『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞して以降、小説家としてはもとより、広範な領域で仕事をした松本清張の人と文学とを、セゾン文化財団理事長であり、作家でもある辻井喬さんが論じています。
推理小説作家、ノンフィクション作家、歴史作家、旅の作家、古代史研究家、短編小説の名手。著者はこれらの清張文学の位置づけ方がいずれも隔靴掻痒の感があるとして、最終的には清張を大衆性を備えたもう一人の「国民作家」ととらえなおし、清張が従来の純文学に欠落した部分を補い日本文学に新たな可能性を与えたことを高く評価しています。
何が彼をそうさせたのかと言えば、それは、著者によれば清張が「集合的無意識」から自由であったこと、「社会派」になろうとしたのではなく、作品そのものが社会を映し出す質をもっていたこと、批判的精神をもった民衆文学であったこと、虐げられたものの眼、差別されるものの眼を大切にしていたことなど、いくつかの要因をあげています。その対極で、日本の近現代文学が歴史社会全体を表現する言葉と文体をもっていなかったことを指摘しています。
国民的作家として司馬遼太郎と並び称されながら、清張が文壇では孤独であったこと、清張を拒否した三島由紀夫問題にも触れています。清張文学の位置を見極めようとしているのが、本書のテーマであることがよくわかります。
著者は好きな作品を解説しています。それらは『火の記憶』『張り込み』『点と線』だそうです。
最後に、清張の政治活動として、1975年の共創協定を反ファシズムの視点からとりもった経緯(その後の協定の空文化の顛末も含めて)が紹介されています。(著者による詳細な註釈付<年譜>有り)
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