きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

安斎育郎さんと考える 放射能汚染⑫ 原爆と福島原発事故の違い

2011-10-15 19:42:07 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
安斎育郎さんと考える 放射能汚染⑫ 原爆と福島原発事故の違い

 1945年8月6日に広島、そして8月9日に長崎が人類最初の核攻撃の犠牲になりました。連載の最後は原爆と福島原発事故の違いについて考えます。
 原爆の爆風と熱線、放射線の作用でその年のうちに両市合わせて20万人が死亡し、5年後までにさらに十数万人が亡くなりました。かろうじて生き残った約30万人の被爆者に見られた放射線障害は、規模の大きさ、多様性において、過去に例を見ない惨害でした。

確定的と確率的
 放射線障害には一度に大量の放射線を浴びた場合に必ず起きる、脱毛や白内障といった「確定的影響」と、少量でも継続的に浴びた場合に一定の割合で起こるがんなどの「確率的影響」があります。広島・長崎の原爆では、その両方が起こりました。
 福島原発事故では今のところ、確定的影響である急性障害の発生は限られています。
 大量に放射線を被ばくし、原爆では即死に近い人から、下痢や脱毛などの急性障害で死亡した人に加え、何年も後に白血病や甲状腺がん、皮膚がん、唾液腺がんなどで多くの人が亡くなりました。
 最も心配された遺伝的影響は、ショウジョウバエの研究で理論的には知られていたことでした。しかし、広島・長崎の被爆者の場合は染色体の異常は認められましたが、被爆2世への遺伝的影響については、今日にいたるまで、統計上の有意な増加は認められていません。このことは被爆者に対する差別や偏見の原因になりやすいので注意が必要です。
 このほか被爆者には身体的障害に加え、疲れやすい、病気にかかりやすい、精神的に不安定、頭痛や下痢、食欲不振、手足のしびれ、不眠などの不定愁訴(ふていしゅうそ)も多く見られます。「原爆ぶらぶら病」と呼ばれるものです。これらも、被爆者への差別や偏見のもとになりました。
 放射能の影響は、原爆の火の玉から出た放射線に加え、残留放射能による被ばくがあります。残留放射能とは、原爆が放出した中性子を受けることによって新たにつくりだされた放射性物質や、広い範囲に雨やすすとして降った放射性降下物によるものです。
 ところが、日本政府は残留放射能や放射性降下物による内部被ばくについては評価が不十分です。このため、被爆から60年以上たった今日でも、原爆症の認定を求めて裁判を起こしている被爆者も少なくありません。


広島原爆・長崎原爆
 広島長崎
投下原爆砲身型ウラン原爆/ウラン60キログラム使用/核分裂は0.7キログラム爆縮型プルトニウム原爆/プルトニウム8キログラム使用/核分裂は1~1.1キログラム
重量約4トン約4.5トン
爆発威力約15キロトン約22キロトン
放出エネルギー約14兆カロリー約20兆カロリー
被爆時人口約42万人約27万人
 死者(1945年年末まで)
14±1万人7±1万人
(1950年10月まで)
約20万人約14万人



除染はしつこく
 原爆と原発はいずれもウランやプルトニウムの核分裂反応で放射性の核分裂生成物を生み出します。いずれもやっかいな性質をもっています。
 原爆の場合は半減期(放射能の強さが半分になる期間)が長いものも短いものも同時に一瞬に放出されます。原発の場合は連続的に核分裂反応を起こすので、半減期の短いものはなくなり、原子炉の中には、運転を続ければ続けるほど、半減期の長い放射性物質がたまってきます。
 放射性物質の広がりの点では、福島原発事故による放射性降下物は、雨や雪で複雑な挙動を示します。原爆の火の玉からの放射線と違う点です。
 福島原発から放出されたセシウム137の量は、現在の評価でも、広島原爆の168倍という試算も出ています。今回の事故の深刻さを示すものだと思います。
 さらに、60キロも離れた人口約30万人の県都・福島市をはじめ多くの人口をかかえる都市部で、晩発性がんなどの「確率的影響」を心配せざるを得ない事態も、原爆被害とはまた違った点です。
 大量の放射性物質が降り積もり、人の命にかかわるような地域は、長期にわたって居住できません。しかし、人が日常的に住んでいる地域では、降り積もった放射性物質を削り取るしかありません。私は3月から、「表層土」を削れということを言って、現地で取り組んできました。
 8月に福島で採取した土を分析してみると、放射性セシウムは水にほとんど溶けだしませんでした。雨で流れ出すことなく、しっかりと土壌の土に固着しています。
 ですから、収穫期が終わった水田でも、土を入れ替えることは意味があります。公園など人が暮らしている場所の除染も、何度も実施する必要があります。雨が降れば、放射能を含んだ土が周囲から流れ込んで、線量が上がる傾向があります。生きる道を切り開くために、除染はしつこくやり続けなければなりません。そのために国が責任をもって全面的に支援する必要があります。



 私はこの半世紀の間、原子力分野にかかわってきました。勉強しているうちに国の原子力政策に疑問を持ち、批判する立場に身を置いてきました。しかし、今回の事故を食い止め得なかったことには内心忸怩(じくじ)たるものがあります。いま何ができ、何が有効か、命や健康を守るためにどうすればよいのか。正確な情報と知識を伝えていくことも、放射線防護学を専門とする私の科学者としての社会的責任だと思っています。(おわり)

「しんぶん赤旗」日曜版 2011年10月16日付掲載



日本には「水に流す」といって、嫌なことを忘れてしまうって思想がありますが、土壌に降り積もった放射性物質は決して水に流れてくれないんですね。
人々が暮らしている土地、家屋の庭や玄関、公園、通勤通学路の側溝、農地など・・・、除染は繰り返し行うことが必要だといいます。

以前NHKで、たとえば一軒の家屋の除染を本気で取り組もうとすればどれだけのマンパワーが必要かを特集していました。
二本松市の市役所の職員を5~6人動員して一日がかりでしたね。

これから数年、数十年単位の取り組みが必要になっていくのです・・・
コメント
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