【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

戸坂潤と私ー常とはなる愛と形見と

2007-09-23 00:45:48 | 評論/評伝/自伝
光成秀子『戸坂潤と私ー常とはなる愛と形見と』晩声社、1977年

 東京神田区に私生児として生まれ、観念論的空間論(新カント派)から出発しながら戦闘的唯物論、マルクス主義者となって論陣をはり(『科学論』『日本イデオロギー論』など)、ファッショ的軍国主義下の弾圧と闘い、思想犯として逮捕、投獄され、敗戦直前に長野刑務所で獄死した戸坂潤(1900-1945)。

 本書は著者による、戸坂潤との出会い、生活、別れの私記。というのも戸坂潤は最初の妻と死別、再婚したが、本書の著者は愛人であり、子もいた。戸坂と著者は、いわば自由恋愛の関係にあった。

 著者は戸坂の仕事を、唯物論研究会の活動などを通じて理解し、また性関係で貪欲であった。そうしたことが赤裸々に、激しく、綿々と書き込まれている(文章はくせがあって読みにくい)。

 戸坂は母(おふくろさん)の秘蔵子であったので、著者にしてみれば正式の妻とおふくろさんに対し、時には嫉妬が顔をのぞかせ、時には精神をさいなまれ、苦しんだが、戸坂と一緒に居るときは彼を溺愛し、離さなかった。そういうことが明け透けに記述されている。

 いろいろな人が出てくる。田中清玄、西田幾多郎、田辺元、小林多喜二、古在由重、等々。

 また、2・26事件のその日の様子、終戦間際の米軍機空襲など、時代を見る庶民の眼がある。

 著者(1907-)は広島県に生まれ、軍人と結婚したが、夫の女遊びが原因で離婚。20歳代には喫茶店の女給として働きながら(ここで戸坂と出会う)、救援会活動に参加、以後、唯物論研究会に参加する一方、出版社、新聞社など職を転々とし、戸坂との間に生まれた女の子(明美)を育て、戦後、共産党に入党、船橋市の市会議員をつとめた。

 この本の執筆の動機は、本多顕彰氏が『指導者ーこの人々を見よー』(光文社、1955年)で、科学者としての戸坂潤を評価しながら「その私生活では批判の余地がある」と書いたのを、1972年になって偶然に著者の目に入り、私生活の本当のことを書かなければならないと思い立ったことのようである。

 たぶん、この本が出版された頃に、センセーショナルな話題になり、購入したまま、読むことなく今日まできたが、読みとおしてよかった。

おしまい。

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