宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

アセンディド・マスター ~ 神の使者

2009年11月07日 | 神の使者
  
「ACIM~奇跡のコース」を学ぶゲイリー・レナードの前に現れた、「神の使者」こと2人の男女。彼らは、アセンディド・マスターと呼ばれる。意味は、「昇天(アセンション)した達人」といったところか。地球での輪廻転生を卒業した、純粋に精神的な存在である。このような人格的存在が実在するのかどうかについては、なんともいえない。それは、現象に対する、解釈の問題といえるだろう。
 
しかし、レナード氏によれば、彼はこの2人との会話をテープに録音したんだそうな。あとで、せっせとテープ起こしして、「神の使者」を書いたらしい。しかも、2人のうちの女性の方には、試しに(?)触ってみたという。たしかな実在感があったということだ。アセンディド・マスターいわく、「これは私が輪廻転生から卒業したときの、地上での最後の姿なのである」。

神の使者は語る。「きみの頭、脳、身体、世界、宇宙全体、それにパラレルワールド、とにかく認識できるものはすべて、心の投影さ」。

つまり、地球だけではなく、宇宙全体、それも、平行宇宙をも含めた全宇宙を「幻影」だと断言する。現在の地球環境を否定するだけなら、両手を挙げて賛成なのだが、宇宙そのものを否定するとは、なんとも大胆だ。

宇宙は、夢だ。すべて、幻だ。「それにしては、妙に手ごたえがあってリアルだな!?」と思うところだが、それは錯覚にすぎない・・・。
 
そもそも、「神の使者」の原題は、“The Disappearance Of Universe”(宇宙の消滅)。こんな幻影の宇宙なんか、消してしまいたい・・・(!)といったところだろう。

宇宙は、われわれが見ている夢だ。本当のわれわれは、どこかでグウグウ眠っている。眠りの中で、自分が創り出した夢の中の「現実」を、ホンモノだと思っているのである。

宇宙そのものが幻覚の産物にすぎないのなら、いったい、何が現実なのか。

それは、神。すべてを包み込む、神の愛だという。

神こそが、唯一のリアリティ。つまり、幻影に包まれた状態から脱却し、神の愛に目覚め、神と一体化すること。これこそが、「神の使者」の目標だ。

でも、それは、地上に生きる人間が独力で達成できるようなことではない。あまりにも、幻影がリアルで、強力だからだ。目を覚まそうにも、あまりにもパワフルな「現実」の前に、大半の人間は為すすべがない。そのまま、ずるずると引きずりこまれていくのがオチだろう。「神の愛」との一体化は、あまりにも遠い。

だが、黙って手をこまねいている神ではなかった。ちゃんと、手は打ってあった。それは、「聖霊」を人間のもとへと遣わすこと。ゲイリー氏のみならず、ひとりひとりの人間に、聖霊は遣わされている・・・。
 
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非・二元論の世界

2009年11月01日 | 神の使者
  
「神の使者」によれば、この宇宙を創造したのは、われわれ人間だ。

ただし、「創造した」というのは正確ではない。そもそも、「創造」などされていないからだ。この世界は、真実在ではなく、幻想だという。つまり、みんなで見ている「夢」。現実ではない。

例えて言えば、ベッドの中で眠っている人間が、夢の中で、蝶(チョウ)になってお花畑で飛んでいるようなものだろう。この場合、蝶というのは、仮の姿にすぎない。お花畑も、夢の中だけの幻想世界。本体は、眠りこけている人間であり、ベッドの中こそが現実だ。
 
それと同じように、われわれは、この宇宙という幻想世界の中で、人間になりきっている。でも、人間というのは、夢の中だけの、仮の姿にすぎない。この世界も、夢の中のお花畑。本当は、どこか他のところで寝ているらしい・・・。
 
「そうか。これは夢だったのか。・・・それにしては、強烈にリアルだな!?」といったところだろう。
 
「神の使者」(と言っても、元はといえば『奇跡のコース』なのだが)の世界観は、「徹底した非・二元論」とされる。

徹底した、非・二元論的な世界観。
 
この、われわれが住む物理的世界は、エゴの作り出した幻想であり、現実ではないとしている。
 
神の子(人類の本当の姿)は、この世界という悪夢を見ており、悪夢の中でバラバラに分離した人格になりきっている。悪夢にうなされる息子(人間)をやさしく目覚めさせるため、神は聖霊を全ての人間に遣わせた。
 
「分離」は、幻想にすぎず、現実に存在しない。「統合」だけが真実だ。つまり、これは「分離と統合」の二元論ではなく、「統合」だけの一元論。


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