【高い格式を示す千鳥破風や華麗な彩色欄間】
橿原神宮(奈良県橿原市)の境内南側に「文華殿(ぶんかでん)」と呼ばれる重要文化財の建物「織田家柳本陣屋御殿」(旧織田屋形)がある。現在は大きな素屋根に覆われており、2020年から6年がかりで保存修理中。ただ期間限定で特別公開しており、その内側に入って工事の様子を見学できる。屋根瓦約3万枚、お城のような千鳥破風、美しい欄間の彩色彫刻、コケに覆われた庭園……。その格式の高い豪華な造りは予想以上のものだった。特別公開は5月8日まで。
旧織田屋形は織田信長の弟長益(有楽斎)の五男・尚長を藩祖とする柳本藩の陣屋御殿(現在の天理市柳本町)。1830年に焼失したが、14年後に再建された。その後、明治維新を経て大書院と玄関部分が1877年から柳本小学校の校舎として使用され、校舎改築に伴って復元保存を条件に地元から橿原神宮に奉納された。解体工事中の1866年に奈良県指定文化財に、竣工直後の翌67年には国の重要文化財に指定されている。
見学の前にまず神職に従って内拝殿で御幣をお供えして特別参拝。その後、工事現場の旧織田屋形に向かい、ヘルメットを被って素屋根の内部へ。申込者がその時間帯たまたま1人だったため、神職の方が1時間余にわたってマンツーマンで丁寧に対応してくださり、現場内では保存工事を受託している奈良県文化財保存事務所の担当者からも詳細な説明をしていただいた。建物は大書院の平面積が約269㎡、玄関部分が約188㎡で、いずれも平屋の入母屋造り。屋根瓦は全体で約3万枚、建物を支える礎石は114個に上るという。
最大の見どころは表向御殿の貴重な遺構である大書院の上段・中段・下段の間。上段の間には付書院、違い棚、藩主が出入りする帳台構えなどがあり、釘隠しには足利将軍家から拝領した桐の紋があしらわれている。床の高さは3つの部屋で段差があり、天井の意匠も異なって格の違いを表す。上~中段の間と、中~下段の間の欄間には江戸後期には珍しく極彩色の彫刻が施されている。図柄は奥が「桐に鳳凰」、手前が「雲に鳳凰」。幕末の御殿で豪華な彩色欄間は、他には加賀前田家の成巽閣(せいそんかく)と旧金谷御殿(尾山神社拝殿)の2カ所(いずれも金沢市)しか確認されていないそうだ。
上段、中段、下段の一の間は一列に並ぶ。そして下段の間は一の間からL字型に折れて二の間、三の間と続く。残っている江戸城本丸御殿の大広間の図面と照合すると、「部屋の広さはともかく、その造りはほぼ同じ」とのこと。玄関部分の車寄せには三角形の千鳥破風の屋根が乗る。その奥には右手から大書院方向に向かって内玄関の間、玄関の間、使者の間と続く。中央の玄関の間だけでも20畳もの広さがある。
大書院の屋根の南面中央にも大きな千鳥破風。火除けの懸魚(げぎょ)には織田家の家紋「織田木瓜(もっこう)」が彫られている。鬼瓦などの側面には箆(へら)で「天保二年卯七月」や「天保三年辰五月」などの刻銘があった。天保2~3年は1831~32年。再建が始まったのが1838年なので、着工よりかなり以前から瓦が焼かれていたことが分かる。瓦の葺き方は玄関の車寄せと大書院の千鳥破風の部分が丸瓦と平瓦を交互に積んだ本瓦葺きで、それ以外は波型の瓦を重ねた桟瓦葺き。下地の土居葺きには杉皮または椹(さわら)などの木を細かく割った杮(こけら)が用いられていた。保存修理工事の竣工は4年後の2026年3月末の予定。