アキバ系ギャンブラーの賭け

ギャンブルで儲けてアニメに貢ぐという崇高(?)な目的のため、ありとあらゆるギャンブルに手を出すギャンブラーの日記

(パチンコ)私のパチンコ・パチスロ史

2024-03-18 00:29:29 | パチンコ
 私のパチンコ史について記しておきたいと思います。

小学生のころ。当時は子供の入場どころか、親の隣で子供が打つくらいならそれほどうるさく言われなかった時代。初めてパチンコを打った記憶がある。手打ち式で、上皿は既にあったことは何となく覚えている。
1992年ごろ。パチンコ店で初めての「デジタルが揃って大当たり」を経験する。大一のムーンライトという台。15絵柄中、奇数と「大一」絵柄が揃ったら確変突入(見た目通り40%)だが、私が揃えた絵柄は「V」だった。当時はラッキーナンバー制で、確変絵柄以外は即交換しなければいけなかったが、分からなかったのでそのまま打っていたら、隣のおじさんに交換するよう促された。
一度大当たりを経験して、すっかりパチンコにハマる。
1993年ごろ。パチンコ沼にどっぷりハマる。1日を通して打つことは全くなく、ちょっと開いた時間に行って、ちょっと打って、出ても出なくてもさっさと帰る感じ。これだと、1日で何万円も負けることはないが、勝つのも難しいのでじわじわとお金が減っていく。それでも、打つのが楽しくて、大当たりの興奮を味わいたいために何度も行ってしまうという、絵に描いたようなギャンブル中毒になっていた。アルバイトで月10万円近く稼いでいたが、それでは全く足りずに、親に追加の小遣いをせびっていた。

1994年ごろ。運命の台と出会うことになる。その名も「綱取物語」。パチンコ必勝ガイドにロム解析結果が掲載され、「夜には大半の台が地獄モードになるので、朝一が狙い目」という感じで書かれていた。このシステムを理解して、朝一狙いが始まる。結果が付いてくると、確率の計算は得意だったので、期待値から大当たり後何ゲームまで打っても良いかを自分で計算して、更に効率良く稼ぐことができた。この台のおかげで、「パチンコは工夫すれば勝てる」ことを理解する。
1995年ごろ。バイトの収入は93年ごろの半分以下だったが、パチンコで勝てるようになったおかげで、全くお金に困らなくなる。

この後、20年くらいは、年間収支で赤字になることはありませんでした。90年代後半くらいになると、2chとかヤフー掲示板とかができて、パチンコの話題で交流できましたが、当時は勝つための秘訣などはぜったい書きませんでした。しかし、ネット全盛の今は勝てる方法は簡単に検索できるし、そのような状況だからこそ、勝てなくなってしまったと言えるので、ここで私がどのように勝ってきたか書き綴っておきます。

全ての基本は、「隣の客より上手く立ち回る」ことです。公営ギャンブルもそうですが、敵は胴元ではなく他の客です。パイ(客に返すお金)が決まっている以上、それを他の客より多く奪えないと勝てません。

1.長時間打つこと
昔はどこの店も40個交換で、消費税導入後は43個交換になったことがありました。1万円2500発玉を借りた場合、取り返すためには(40個交換の場合)4000個出さないといけません。一方、持ち玉を使えばその間は等価交換です。2500発飲まれても、2500発出せばいいのです。これだけ格差があると、店は12~13割(10のインに対してアウトを12~13)くらいに調整しても問題なく(店が)勝てたのです。ということは、持ち球遊戯状態になれば、打てば打つほど期待値的には増えていくということです。
また、当時はラッキーナンバー制の店が多く、ラッキーナンバーに指定されている番号で当たらなければ強制的に交換させられました。一方、ラッキータイムを設けている店が多く、例えば開店から1時間以内に大当たりを引けば無制限(閉店までその台で持ち玉遊戯可能)になる店があったので、そのような店に開店から通い、無制限になったら持ち玉遊戯の間は閉店近くまで打ち続けるだけで、普通に勝てることが多かったです。
その後は徐々に換金率が上がっていきましたが、無制限制(絵柄とか関係なく出玉をそのまま打って良い)でも30個程度までは何とかなりました。しかし、一物一価の件で、例えばパチンコは30玉交換、パチスロは等価・・・みたいなパチンコとパチスロで換金率を変えることが実質禁止となり、パチンコの等価交換の店が増えたことで、この作戦は通用しなくなりました。県によっては等価ができないところもありますが、それでも30個を超える換金率でやっている店はほとんどないでしょう。
昔も今も、いつ止めるべきかを本気で考えている人がいますが、少なくとも当時は全く気にしませんでした(途中で持ち玉が尽きた時と21時を過ぎた後くらい)。結果的に減ることはありますが、綱取物語のように地獄モードとかある台でない限り、早々に止める理由がありません。

2.止め打ち
止め打ちにも色々なタイプがあり、ゲージや役物の性質上、止め打ちした方がよく回るというパターンもありますが、何より効果があったのが確変(時短)中の止め打ちです。
昔(90年代)の台でCR機以前の現金機の多くはヘソが7個戻しでしたが、そのような台で電チューを搭載しているものは、電チューの賞球も7個でした。更に、電チューの開放パターンも単純なものが多く、その場合は狙い打ちも簡単でした。その結果、驚くほど玉が増えるものもあり、更に「次まで時短」みたいな機種の場合は、ハマると1箱くらい玉が増えるものもありました。私の場合、ピーチ牌(麻雀物語の続編でCR機)とマジカルチェイサーという台では、時短中にかなり増やすことができました。
加えて大事なのは、他の客との差です。当時は、止め打ちなんてする人はほとんどいませんでした。打ちっぱなしで玉を減らす人の方が多かったくらいですから、店もスルーチャッカーを締めることはありませんでした。私も正直、あまり重要な要素とまでは考えていませんでしたが、今思えば戦国乙女(初代)等はこの止め打ちが本当に大きかったと思います。

3.サービス台
今は禁止ですが、昔はサービス台、サービスコーナーのような札を掲げている店がありました。ガセイベントもあったと思いますが、店によっては本気でよく回るケースもありました。特に某チェーンで実施していた「会員専用台(店の無料会員になるだけで打てるようになる)」は、素人目で見ても釘が馬鹿開けで、朝一に行ってその台を打つだけでも堅実に勝てました。どちらにしてもパチンコの場合は、回るかどうかを確認するだけです。今のイベント禁止は全く客のためになっておらず、さっさと解禁してほしいです。

4.出玉共有
40個交換のころは、ほとんどの店で出玉の共有は禁止でしたが、33個くらいになると、出玉共有可能の店が多くなってきましたが、これは打ち手に取って非常に有利でした。仲間のうちの誰かが当たれば現金投資が止まり、持ち玉遊戯になれば実質等価交換なので、例えば2人で打てば最長28時間持ち玉で打てるのとほぼ同じ意味です。加えてリスクをヘッジできるので、ギャンブル性の高い台を打つときは重宝しました。

5.貯玉再プレイ
同様に、実質等価で打てるサービスが貯玉再プレイです。これも手数料を取るタイプでない限りは、2500発使っても2500発取り返せばチャラなので、実質的に等価交換でプレイしているのと一緒です。貯玉が使える数は、1日で概ね2500発程度となっていて、これを超えると現金で打つしかありませんでしたが、同じように貯玉をしている人と2人で行けば5000発使えるということになります。私は10軒くらいの店で貯玉をストックし、2500発使い切ったら次の店へ行くこともありました。
特に遊パチについては貯玉内で当たることが多く、その効果は抜群でした。今だから言いますが、私は戦国乙女(初代、遊パチ)では貯玉と止め打ちを利用してトータル100万円以上勝ちました。

ここからはパチスロ
1.モーニング
昔は多くの店で、当たり前のようにモーニングを仕込んでいました。当時は、ジャグラーのような完全告知の台はほとんどなかったので、店に入ったらメダルを借りてカニ歩きです。ニューパルサーは、1枚掛けで左リール中段に7かカエルが止まればビッグ確定だったので、簡単に入っている台を見つけることができました。ただ、すぐには換金できず、9時オープンなら10時から交換可能という店が多かったので、10時までは普通に打っていました。今思えば、1ゲーム回してはフラフラして時間をつぶす作戦も考えられますが、当時は普通に打っていたと思います。

2.高設定狙い
4号機の高設定狙いは、基本はボーナス確率を見ることです。そして、昔はノーマルAタイプ(ボーナス確率が全て)の台で、どう見ても高設定としか思えないほど出ている台が普通に放置されていました。そのような台を拾って打つだけでも普通に成績を上げることができました。

3.小役狙い
4号機の攻略法と言えばリプレイ外しでしたが、それと同じ、いやそれ以上に重要な攻略法が小役ねらいでした。必勝ガイドはDDT打法、攻略マガジンはKKK打法と呼んでいましたが、これの重要性を知ることになったのが初代クランキーコンドルです。それ以降も、小役狙いの効果がない台はほとんど存在せず、中には通常の小役やリプレイまでもが適当打ちだと外れてしまうものもあり、こういう台は効果が高く、他人と差を付けることができました。初代花火が有名ですが、私はハロウィン(マジカルハロウィンではない)というCT機でかなりおいしい思いができました。リプレイ外しは、ビタ外しを強いられるもの以外は他人と差がつかない(私はビタ押しがそれほど上手くない)ものが多かったので、自分にとってはそこまで重要ではありませんでした。

4.ハイエナ
4号機のAT機、ストック機の一部機種でとにかく有効だったのがハイエナです。例えばサンダーV2という台。1200GハマってスイカかBIGを引くと、ATに入るのですが、この台がおいしかったのはボーナス間ハマリではなくBIG間ハマリだったこと。そのため、回転数表示は200Gくらいでも、実際は800Gハマリだったりして、履歴を見ると初めて行った店でもだいたいどれくらいハマっているか分かるので、お店をハシゴして稼ぎました。また、スーパーリノという台は、雑誌の情報を元にある場所を狙って打つと停止出目に応じてストックの有無が概ねわかることに気づき、これもハシゴして相当稼げました。
もし、今サンダーV2とかと全く同じスペックの台があったとしても、同じようにおいしい思いはできません。他の攻略も含め、ネットで情報がすぐ広まるからです。逆に、例えばリゼロの最初のパチスロがこの時代にあれば、ボーナス後250Gくらいの台がゴロゴロ落ちていたでしょう。

まとめ
何かと悪く言われがちなパチンコ業界ですが、特にパチンコ屋とコネがあるわけでもない私が普通の攻略法で普通に勝ってきたことを考えると、この業界は世間が思っているよりずっと真面目にやっていると思います。今の自分があるのはパチンコのおかげと言っても過言ではなく、私は心の底から感謝しています。業界の厳しい状況は続いていますが、今のように勝てなくなっても応援は続けたいと思います。

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