【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

速水御舟(『別冊太陽・日本の心161』)、平凡社、2009年

2013-05-21 22:12:42 | 美術(絵画)/写真

        

 日本画の画家、速水御舟(1895-1935)はその作風が多彩で、いろいろな可能性を生涯、追求し
た。この冊子には、御舟の多くの作品が収められているが、一瞥しただけでもそれがわかる。
 
 「京の舞妓」は細密画の極致、「名樹散椿」(重要文化財)、「翠苔緑芝」には琳派の影響が色濃い。「炎舞」(重要文化財)は、装飾、写実、象徴のそれぞれの要素が見事に調和している。

  画集としても素晴らしいが、執筆陣が豊かで、御舟の多面性が浮き彫りにされている。山種美術館館長の山崎妙子は、御舟の画家としての人生を要領よくまとめている(「画塾からの出発」「細密描写をつきつめる」「古典を昇華する」「同時代の表現者として」)。このなかで山崎は伝統的絵画にまなびながら、次第に南画的手法を試み、さらに青の時代とよばれる群青色を多用した画風を経て、細密画へと進んでいくプロセスを紹介している。また「速水御舟と岸田劉生」では、ふたりの画風の関連性を読み解いている。

  須田悦弘は談話としてであるが、「御舟のリアリティ」でその不思議な「リアル」について問題提起している。御舟が日本画に道に進む切っ掛けをつくったのは歴史画家・松本風湖であり、大きな影響を与えたのは新日本画の創造に挺身した今村紫紅だった。

  その後、親友だった吉田幸三郎の妹、弥(いと)との結婚、京都での修行、ローマ美術展への参加と約1年に及ぶ欧州旅行。この海外での美術作品への接触が、御舟に計り知れない影響を与えた。こうした御舟の人生行路に関しては、真田邦子の「<評伝>美でもなく、醜でもなく」が詳しい。

  気鋭の女流日本画家松井冬子が美術史家の山本裕二と「いま、御舟の絵に向きあう」として、対談している。山種美術館に赴いて、名作「名樹散椿」「炎舞」「黒牡丹 牡丹花」「緋桃図 桃花」「春昼」などを前にして、作品の質を論じあっている。

  本冊子の終わりのほうで、次女の吉田和子が「<特別寄稿>父と過ごした日々」を寄せている。

  御舟の全貌がわかる逸品。


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