのが、間違っているとは思わない。それどころか、それは、まさしく正しい。
それはつまり、程度の問題だということ。地球の物質世界は、思考や願望を反映して、現実化するように出来ている。でも、それはストレートに実現するものではなく、非常に現実化しにくいように出来ている。だが、長期的には、いずれ実現するように出来ている。
でもって、過去の地球に比べて、現在の地球は、だんだん、思ったことが現実化しやすい世界になってきている。というより、思考が現実化するのに、かつては、あまりに長い時間がかかったが、現在では、そのスピードが大幅に加速している。
・・・というのが、筆者の主観。
ますます脱線してきた。話を戻すと、要するに、この「川下りのイメージング法」には、大いに魅力があると言いたい(笑)。
というのも、従来の思考実現・願望達成の教えは、たいていの場合、「もっと強い願望を持て」と教える。
「金持ちになりたい。金持ちになりたい。なりたい。なりたい。なりたいなりたいなりたいなりたなりたなりたなりなりなりななななな・・・・・(以下略)」と、心の中で強く強く、願う。その、強烈に増幅された意識のパワーによって、意志薄弱な世間の一般人が実現できないことを、強引に引き寄せて現実にするのだ。
そういうのが、典型的な「山登り」の生き方だろう。でも、この「川下り」は、そうではない。それはむしろ逆に、もっと自然体になることから始まる。
(続く)