【被熱痕跡5カ所、調理用の鉢や多数の食器類も】
奈良市の平城宮東院地区の発掘調査で、昨年12月に見つかった大規模な井戸(9m×9.5m)の東側一帯から5カ所の被熱痕跡や炭を捨てた廃棄土坑、2棟分の建物跡、多量の食器類や調理用とみられる鉢などが出土した。井戸に通じる階段も見つかっており、発掘を担当した奈良文化財研究所都城発掘調査部は「火を用いて調理する厨(くりや)のための大規模な空間で、調理や配膳などの機能に応じ空間を分けて利用していた」と分析している。6月17日に現地説明会があった。
東院地区は約1km四方の平城宮の東側張り出し部分の南半分(南北約350m、東西約250m)。奈良時代、ここには皇太子の東宮や天皇の宮殿などが置かれ、度々宴が開かれていたことが『続日本紀』などの文献で分かっている。南東端からは庭園の遺構が見つかり「東院庭園」(特別名勝)として復元されているが、現在発掘調査中のこの第595次調査区はその庭園の北西側に位置する。
井戸に通じる階段は高さ約30cm、幅約5.8mの石組みで、段数は2段ないし3段。井戸の東側の地形が少し高いため、西側の空間との段差をつなぎ東西を一体的に用いるための階段とみられる。被熱痕跡5カ所はいずれも直径が35~40cmで、土が赤化・硬化し火を強く受けた焼土を多く含む。炭廃棄土坑は調査区の東北部から見つかった。直径は約80cm。建物遺構はいずれも南北に長い構造で、一つは井戸のすぐ東側に位置する。規模は東西2間(約5.9m)、南北5間(約14.8m)。もう一つはこの建物の南東側に隣接し、東西3間(約8m)、南北8間(約23.6m)以上と大きく、調査区の南方へ続く。
2つの建物の周囲からは東西溝とそこから分岐する2本の南北溝が見つかった。幅は80~100cm、深さは10~30cm。これらの溝を中心に奈良時代後半の土師器や須恵器が多く出土した。杯(つき)・椀・皿などの食器類が多く、甕(かめ)・盤(ばん)・竃(かまど)・灯明皿もあった。中には小さな穴が開いた蓋のような土器も。発掘担当者の一人はこの土器について「蒸し器の一部で、穴は蒸気を逃がすためのものではないか」と話していた。奈良時代中頃~後半の軒丸瓦や軒平瓦なども出土している。
これまでに井戸の東西で見つかった溝や建物の遺構、出土物などから、この一帯は東院地区での食膳の準備に関わる台所のような空間だったことがほぼ判明した。井戸から汲み上げた水を溝に貯めて西側で食器や野菜などの食材を洗い、東側で調理したり盛り付けたりして、皇族の日常の食事や宴のための料理などを運んでいたとみられる。