ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

しばらくお休みさせていただきます

2007年09月19日 | 健康

 いつも読んでくださって有難うございます。皆様からときどき「いろいろな
内容で、毎日楽しみにしています」というメールをいただきますが、それらが
とても励みになり、やはりさぼらずに書こうと、またヤル気になるお調子者
のわたしです。でも明日からニュージーランドへ行きますので、11日間
お休みをさせていただきます。夫の友人ばかり11人のツアーですので、きっと
楽しい旅になることでしょう。わたしは以前夫と行きましたが、ぜひもう一度
行きたいと思いました。自然がイッパイのニュージーランドで、またエネルギー
をチャージして、多分今よりきっとエネルギッシュになることでしょう。
 毎回海外から帰ると、凄くスゴーく元気になるわたしですから。
では行ってまいります。皆様もお元気で。
                          能里子

献血の思い出

2007年09月19日 | Weblog
☆ 体重を増やしてまで
 パスポートを出したとき、昔の献血手帳が出てきた。
わたしは確か百五・六十回と献血をしたと記憶していたが、正確には
百六十六回だった。7・4・21が最終回だったが、最後が生まれて初めて
400CCの生鮮血だった。わたしが献血を続けていたのは、自分の健康を
感謝し、その健康な血液が人様のお役に立てれば嬉しいからだった。
 最後に有楽町の献血ルームへ行ったら、「献血のシステムが変わったから」
と改めて書類に書かされたが、わたしはたった一度だけ、娘を帝王切開で
出産したときに輸血したことがあった。するとそれが血清肝炎の原因の
一つになる原因になるそうで、一度でも輸血した人はもう献血ができない
と言われた。それなら仕方がないが、でも猛烈に腹が立った。
 なぜならわたしは献血登録をしていたので定期的にしていたし、献血センター
から緊急依頼があると、万障くり合わせて日赤へ出向き、毎回協力してきたからだ。今までわたしが善意でしていた献血は一体何だったのかと思い、三十何年前
たった一度輸血しただけで、何の予告もなく、突然献血ができなくなるなんて……だったら、善意で献血協力している人達に、書面で制度が変わったことを
報告すべきではなかろうか。それに三十年間以上わたしの体では、多分くり返し
何度も血液が再生されたかわからないのに……。
 交通会館の献血ルームでその理不尽さに大変腹がたったわたしは、無論それ以来一度も献血をしていない。でももしそのまま続けていたら、一体何回の記録になっていたことだろう。
   ☆ 読売新聞に紹介された
 平成2年4月16日読売新聞の「時間デザイン」の取材記事で、「体重を
増やしてまで献血をしている」と、スタジオのレッスン風景とともに紹介
された。あの頃は体重が50キロなければ献血ができなかったので、今では
信じられないが、わたしは体重を増やしてまで、定期的に献血していた。
 その間何度も表彰されたが、百六十六回も献血できたのは、日頃から
人一倍健康管理に気をつけていたからだろう。
 その健康を感謝して、誰かの役に立てればと思う一心で、先端恐怖症で
まだ生まれてから一度も、注射を見たことがないわたしが(今でもテレビの
画面でも見られない)痛いのも我慢して、いつも目を固くつぶって、よく
やったと我ながら感心した。
 何冊かの献血手帳をしげしげと眺めながら、「あの頃まだわたしは
若かったなあ」と、懐かしい思い出に浸った。
     能里子                                                             

人気ブログランキングに参加しました

人気ブログランキングへ