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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

阪神・淡路大震災17周年 その教訓を生かせ・・・ その2

2012-01-21 20:55:26 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
阪神・淡路大震災17周年 その教訓を生かせ・・・ その2

引き続いて「しんぶん赤旗」の特集を転載します。
知っている人の知らなかった震災での苦しみ。震災の長田ウォークで訪れた丸五市場の店主さん。
避難所で、ポートアイランドの仮設住宅で、復興住宅で・・・、被災者のために奮闘されている安田さん。


17年前の事。 被災支援で関東方面からこられて来ている方に入浴してもらうために、神戸市でも被災していなかった北区の事務所にお連れした時のことだった。
テレビで神戸市の緒方助役が「幸か不幸かこういうことになったので、インナーシティの再開発をさせてもらいます。神戸空港もつくります」って言ったのです!

支援に来てこられた方々がいっせいに「被災者のことを置き去りにいったい何を考えているんだ!」「絶対許せない!」と・・・

東日本大震災とあわせて人間復興を改めて築いていきましょう!



その④ 「復興」とは ゼネコン潤う巨大開発
 「私たちには公的支援がないのに神戸空港や銀行には大金がつぎ込まれたのが、悔しくて悔しくて…」
 神戸市中央区の復興県営住宅に住む山本尚代さん(77)は、ふり返ります。



「復興のシンボル」神戸空港。建設の借金を返せず、運営も赤字です=神戸市中央区

家の再建断念
 1988年に6500万円で東灘区岡本の土地と家を買い、さらに、海を見ながら食事できるようにとキッチンを2階に移しました。「すごく思い入れがあった」という家が震災で全壊。当時は「国が1000万円くらい出してくれるだろう。頑張れば家を再建できる」と思っていましたが、結局、公的支援はなく、断念しました。
 一方、震災からわずか2週間後、当時の神戸市長が「神戸空港は復興のシンポル。当然推進する」と宣言。「驚きました。あの非常時に。溺れている者を助けるのが先じゃないの、と」。市は31万人の住民投票請求署名も無視し、99年に空港建設に着工して2006年に開港しました。
 被災者が置き去りにされた阪神・淡路。そこでおこなわれた「復興」とは何だったのでしょうか。
 国や県は「単に震災前の状態に回復するのではなく、『創造的復興』を」と掲げ、震災を絶好のチャンスとして、以前から計画していた巨大開発を「復興」の名を冠して一気に推進しました。
 震災直後、当時の神戸市助役はテレビで、開発計画をもりこんだ従来のマスタープラン(総合基本計画)にふれ、「これを実行するのが震災復興。タイトルを書き換えて、今日からでも明日からでも実行する」「幸か不幸かこういうことになりましたので」と露骨に語りました。
 震災後10年間の国・自治体の復興事業費は16兆3000億円。その6割、9兆8000億円が県の復興計画の柱の一つ「多核・ネットワーク型都市圏の形成」に投入されました。そこにはインフラ整備のほか、高速道路網建設、新都市づくり、神戸港の最新鋭整備、巨大再開発、土地区画整理、神戸空港1など大型事業がズラリ。ゼネコン・大企業だけがもうかる復興」でした。

破綻が鮮明に
 いま、その破綻が鮮明です。神戸空港は、空港島の土地が売れないため建設の借金1982億円を返済できず、運営も赤字のため、新たな借金や別会計の資金の流用で穴埋めする事態です。面積20診と全国最大級の長田区の復興再開発は、地元被災者を追い出したうえ、ビルに業者が入らず軒並みシャッター通りです。
 山本さんは「国はムダ遣いをやめ、お金は迷わず東北の人たちに回してあげてほしい。本当にそう思います。私たちは苦労がわかるから」といいます。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月14日付



その⑤ 消費税増税 復興妨げ、地域に打撃
 政府・民主党は、消費税を2014年に8%、15年に10%に引きあげる方針を決めましたが、東日本大震災の復興の時期と重なります。阪神・淡路大震災の2年後の1997年4月に3%から5%になったとき、どう影響したでしょうか

被災したうえ
 「蓄えがものの見事になくなったうえに、消費税アップ。買い渋りが起きて売り上げは2割減った。あれはきつかった」
 神戸市長田区の丸五市場事業協同組合理事長、西村政之さん(68)=鶏肉店経営=はふり返ります。
 被災した店と自宅の補修のために借金し、貯金を全部使いました。そこに襲った消費税増税。「仕入れは消費税を払う。5%はとても負担できないのでお客さんからもらうようにした」といいます。一部の客に「市場やのに消費税取るんか」といわれました。
 「怒りをぶつけられ、増税の矢面に立たされたのは小売りのわれわれ。国は最後に取っていくだけ」。いまも怒りが納まりません。
 神戸市灘区で工務店を営む松吉稔さん(64)は、徐々に減っていた仕事が消費税増税でいよいよなくなりました。「私も震災後に建てた家のローンがある。アルバイトもしました。冷や汗がでて夜中に目が覚め、死んだら楽になるのに、と思うこともあった」
 消費税増税とそれによって起きた大不況のため、ただでさえ震災で沈下していた阪神・淡路の経済は大打撃を受け、復興どころかいっそう落ち込みました。当時、「震災と消費税の二重苦」という言葉が広く使われました。



丸五市場の店の前に立つ西村さん=神戸市長田区

売り上げ下降
 97年12月の被災地事業所調査(〈財〉産業復興推進機構調べ)によると、「震災前より売り上げが減った」という事業所が57%。その理由として最も多い回答が「消費税率の引き上げ」と「買い控え等の消費者マインドの変化」でした。消費を落ち込ませた消費税増税の影響が歴然としていました。
 震災後の売り上げの推移は、「一時期回復したが今は下降気味」「悪くなる一方」と答えた事業所が合計62%で、「順調に回復」はわずか8%でした。また97年の県内倒産件数は過去10年間で最悪になり、98年は過去最悪を記録。地域経済は著しく悪化していきました。
 阪神・淡路の経験は、大災害の復興の過程では消費税増税などあってはならないことをしめしています。
 西村さんは、「根こそぎやられた東北の商売人が立ち上がるには、われわれの数倍のエネルギーがいると思う。そんなときに消費税10%とは、何という政治か」といいます。
(つづく)



消費税アップ反対、被災者への公的支援・個人補償を求めた1万人大集会が開かれ、デモ行進する参加者目1996年10月13日、神戸市兵庫区

「しんぶん赤旗」日刊紙  2012年1月15日付


その⑥ たたかいが切り開く 政治動かし、支援拡大
 「復興は終わっていない。今後も被災者の実態を訴えていく」
 日本共産党元県議で阪神・淡路大震災被災者ネットワーク代表の安田秋成さん(86)は力強く語ります。
 神戸市兵庫区で被災し、仮設住宅で自治会長を務め、いま同区の借り上げ復興住宅に住んでいます。
 震災後の17年間は、被災者と救援復興県民会議、日本共産党のたたかいが政治を動かし、被災者支援を一歩一歩前進させてきた日々でもあります。安田さんは、高齢ながら常に先頭にいました。
 震災当時の村山内閣は「私有財産制では認められない。生活再建は自力で」と、全被災者が切望した公的支援・個人補償を拒否。「立ち上がろうとしている人が、こん棒で頭を殴られたようなものでした」と安田さん。

支援法が成立
 以来、県民会議は「人間復興」を掲げ、公的支援実現の大運動にとりくみます。「住宅・店舗再建に500万円、生活支援に350万円の公的支援」を求め100万人を超えた署名運動、2度の1万人集会、約87万人が投票した1997年の公的支援実現「住民投票」運動、度重なる政府・国会要請―などをくり広げてきました。
 これと結んで国会で共産党が他党との共同を追求し、97年、共産党など参院6会派39議員が超党派で全壊に500万円支給などの法案を提出。これに被災者の熱い期待が集まり、公的支援を否定していた自民党は追いつめられ、初めて現金給付にふみこんだ対策を取らざるをえなくなりました。自民は「被災者生活再建支援法」案をまとめ、民主、公明、社民などと共同提案し、98年5月に成立。世論と運動が政治を動かしたのでした。
 同支援法は、全壊世帯の生活支援だけに100万円支給と不十分なうえ、阪神・淡路は対象外でした。
 県民会議は引き続き運動を強め、全国でも世論が高まり、2004年と07年の法改正で阪神・淡路に適用しないとはいえ住宅再建に最高300万円支給が実現。いま、東日本の被災者救済へ抜本的拡充が間われています。



県民集会で被災者への公的支援・個人補償実現を訴える参加者=2000年1月17日、神戸市

孤独死が続発
 一方、震災後5年間存在した仮設住宅では孤独死が続発。劣悪な住環境も深刻でした。
 安田さんがいた仮設住宅でも、必死に努力しても仕事がない男性がアルコール依存になり、孤独死しました。
 安田さんは「孤独死は“絶望死”ともいえます。個人補償があるか、公営住宅に移れるか、仕事があるかなど希望を持てなければ閉じこもって酒におぼれ、孤独死、自殺につながりやすい」と指摘します。
 仮設住宅の住民が集う仮設住宅ネットワークの代表世話人も務めた安田さん。公的支援や公営住宅大量建設実現で「生きて仮設住宅から脱出しよう」と訴えました。
 世論と運動で、仮設住宅にエアコンやひさしが設置され、復興公営住宅の戸数増と低家賃が実現しました。
 ほかにも被災者や県民会議の要求で、民間賃貸住宅の家賃補助、災害援護資金の月千円からの少額返済などが実現しました。
 「東日本の人たちとも連帯して、借り上げ住宅問題をはじめ被災者のための運動を続けたい」と話します。
(おわり)(喜田光洋、秋定則之が担当しました)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月16日付



コメント (2)
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