アキバ系ギャンブラーの賭け

ギャンブルで儲けてアニメに貢ぐという崇高(?)な目的のため、ありとあらゆるギャンブルに手を出すギャンブラーの日記

(その他)漫画家の自殺の件

2024-02-04 13:05:55 | その他
 12月まで放送されていたドラマの原作者が自殺した件について。

 原作者がドラマの内容について、脚本家と揉めているニュースはヤフーとかでもたびたび流れていたので知っていましたが、興味がないので内容までは読んでいませんでした。しかし、その漫画家の先生が自殺してしまい、このニュースは大きく取り上げられることになり、ニュースやワイドショーでも詳細が紹介されました。
 私が危惧するのは、多くの人が、原作者は善、脚本家、出版社、テレビ局が悪と決めつけて容赦なく叩き続けていることです。「脚本家を責めるのはやめよう」と訴えた人まで袋叩きにしています。
 原作者の意図しない方向に映像化されてしまう話は、アニメ業界でもよくあることで、昔あるライトノベル作家が主人公のアニメでは、主人公の仲間の作品がアニメ化されて喜んでいたのに、できたアニメが散々なデキだったという話が描かれたこともあります。

 まず、自殺の原因について。
 まるで、亡くなった原作者が、今回の件で脚本家や出版社に抗議して自殺したと決めつけている人が多いように思いますが、はたしてそうでしょうか。今回の原作者は、自分のツイートを全て消したうえで、その後「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」とツイートしています。遺書の有無や内容が公表されているわけではないので、これが正解と決めつけるつもりはないですが、騒ぎが想像以上に大きくなったことに対して謝罪していて、その自責の念に堪えかねたようにも見えます。
 更に、脚本家が原作者を先に攻撃したので、脚本家が悪いと決めつけている人が多いですが、当然理由があったにせよ、脚本家は原作者のクレームにより脚本から降ろされたのは事実であり、これは明確になっているわけですから、(正当性は別としても)脚本家が不満を感じるのも当然だと思います。脚本家の方が悪いとは決めつけられないと思います。脚本家の方も言いたいことはあるでしょうが、もう原作者が亡くなっているので、何も言えなくなったのかもしれません。

 今回の件をきっかけに多くの漫画原作者が声を上げていますが、人の死を理由にして今までのうっぷん晴らしをしているようにも見えます。不満があるなら、こんな事件が無くても、例えばベテランで売れっ子の漫画家先生が音頭を取って、出版社や映像制作会社と協議、交渉する場を設けるべきではなかったのでしょうか。
 今回の事件を受けてあるベテラン有名漫画家が、自分の作品に対し約束が守られていないと抗議したことがあると言ったらしいですが、その約束の内容が非常に抽象的でした(コメント用に簡略化して書いただけかもしれませんが)。例えば「キャラクターの名前を変えてはいけない」みたいな、具体的な約束なら守りやすいですが、「作品に対する愛情を持って作るように」みたいな約束では、どれだけ製作者側が愛情を持って作ったつもりでも、原作者が「これは愛情があるとは言えない」と言ってしまったらおしまいです。面倒でも具体的な内容を列挙して、更にそれを書面にして混乱が起きないようにしてほしいと思います。この漫画家が言っていた「今すぐアニメの放送を止めろ。止めないならこっちが連載を止める」みたいな話は、私は横暴だと思います。結果的には良くなったらしいので、製作者側にも落ち度があったのかもしれませんが。
 私も、原作者の立場がもっと強くなるべきだとは思いますが、一方で原作者を神様扱いするのもどうかと思います。例えば新人の無名な漫画家を出版社の編集者が見出して、一緒にネームの打ち合わせを真剣に行い、必要なネタや資料を探し、結果として大ヒットして、さあドラマ化、映画化で会社が儲けられると思ったら、原作者が「映像化は許さない」って言ったら、編集者はさすがにカチンと来るでしょう。漫画家は、自分の作品を全て自分の思い通りにしたいなら自費出版でやればいいだけで、それを出版社に頼った以上は、ある程度出版社の要望にも応えるのは、人として当然だと思います。今回の件はどうか分かりませんが、もし原作者が映像化に関して無理難題をふっかけ、それにより製作に重大な支障をきたせば、映像制作会社や、依頼された脚本家も一言文句を言いたくなってもおかしくはないでしょう。或いは、大ヒットした映画スラムダンクのように、原作者が直接メガホンを取る方法もあると思います。

 「映像化に口出しをしたくても、もし拒否したら連載を止められてしまうから言えない」という意見がありました。これについても、こんな脅しに従わざるを得ない立場なら、従うしかないと思います。つまり、自分は所詮その程度の漫画家ということです。例えば、もし名探偵コナンの原作者がこんなことを言われたら、普通に「どうぞお好きなように」と言われるでしょう。出版社から、絶対に手放したくない、そのためには(原作者からの)多少の無理は聞くしかないと思われるような漫画家になってほしいと思います。

 とにかく、原作者の自殺の原因がハッキリしないにも関わらず、脚本家を悪と決めつけ、脚本家が死ぬまで許さないと言わんばかりのもう批判に対し、私は恐怖を覚えました。少なくとも部外者はもう少し冷静になってはどうかと思います。

(追記)
2月10日に小学館の編集者がメッセージを出しました。これをきっかけに少しは報道が減っていくのではないかと思います。

ある芸人が「原作者が言えば無条件で映像化を止めるくらいの権限を与えないと同じようなことが起こる」と言いました。芸人なので、ギャグで言ったのだと信じたいです。例えば映画キングダムとかは10億円の製作費がかかったらしいですが、これを完成した後(封切前)に原作者がちょっと気に入らないところがあって、一声でパーにすることもできるということでしょうか。あり得ない話だと思います。むしろこれが現実になったら、原作がある作品の映像化が激減すると思います。原作者の気分次第で大きな損失となるリスクがある以上、まともな企業はとてもお金を出せません。
原作者の中には、極端な話「金儲けのために必死で漫画を描いてきた。だから映像化は自分が儲かればいい。全部勝手にやってくれればいい」と思う人もいると思います。これは全くおかしい話ではありません。パチンコになるかどうかも、同じような話だと思います。自分が儲かればいいから好きに使ってくれと思う人もいれば、パチンコなんかに自分が大切なキャラクターを使ってほしくないと思う人もいるでしょう。

以前、カイジの映画について、原作を読んでいる私は酷評しました。例えば限定ジャンケン、原作では4時間の制限時間の中で、カイジの様々な「気づき」により逆境を乗り越えようとするのが面白いのに、映画では制限時間が30分にされています。Eカードも、原作の12戦に対し映画は僅か3戦です。私の中では、あれは「カイジ」ではありません。しかし、結果的には映画はヒットして続編も作られたし、それによって「カイジ」が有名になり、原作者も儲かったのなら、私がとやかく言うことはありません。今回の件で誰かが言っていますが「あれは二次創作」と割り切ってしまえばいいと思います。
先日、推しの子の実写化が発表されました。ネット記事のコメントでは批判の嵐でしたが、批判している人は何に対して怒っているのでしょうか。私はそもそも実写化に興味がないので、どんな好きなアニメだろうと、実写化したければどうぞご勝手にとしか思いません。

あまり原作者の主張ばかり大きく通そうとすれば、結果的に原作者の首を絞めることになると思います。お互いがウィンウィンになる解決策を見つけてほしいと思いますが、しっかり意思疎通をするくらいしか解決策はないようにも思います。

最新の画像もっと見る