蝦夷攻めは 博物館の なかで知る
画図をたよりに菅野を行くと、昔より詠む置ける歌枕、壺碑(つぼのいしぶみ)につきます。この碑は日本三古碑の一つで、聖武天皇即位の年(724年)に建てられた多賀城跡地にあります。 陸奥の国府跡地は、現在はJR利府線・東北本線・仙石線の間にあり大規模だったことがわかります。
仙石線多賀城駅で降り~東北本線国府多賀城駅で乗りました。
史跡あと 歩きまわった 秋時雨
尋ねた季節は秋でした、今なら150万本のハナショウブが見られる、あやめ園があります。
ー「奥の細道」-「・・・苔をうがちて文字幽かなり。・・・石は埋もれて土にかくれ、木は老いて・・・」と書かれていますので、壺碑は放ってあつたのでしょう。(国府から東西の国境までの距離が記されています。)
今は 文化財 鞘堂の中 字は読めぬ
秋寒し 土ほる音か 雨しずく
路を尋ねる人影もなし、家もなし、休むところも無く、ただ雨に煙る丘陵と雨音をきく・・・
ここでは芭蕉の旅の感動を追体験できたように感じました。
是非もう一度訪れてみたいところです。
画図をたよりに菅野を行くと、昔より詠む置ける歌枕、壺碑(つぼのいしぶみ)につきます。この碑は日本三古碑の一つで、聖武天皇即位の年(724年)に建てられた多賀城跡地にあります。 陸奥の国府跡地は、現在はJR利府線・東北本線・仙石線の間にあり大規模だったことがわかります。
仙石線多賀城駅で降り~東北本線国府多賀城駅で乗りました。
史跡あと 歩きまわった 秋時雨
尋ねた季節は秋でした、今なら150万本のハナショウブが見られる、あやめ園があります。
ー「奥の細道」-「・・・苔をうがちて文字幽かなり。・・・石は埋もれて土にかくれ、木は老いて・・・」と書かれていますので、壺碑は放ってあつたのでしょう。(国府から東西の国境までの距離が記されています。)
今は 文化財 鞘堂の中 字は読めぬ
秋寒し 土ほる音か 雨しずく
路を尋ねる人影もなし、家もなし、休むところも無く、ただ雨に煙る丘陵と雨音をきく・・・
ここでは芭蕉の旅の感動を追体験できたように感じました。
是非もう一度訪れてみたいところです。