日韓の歴史をたどる③ 東学農民戦争 日本軍の住民虐殺の始まり
井上勝生
いのうえ・かつお 1945年生まれ。北海道大学名誉教授。『東学農民戦争と日本』(共著)、『明治日本の植民地支配』ほか
1894年(明治27)の春、朝鮮で「東学」の下に集まった農民が蜂起、全琫準(チョンポンジュン)を指導者とし朝鮮南西部の全羅道を席巻、全羅道の首府・全州を占領しました(第1次蜂起)。東学とは「人すなわち天」という平等思想を掲げる宗教・思想で、統治の不正を訴えて抗争し、朝鮮政府の弾圧を受けながらも朝鮮農民の支持を集めていました。
鎮圧のために朝鮮の依頼を受けた清が出兵、それを知った日本軍も大軍を出兵すると、東学農民軍は外国軍の干渉を避けるため朝鮮政府と和約し、全州市から撤退。農民はそれぞれの地元に戻り全羅道の各郡で農民自治を敷きました。
朝鮮に出兵した日本軍は同年7月、朝鮮王宮を占領した後、7月末、清との戦端を開き、平壌での会戦で清を破ると、10月には清国領に侵入、日清戦争が本格化しました。
初めて直面した大衆的抗日闘争
戦場の後方となった朝鮮で、日本軍に抗戦したのが東学農民軍でした(第2次蜂起)。8月末からゲリラ的な蜂起が起き、日本が清に侵入する頃には全土で抗日闘争が起こりました。近代日本が直面した、アジアの大衆的・民族的な抗日闘争の最初だといえます。
日本軍の兵站(へいたん)線(補給と通信路)の陣地多数に、それぞれ数万、数千の東学農民を集めて一斉蜂起し、ソウルへの北上も目指しました。
日本軍大本営は、日本の交戦国でもない朝鮮の東学農民を「ことごとく殺戮(さつりく)すべし」(在朝鮮司令部「陣中日誌」)と命令。日本軍はこれを実行し、東学農民軍を大きく包囲し朝鮮南西へと追いつめて殲滅(せんめつ)しました。農民軍は日清戦争の最後まで抗戦をつづけ、数十万名という、日清戦争で最大の死傷者を出しました。
東学農民戦争の現場を示す記事を一兵士の「従軍日誌」から紹介します。
東学農民軍は同年11月の公州の戦闘で敗北、南海岸へと敗走し、翌年1月、全羅道長興で終盤最大の組織的な抗戦をしました。日本兵は、長興戦闘の2日目夜について「負傷の生捕り十名」、日没して「帰舎後、生捕りは、拷問の上、焼殺せり」と記します。こういう記事は頻出します。同月31日、海南では7名を捕まえます。「城外の畑中に一列に並べ、銃に剣を着け」「軍曹の号令にて一斉の動作、これを突き殺せり」
南小四郎大隊長は「多く殺すの策」「探し出して殺す」作戦を展開したと講話しています。後年の朝鮮独立運動への弾圧をしのぐ、弁解の余地のない非人道なジェノサイド(集団殺戮)作戦です。
1945年の終戦に至るまでの日本軍の住民虐殺の起点が、ここにあります。
東学農民軍は、竹やり、火縄銃、棍棒(こんぼう)、農具を手に戦いましたが、民衆軍にふさわしく行動綱領(四大名義)、規律を制定。第一は「人を殺すな、物をこわすな」でした。
日本軍の電信線を切断する東学農民軍(岐阜日日新聞1894年10月6日号1面掲載)。戦う農民軍が描かれた当時の史料はまれ(井上勝生氏提供)
捕らえられ戸板に乗せられて連行される全琫準(中央)
日本の侵略史の叙述見直す必要
先に紹介した兵士の従軍日誌は記します。(要点を紹介)
「東学農民軍の先発隊はラッパを鳴らして進軍し、山を占拠。軍旗をひるがえし喊声(かんせい)(ときの声)をあげて日本軍に発砲した。夜、長興府に退却した農民軍は、かがり火を照らし、大声の戚声をあげて夜明けを迎えた。高地を占拠した日本軍に向かって数万の白衣の東学農民軍が山を登ってきた。積雪のようだ。喊声が大地を震動させた」
これは、東学農民軍の戦いの典型です。ラッパと太鼓、軍旗、かがり火。数万の白衣の農民軍は、積雪のようでした。大切なのは大喊声で、徹底した陽動作戦です。日本兵殺戮という目的であれば隠密の作戦があったはずですが、一貫して陽動作戦でした。この戦いでも日本兵は戦死していません。無用な流血を避ける規律は、終盤の長興の戦いでも守られていました。
東学農民の蜂起と日本軍の殲滅作戦は参謀本部編纂(へんさん)の戦史では隠蔽(いんぺい)されました。第2次東学農民戦争の意味や東学農民の力は近年まで埋もれたままでした。戦前日本のアジア侵略史の叙述は見直すことが必要だと思います。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年6月5日付掲載
東学農民のたたかいは教科書にも載っている有名なものですが、徹底して陽動作戦、「人を殺すな、物をこわすな」だったのですね。
それに引き換え、日本の方は皆殺し。ひどいものです。
井上勝生
いのうえ・かつお 1945年生まれ。北海道大学名誉教授。『東学農民戦争と日本』(共著)、『明治日本の植民地支配』ほか
1894年(明治27)の春、朝鮮で「東学」の下に集まった農民が蜂起、全琫準(チョンポンジュン)を指導者とし朝鮮南西部の全羅道を席巻、全羅道の首府・全州を占領しました(第1次蜂起)。東学とは「人すなわち天」という平等思想を掲げる宗教・思想で、統治の不正を訴えて抗争し、朝鮮政府の弾圧を受けながらも朝鮮農民の支持を集めていました。
鎮圧のために朝鮮の依頼を受けた清が出兵、それを知った日本軍も大軍を出兵すると、東学農民軍は外国軍の干渉を避けるため朝鮮政府と和約し、全州市から撤退。農民はそれぞれの地元に戻り全羅道の各郡で農民自治を敷きました。
朝鮮に出兵した日本軍は同年7月、朝鮮王宮を占領した後、7月末、清との戦端を開き、平壌での会戦で清を破ると、10月には清国領に侵入、日清戦争が本格化しました。
初めて直面した大衆的抗日闘争
戦場の後方となった朝鮮で、日本軍に抗戦したのが東学農民軍でした(第2次蜂起)。8月末からゲリラ的な蜂起が起き、日本が清に侵入する頃には全土で抗日闘争が起こりました。近代日本が直面した、アジアの大衆的・民族的な抗日闘争の最初だといえます。
日本軍の兵站(へいたん)線(補給と通信路)の陣地多数に、それぞれ数万、数千の東学農民を集めて一斉蜂起し、ソウルへの北上も目指しました。
日本軍大本営は、日本の交戦国でもない朝鮮の東学農民を「ことごとく殺戮(さつりく)すべし」(在朝鮮司令部「陣中日誌」)と命令。日本軍はこれを実行し、東学農民軍を大きく包囲し朝鮮南西へと追いつめて殲滅(せんめつ)しました。農民軍は日清戦争の最後まで抗戦をつづけ、数十万名という、日清戦争で最大の死傷者を出しました。
東学農民戦争の現場を示す記事を一兵士の「従軍日誌」から紹介します。
東学農民軍は同年11月の公州の戦闘で敗北、南海岸へと敗走し、翌年1月、全羅道長興で終盤最大の組織的な抗戦をしました。日本兵は、長興戦闘の2日目夜について「負傷の生捕り十名」、日没して「帰舎後、生捕りは、拷問の上、焼殺せり」と記します。こういう記事は頻出します。同月31日、海南では7名を捕まえます。「城外の畑中に一列に並べ、銃に剣を着け」「軍曹の号令にて一斉の動作、これを突き殺せり」
南小四郎大隊長は「多く殺すの策」「探し出して殺す」作戦を展開したと講話しています。後年の朝鮮独立運動への弾圧をしのぐ、弁解の余地のない非人道なジェノサイド(集団殺戮)作戦です。
1945年の終戦に至るまでの日本軍の住民虐殺の起点が、ここにあります。
東学農民軍は、竹やり、火縄銃、棍棒(こんぼう)、農具を手に戦いましたが、民衆軍にふさわしく行動綱領(四大名義)、規律を制定。第一は「人を殺すな、物をこわすな」でした。
日本軍の電信線を切断する東学農民軍(岐阜日日新聞1894年10月6日号1面掲載)。戦う農民軍が描かれた当時の史料はまれ(井上勝生氏提供)
捕らえられ戸板に乗せられて連行される全琫準(中央)
日本の侵略史の叙述見直す必要
先に紹介した兵士の従軍日誌は記します。(要点を紹介)
「東学農民軍の先発隊はラッパを鳴らして進軍し、山を占拠。軍旗をひるがえし喊声(かんせい)(ときの声)をあげて日本軍に発砲した。夜、長興府に退却した農民軍は、かがり火を照らし、大声の戚声をあげて夜明けを迎えた。高地を占拠した日本軍に向かって数万の白衣の東学農民軍が山を登ってきた。積雪のようだ。喊声が大地を震動させた」
これは、東学農民軍の戦いの典型です。ラッパと太鼓、軍旗、かがり火。数万の白衣の農民軍は、積雪のようでした。大切なのは大喊声で、徹底した陽動作戦です。日本兵殺戮という目的であれば隠密の作戦があったはずですが、一貫して陽動作戦でした。この戦いでも日本兵は戦死していません。無用な流血を避ける規律は、終盤の長興の戦いでも守られていました。
東学農民の蜂起と日本軍の殲滅作戦は参謀本部編纂(へんさん)の戦史では隠蔽(いんぺい)されました。第2次東学農民戦争の意味や東学農民の力は近年まで埋もれたままでした。戦前日本のアジア侵略史の叙述は見直すことが必要だと思います。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年6月5日付掲載
東学農民のたたかいは教科書にも載っている有名なものですが、徹底して陽動作戦、「人を殺すな、物をこわすな」だったのですね。
それに引き換え、日本の方は皆殺し。ひどいものです。
日本人を虐殺・弾圧し
対馬の軍事侵略・東海問題・レーダー問題を騒いだ
共産勢力と南北朝鮮人
戦後の日本でテロを起こした事がある奴ら
今も反日を掲げて
軍事侵略・日本人の弾圧を拡大中
都合の悪い話は
全て隠蔽してるよな
共産勢力・抗日パルチザン・日韓ロウソクデモ隊は
で、在日だとしたら朝鮮学校とかで洗脳されてるから反日なのはわかるけど、仮に日本人だとしたら俺がうまく行かないのは国が悪い社会が悪いと主語をでかくして逆恨みしてる底辺の通り魔予備軍としか考えられない。
俺が貧乏でモテないのは日本が悪いからだ、俺は何も悪くないと責任転嫁したいから日本の悪口を言う。
お前が不幸なのはお前自身と、バカで貧乏で虐待するクセに頼んでもないのにお前を産んだ親が悪い。
親を恨め、関係のない日本人を巻き込むな。
俺がお前に何をした?
日本の悪口を言う=日本人全員に対する差別を正当化すること。
恨みがあるなら、その個人に復讐しろ。
日本を全否定して、迷惑掛けるな馬鹿野郎。