【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

長辻象平『元禄いわし侍』講談社、2005年

2013-02-06 20:47:24 | 歴史

            

  時は元禄年間、綱吉の治世。具体的には、江戸城松の廊下の刃傷事件があった翌年という設定である。世の中にどこか異変の兆しがあった。生類憐みの令に始まって、元禄8年には四谷村と中野村に幕府の御用犬屋敷が造営された。また、この時代には、江戸には浪人があふれていた。各藩大名が些細な理由で改易、減封を被った結果である。


  この小説の主人公である笹森平九郎はそのような浪人のひとりであり、彼はかつて津軽藩家中だったが、藩財政の失政で家臣の召し放ちに応じたのだった。その半九郎は深川佐賀町の干鰯問屋武蔵屋の用心棒として雇われていた。武蔵屋の主は家付き娘の以登。婿をとっていたが、わけあっていま夫はいない。深川は鰯揚場で、武蔵屋はおりからの鰯の豊漁で潤っていた。景気がよく、みいいりがいいだけ、揺すり、タカリ、夜盗には好餌と映るはずで、そのために雇われたのが半九郎だった。

   話はこの武蔵屋を中心に、出自不明の吉田沢右衛門(後に吉良邸討ち入りの赤穂浪士のひとり)、弘前藩の忍びで討ち入りの動向を伺いながらこれを牽制する手廻り組に謹士する浪岡蔵人、怪しげな蛇使いの女おみのがいきいきと描かれる。武蔵屋を狙う阿漕な徒党、そして武蔵屋と取引のある九十九里浜の漁師たちとの駆け引き、その地に介入する上方資本との確執など、複雑多様な人間関係とそれにまつわる事件が、興味深く展開され、ぐいぐいと読者の心をひっぱていく。

   筋立てもそうであるが、登場する人間の心の機微と葛藤が、それぞれの背後にある過去と現在の諸相と重ねて、無理なく描かれているところが魅力である。イワシ漁の網の開発のくだりも、いろいろな苦労話が挿入され、興味深い。

   最後はどうなるのか、末尾の文章が心地よい。「手にした料紙を宙に舞わすと半九郎は抜き放った脇差を一閃させた。新春の陽光に丁子の華やかな刃文を浮かべた備中長船の白刃が眩しくきらめいた」。この文章の鮮やかさは、この小説を最後まで読み終えたものだけが味わうことのできる幸福である。


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