☆ 今日は敬老の日
食事しながら「わたし達は老人なのに、今まで一度も敬老してくれないね」
わたしは夫に話したら、彼は「自分達が元気だからだよ」と言った。
確かに、お陰様でわたし達老夫婦はかなり元気だ。夫は持病がありながら
わたしよりずっと体力があるし、実に頼りになる存在だ。
食事を済ませて少し眠くなった頃に、四階に住む孫娘が来て「グランマ
今日敬老の日だから肩を叩いて上げる」と言って、わたしの肩を一所懸命
叩いてくれたが、なかなか上手だ。
わたしは生れて初めて孫に肩を叩いてもらった。何だかとてもほのぼの
した気分になった。夫はお祭りの後かたずけで留守だったが、孫達は
「グランパも叩いてあげる」としばらく待ったが、また明日来るねと言って
帰った。こんな気持ちは、長いこと生きているためのご褒美かも知れない
と感じた。
☆不安な気持ち
足の違和感があってから何日かが過ぎたのに、まだ完全に治らないので
いつものような自分のためのレッスンができなくて、とてももどかしい。
トレーニングは、わたしの若さを保つための絶対的な条件なのに……。
明日はN大のバスでの見学会、木曜日はR大のウオーキング、そして次の日は
ニュージーランドへ旅立つ。一緒に行くのは夫の友人達だけのグループで
毎日ジョギングや、ウオーキングで鍛えている人ばかりだ。
そこで4時間のトレッキングをするそうだが、わたしは付いていけるだろうか?
それともはじめからパスした方が良いだろうか、不安な足を抱えて考えてしまう。
レッスンはいつもアップテンポの曲だが、スローテンポな曲に変え、ゆっくり
レッスンをする。このピアノの曲は、わたしが選曲したポピュラーでプロの
ピアニストに依頼し、弾いてもらって録音した贅沢なものだ。
その曲はいつも聞き惚れるが、体の声を聴きながら、かばいながらでは
あまり楽しくはない。いつも左足なのに今度は右足だから余計気になる。
やっぱり右足が気になって途中で止める。「あーあ」とため息をつきながら
わたしはふと思った。これからときどきまたこんな足の症状が出て、だんだん
動けなくなるのだろうかと。するとたまらなく辛くなった。
今までさまざまな肉体的な変化をコントロールしながら、仕事をこなしたが
もしかしたら、もう限界なのかもしれないと。
同世代の友人はリューマチで何年も前から車椅子で、親友は糖尿病の
ため、いろいろな症状が出て外出は無理なようだし、友人達の多くは
治療のために薬を飲んでいる。でもわたしはサプリメントだけ。
「でも内臓が元気でも、体が重いどうりに動かないないじゃない」と、自分に
悪態をつきながら、こんなのは我が儘かしらとふと気がついた。
そしてガンバっている自分に、やっぱり感謝しなければと思う、誰も
いない静かなスタジオで寝転がり、音楽を聞きながら「これからスタジオ
のレッスンはどうすべき」と、改めて考えた昨日だった。
能里子
食事しながら「わたし達は老人なのに、今まで一度も敬老してくれないね」
わたしは夫に話したら、彼は「自分達が元気だからだよ」と言った。
確かに、お陰様でわたし達老夫婦はかなり元気だ。夫は持病がありながら
わたしよりずっと体力があるし、実に頼りになる存在だ。
食事を済ませて少し眠くなった頃に、四階に住む孫娘が来て「グランマ
今日敬老の日だから肩を叩いて上げる」と言って、わたしの肩を一所懸命
叩いてくれたが、なかなか上手だ。
わたしは生れて初めて孫に肩を叩いてもらった。何だかとてもほのぼの
した気分になった。夫はお祭りの後かたずけで留守だったが、孫達は
「グランパも叩いてあげる」としばらく待ったが、また明日来るねと言って
帰った。こんな気持ちは、長いこと生きているためのご褒美かも知れない
と感じた。
☆不安な気持ち
足の違和感があってから何日かが過ぎたのに、まだ完全に治らないので
いつものような自分のためのレッスンができなくて、とてももどかしい。
トレーニングは、わたしの若さを保つための絶対的な条件なのに……。
明日はN大のバスでの見学会、木曜日はR大のウオーキング、そして次の日は
ニュージーランドへ旅立つ。一緒に行くのは夫の友人達だけのグループで
毎日ジョギングや、ウオーキングで鍛えている人ばかりだ。
そこで4時間のトレッキングをするそうだが、わたしは付いていけるだろうか?
それともはじめからパスした方が良いだろうか、不安な足を抱えて考えてしまう。
レッスンはいつもアップテンポの曲だが、スローテンポな曲に変え、ゆっくり
レッスンをする。このピアノの曲は、わたしが選曲したポピュラーでプロの
ピアニストに依頼し、弾いてもらって録音した贅沢なものだ。
その曲はいつも聞き惚れるが、体の声を聴きながら、かばいながらでは
あまり楽しくはない。いつも左足なのに今度は右足だから余計気になる。
やっぱり右足が気になって途中で止める。「あーあ」とため息をつきながら
わたしはふと思った。これからときどきまたこんな足の症状が出て、だんだん
動けなくなるのだろうかと。するとたまらなく辛くなった。
今までさまざまな肉体的な変化をコントロールしながら、仕事をこなしたが
もしかしたら、もう限界なのかもしれないと。
同世代の友人はリューマチで何年も前から車椅子で、親友は糖尿病の
ため、いろいろな症状が出て外出は無理なようだし、友人達の多くは
治療のために薬を飲んでいる。でもわたしはサプリメントだけ。
「でも内臓が元気でも、体が重いどうりに動かないないじゃない」と、自分に
悪態をつきながら、こんなのは我が儘かしらとふと気がついた。
そしてガンバっている自分に、やっぱり感謝しなければと思う、誰も
いない静かなスタジオで寝転がり、音楽を聞きながら「これからスタジオ
のレッスンはどうすべき」と、改めて考えた昨日だった。
能里子