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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

立憲主義考⑦ 9条2項は生きている “新9条論”どうみる

2016-01-18 11:30:07 | 平和・憲法・歴史問題について
立憲主義考⑦ 9条2項は生きている “新9条論”どうみる

一部識者やメディアから、自衛隊を憲法に位置づけ、集団的自衛権行使を禁じる明文規定を盛り込むなどの「憲法改定」が主張されています。「新9条論」と呼ばれています。戦争法が強行されたもとで立憲主義を「回復」し、「自衛隊の活動の野放図な拡大を防ぐ」という意図だとされています。

■運動の足場
この主張の色合いはさまざまですが、ポイントは憲法9条2項の“戦力不保持”規定の削除・改定にあります。その前提には、戦争法で9条2項は“死文化・空洞化”したという認識があります。
「戦争法反対」「憲法守れ」と掲げた安倍政権の暴走に対する空前のたたかいは、9条が主権者国民の中に深く息づいていることを示しました。
「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(昨年12月20日発足)の中野晃一上智大学教授(政治学)が、古い世代と、立ち上がった若い世代のたたかいを「敷布団と掛け布団」と例えたように、連綿と続く国民運動の力はいま、大きく広がっています。「だれの子どももころさせない」というママたちの叫びは、戦争全面否定の9条2項の精神を体現しています。やむことのない国民的批判が、戦争法発動の動きを制限しています。“2項削除論”はその足場を失わせることになります。
9条2項は、「個人の尊厳」を守るために国家の武装を否定して立憲主義を強化・発展させたものです(連載第3回、11日付)。9条2項を削除すれば、軍事的価値を「回復」して、自由の制約と結びつきます。2項を取り払うことで条文と実態の矛盾を「解消」すれば“立憲主義が「回復」する”というのは、あまりに立憲主義を薄めるものではないでしょうか。
戦争法は日米新ガイドライン(軍事協力の指針)の実行法であり、日米同盟の最新の到達点です(連載第5回、14日付)。自衛隊は、「専守防衛」に徹するといっても、日米同盟のもとで在日米軍が存在することによって、侵略へ協力することになり、諸外国からは信用されません(連載第6回、15日付)。立憲主義回復に向け、日米同盟の問題に正面から向き合うことが不可欠です。



「新9条論」を扱う新聞記事と書籍

■根本的対案
9条は「空文」となったのか―。
9条2項は自衛隊の存在によって「侵害」されると同時に、自衛隊を大きく制限してきました。“戦力不保持”規定があるからこそ、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権行使をはじめ海外での武力行使を禁じられたのです。
2項がある以上、政府は戦争法についても「従来の憲法解釈の範囲内」という制約と説明責任を負い続けます。逆に2項を削除してしまえば、自衛隊は軍隊となります。一定の明文の制約を設けても、日米同盟のもと軍隊として海外での諸活動が拡大する危険があります。
テロの拡大、新たな核開発の動き、実力による現状変更など、多くの不安定要因が世界に存在します。それらが武力によって決して解決できないこと、武力を使えば暴力の連鎖を引き起こすことが人類史的経験で明らかになっています。
「殺し合いをどうやってやめさせるか」が最大の課題となっています。いまこそ日本国憲法9条2項=武力によらない平和が、根本的対案として光を放つときではないでしょうか。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月16日付掲載


“戦力不保持”規定があるからこそ、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権行使をはじめ海外での武力行使を禁じられてきた。
戦争法で既成事実化したといって削除してしまっては、元も子もない。
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立憲主義考⑥ 憲法壊す詭弁の論理~砂川事件 最高裁判決

2016-01-17 12:44:23 | 平和・憲法・歴史問題について
立憲主義考⑥ 憲法壊す詭弁の論理~砂川事件 最高裁判決

安倍晋三首相が集団的自衛権行使容認の「根拠」として持ち出し、戦争法強行後も繰り返しているのが、1959年12月16日の最高裁砂川事件判決です。同事件で問われたのは、旧日米安保条約とその下での在日米軍が憲法9条に違反するかどうかでした。集団的自衛権行使の可否など問題になっていませんでした。
この最高裁判決に立憲主義破壊の根本問題が潜んでいました。

■違憲の根源
判決は述べます―。憲法9条2項の戦力不保持規定による「防衛力の不足を補う」ため、国連の措置だけでなく「国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができる」とし、「他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない」。そのうえで「同条項が保持を禁じた戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使しうる戦力をいう」とし、外国軍隊の駐留は憲法違反にならないというのです。
「防衛力の不足を補う」ため日本政府の「要請と同意」に基づき米軍が駐留しても、日本政府のコントロールが及ばないから9条2項に反しない―。「憲法が禁じた戦力」でないから、いくらでも巨大な外国軍を駐留させられる―。全く形式的な詭弁(きべん)です。
そもそも米軍の駐留目的は、「日本防衛」を超える「極東の平和と安全」です。その活動に基地を提供することは、憲法の平和主義に明らかに矛盾します。
米軍は60年代に「極東」外のベトナム侵略で日本を出撃拠点とし、21世紀には沖縄の基地を主な拠点にアフガニスタン、イラクを侵攻しました。他国の侵略への基地提供は、国際法上も侵略の一形態と理解されています(「侵略の定義」国連総会決議3314)。自衛隊は「専守防衛」といわれますが、米軍駐留を前提にすれば通りません。
「外国軍は憲法の埒外(らちがい)」という判決の「論理」は、米軍の存在を無限に許す憲法破壊の根源の一つです。



米軍立川基地拡張に反対した砂川闘争=1956年

■米の圧力で
砂川事件の一審判決(東京地裁59年3月30日)は、米軍駐留を違憲と断じました。驚いたマッカーサー米駐日大使は翌31日、藤山愛一郎外相を呼び出し、最高裁への跳躍上告を要求。また田中耕太郎最高裁長官とも密談し、翌60年の安保改定調印に最高裁判決を間に合わせるようにさせました。最高裁判決は一審判決を覆すためのものでした。
最高裁判決(同12月16日)直後、マッカーサー大使は米国務長官あての秘密電報で、判決について「いま進めている安保条約改定に関してだけでなく、日本の防衛力の引き続く発展にとっても極めて重要」としました。(つづく)

砂川事件
1957年7月8日、東京都砂川町(現・立川市)で米軍基地拡張工事に抗議した地元住民らが基地に立ち入ったとして、日米安保条約に基づく刑事特別法違反で逮捕・起訴された事件。条約と法律の合憲性が争われました。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月15日付掲載


砂川判決が集団的自衛権行使容認を認めたものではないことは明らかですが、その事をもって砂川判決を良しとするわけにはいかないんですね。
外国軍隊(米軍)の駐留は日本の主権が及ばないから、9条2項に反しない。とんでもない詭弁が隠されていたのですね。

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立憲主義考⑤ 条約を超える日米同盟 異常な従属性=主権放棄

2016-01-15 15:31:31 | 平和・憲法・歴史問題について
立憲主義考⑤ 条約を超える日米同盟 異常な従属性=主権放棄

昨年4月27日に日米間で合意された新ガイドライン(軍事協力の指針)は、「日米同盟のグローバルな性質」を強調。「アジア太平洋地域及びそれを超えた地域」という文字通りの「地球規模」で、平時から緊急時までの「切れ目のない」軍事協力を約束しました。安倍晋三首相は同30日、米上下両院議会での演説で「必要な法案の成立を夏までに」と「公約」しました。戦争法案が「閣議決定」されたのは、その2週間後の5月14日でした。

■軍事指針法
戦争法案審議中に日本共産党の小池晃参院議員が暴露(8月11日)した自衛隊内部文書は、新ガイドラインと戦争法の関係について「既存の法制で実施可能なものと、…法案の成立を待つ必要があるものがある」と指摘し、詳細に対処項目を示していました。戦争法は新ガイドライン実行のための法律なのです。昨年11月には同ガイドラインに示された、日米統合司令部となる「同盟調整メカニズム」も始動しました。
戦争法による立憲主義破壊の根源に「日米同盟」があります。
日米安保条約6条は、「極東」の平和と安全のために米軍施設・区域の使用を認めるとしています。しかし、新ガイドラインが全世界での日米軍事協力を約束したことは、「条約の範囲」をはるかに超えることは明白です。
条約上の根拠のない政治合意―。ガイドラインには「いずれの政府にも法的権利又は義務を生じさせるものではない」とわざわざ明記されています。ところが、実際には国家運営の最高の指針とされ、憲法9条に反する軍事協力を推進する「根拠」となっているのです。



記者会見で自衛隊内部文書を示す小池晃議員(右)と井上哲士議員=昨年8月11日、国会内

■軍部の独走
小池氏が暴露した内部文書は、法案が審議入りした昨年5月26日に自衛隊主要幹部のビデオ会議での意思統一に使われました。法案成立を前提に、南スーダンPKO(国連平和維持活動)への派兵計画の具体的日程まで示すなど、日米同盟最優先で軍部が独走しています。
「日米安保体制という場合に、日米安保条約及びその関連取り決め並びにこれら以外の安全保障面における日米間の協力に関連するもろもろの取り決め、並びにこれらに基づく協力の実態を総称したもの」。1997年11月13日の参院内閣委員会で高野紀元外務省北米局長はこのように答弁しています。政府はすでに、「日米同盟」が条約より広い概念だと公然と認めています。
条約上の根拠がなく法的義務のない「合意」の実行に血道をあげる異常な従属性11主権放棄という実態に、立憲主義崩壊の底知れぬ淵源(えんげん)があります。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月14日付掲載


日米同盟のためと言えば何でも出来るのでしょうか?
それも憲法はおろか、安保条約の枠を超えて広がる。
どこまでアメリカに奉仕すればいいのか?
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山口・岩国市長選~基地強化反対の姫野候補を 期待の談話

2016-01-14 19:18:28 | 平和・憲法・歴史問題について
山口・岩国市長選~基地強化反対の姫野候補を 期待の談話
17日告示、24日投票

山口県岩国市長選が17日告示、24日投票で行われます。2017年までに計画される、厚木基地(神奈川県)から米軍岩国基地への空母艦載機移駐を前に、福田良彦現市長は「基地との共存」を掲げています。基地頼みの市政を続ける市長に対し、基地強化に反対する五つの市民団体は、前無所属市議の姫野あつこ候補(56)=無所属、新=を擁立しました。自立したまちづくりで、子や孫に平和な岩国を残そうとたたかっています。姫野候補への期待の談話を紹介します。


「大事なのは命」声大きく

「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表・日本基督教団岩国教会牧師・大川清さん(57)
この市長選は、最終的に何を大事にするのかが問われる選挙だと思います。厚木基地から米軍岩国基地への空母艦載機移駐で、さらなる爆音や米兵犯罪に苦しめられる岩国を、子どもたちに残してはなりません。移駐の可否を問う住民投票(2006年)では、圧倒的な市民が反対に投じ、その思いを示しました。
福田良彦現市長は、安心安全対策を求めると言いますが、戦争の訓練をする場の基地は、市民の安心安全とは相いれない存在です。
戦争法廃止へ全国でさまざまな立場の人が立ち上がっているように、基地強化に反対する五つの市民団体も、細かな違いを超え、姫野あつこ候補を応援しています。戦争の拠点となる基地を抱え、被害者と加害者の両面をもつ岩国から、市長選を通じて「大事なのは命だ」と大きな声を上げたいです。
岩国から陸揚げされ、普天間基地(沖縄県宜野湾市)に配備されたオスプレイは、たびたび岩国へ飛んで来ているし、普天間から岩国へ移駐したKC130空中給油機は、普天間に戻って訓練しています。「沖縄の負担軽減」は全くの詭弁(きべん)だと思います。基地をどこに持っていくかではなく、日本のどこにも要らないという動きを広げたいです。
岩国も沖縄も、「アメとムチ」で民意がゆがめられてきました。同日に行われる沖縄・宜野湾市長選と連帯し、岩国から再び「移駐ノー」の声を上げる意義は大きいと思います。


基地ある町から審判を

「愛宕山を守る会」世話人代表・岡村寛さん(72)
艦載機移駐で所属機が約2倍になれば騒音はどうなるのか。市街地の真ん中の愛宕(あたご)山に新たな基地(米軍住宅)ができ、米軍属が約1万人になって事件や事故が起きればどうなるのか。国は、市は、市民にどれだけ説明しているでしょうか。市民の想像を超える状況になるはずで、いざ来てから「大変だ」となっては遅い。市長の責任で対応を明確にすべきです。
福田良彦市長は、国からの再編交付金で行った施策を「成果」だと言いますが、暮らしを応援する施策は他の自治体より低いのが現実で、「成果」などと言ってほしくない。岩国錦帯橋空港も、米軍住宅と合わせて建つ運動施設も、米軍が最優先で市民は「使わせてもらう」立場です。お金と引き換えにまちを切り売りするようなことを、未来永劫(えいごう)続けることなどできません。
安倍首相が戦争する国づくりへ一直線の中、海兵隊を擁する岩国基地は、アメリカの戦略を実行する最先端の基地になります。その実感を市民に問う意義もある選挙です。
安倍首相の「お膝元」で反旗を翻すのは困難も多いですが、覚悟してたたかっています。岩国市民の苦しみを県内外の人が自分のこととして考えてくれたら、今後の運動にとっても大きな励みになります。
同日投票の沖縄県宜野湾市長選とともに、本土にある基地のまち・岩国からもひと泡吹かせる結果を出せれば、国の方向性にも影響を与えられるチャンスです。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月14日付掲載


僕が岩国に帰省するたびに、母は「厚木基地から空母艦載機移転で、騒音がさらにひどくなる」と口癖のように言っています。
宜野湾市長選挙と同じ投票日。こちらでも勝利したいものです。
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立憲主義考④ 言葉の明確な意味無視~「法の支配」から「人の支配」へ

2016-01-13 23:36:57 | 平和・憲法・歴史問題について
立憲主義考④ 言葉の明確な意味無視~「法の支配」から「人の支配」へ

安倍政権は、「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としてきた、戦後60年余にわたる政府の憲法解釈を百八十度くつがえしました。これは、「日本を取り巻く安全保障環境が変化」し、「必要な自衛の措置」の範囲が拡大したという理屈による変更でしたが、戦争法の国会審議で政府はその根拠を何ら示せませんでした。

■厳格な解釈
一内閣の勝手な決定で憲法の枠組みを壊して生み出した戦争法。だからこそ、圧倒的多数の憲法学者、歴代の内閣法制局長官、元最高裁長官と判事、日本弁護士連合会など、憲法学と法曹界の“専門家の知的共同体”が「安保法制は憲法違反」だとの批判を突きつけたのです。
憲法は言葉で書かれている―あたりまえですが、重要な前提です。言葉の解釈にはおのずから幅と限界があります。明確な言葉の厳格な解釈でこそ、権力を縛ることができます。言葉の明確な意味と論理を無視する「解釈」は解釈の名に値しません。これを許せば「法の支配」は根底から揺らぎ、権力者による恣意(しい)的な「人の支配」に変わってしまいます。
実際、安倍晋三首相は「憲法解釈変更」のため内閣法制局長官人事に介入。2013年8月に、内部昇格の慣例を破って、集団的自衛権行使の積極容認論者だった小松一郎元駐仏大使を同長官に任命しました。自分の意向に近い人物を法制局長官に“抜擢(ばってき)”し、強引に解釈を変える―まさに「法の支配」から「人の支配」へと逆行する“クーデター”でした。
京都大学で開かれた学術企画「立憲主義を考えるシンポジウム」(昨年12月)で、同志社大学の岡野八代教授(政治学)は、「『人の支配』とは朝令暮改」だと指摘。「これまで私たちが信じていたものを、(権力者が)自分たちの都合でやっぱりなかったことにしようと、反省もなしに前言を平気でひっくり返す。『人の支配』は、その人に振り回される人々の人間らしい生そのものを不可能にする」と批判しました。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(憲法9条2項)。
この言葉を厳格に解釈すれば、自衛隊の保有も「違憲」です。



「戦争法案は廃案しかない」と立ち上がった「オール法曹、オール学者」の共同記者会見を報じた「赤旗」1面

■余地はゼロ
政府はなんとか“合理化”するために「自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力」で「世界標準の軍隊とは違う」とし、集団的自衛権の行使をはじめ海外での武力行使を否定してきたのです。9条2項のもと、自国が攻撃を受けていないのに、他国の戦争に参加する集団的自衛権の行使が許される余地はゼロです。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月12日付掲載


「法の支配」から「人の支配」へ…
法に人が支配されるより、人に支配される方が文句が言えるから良いような感じがしますが…。
昔のことわざ「朝令暮改」。支配者の気分によって憲法や法律の解釈がコロコロと変わってしまっては、たまったもんじゃありません。




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