ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

動かせないもどかしさ

2007年09月18日 | Weblog
  ☆ 今日は敬老の日
 食事しながら「わたし達は老人なのに、今まで一度も敬老してくれないね」 
わたしは夫に話したら、彼は「自分達が元気だからだよ」と言った。
 確かに、お陰様でわたし達老夫婦はかなり元気だ。夫は持病がありながら
わたしよりずっと体力があるし、実に頼りになる存在だ。
 食事を済ませて少し眠くなった頃に、四階に住む孫娘が来て「グランマ
今日敬老の日だから肩を叩いて上げる」と言って、わたしの肩を一所懸命
叩いてくれたが、なかなか上手だ。
 わたしは生れて初めて孫に肩を叩いてもらった。何だかとてもほのぼの
した気分になった。夫はお祭りの後かたずけで留守だったが、孫達は
「グランパも叩いてあげる」としばらく待ったが、また明日来るねと言って
帰った。こんな気持ちは、長いこと生きているためのご褒美かも知れない
と感じた。 
   ☆不安な気持ち
 足の違和感があってから何日かが過ぎたのに、まだ完全に治らないので
いつものような自分のためのレッスンができなくて、とてももどかしい。
 トレーニングは、わたしの若さを保つための絶対的な条件なのに……。
明日はN大のバスでの見学会、木曜日はR大のウオーキング、そして次の日は
ニュージーランドへ旅立つ。一緒に行くのは夫の友人達だけのグループで
毎日ジョギングや、ウオーキングで鍛えている人ばかりだ。
 そこで4時間のトレッキングをするそうだが、わたしは付いていけるだろうか?
それともはじめからパスした方が良いだろうか、不安な足を抱えて考えてしまう。
 レッスンはいつもアップテンポの曲だが、スローテンポな曲に変え、ゆっくり
レッスンをする。このピアノの曲は、わたしが選曲したポピュラーでプロの
ピアニストに依頼し、弾いてもらって録音した贅沢なものだ。
 その曲はいつも聞き惚れるが、体の声を聴きながら、かばいながらでは
あまり楽しくはない。いつも左足なのに今度は右足だから余計気になる。

 やっぱり右足が気になって途中で止める。「あーあ」とため息をつきながら
わたしはふと思った。これからときどきまたこんな足の症状が出て、だんだん
動けなくなるのだろうかと。するとたまらなく辛くなった。
 今までさまざまな肉体的な変化をコントロールしながら、仕事をこなしたが
もしかしたら、もう限界なのかもしれないと。
 同世代の友人はリューマチで何年も前から車椅子で、親友は糖尿病の
ため、いろいろな症状が出て外出は無理なようだし、友人達の多くは
治療のために薬を飲んでいる。でもわたしはサプリメントだけ。
「でも内臓が元気でも、体が重いどうりに動かないないじゃない」と、自分に
悪態をつきながら、こんなのは我が儘かしらとふと気がついた。
 そしてガンバっている自分に、やっぱり感謝しなければと思う、誰も
いない静かなスタジオで寝転がり、音楽を聞きながら「これからスタジオ
のレッスンはどうすべき」と、改めて考えた昨日だった。
                             能里子

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