く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 『料亭「吉兆」を一代で築き、日本料理と茶の湯に命を懸けた祖父・湯木貞一の背中を見て……』

2014年01月17日 | BOOK

【京都吉兆嵐山本店3代目総料理長・徳岡邦夫著、淡交社発行】

 タイトルは「……」の後「孫の徳岡邦夫は何を学んだのか」と続く。異例の長さのタイトルが示すように、徳岡邦夫(1960年生まれ)が天才料理人といわれた祖父、湯木貞一(1901~97)の教えや思い出を記した読み物である。「徳岡邦夫の人生」「湯木貞一の人生」「京都吉兆のこれから」の3章構成で、特別対談『戸田博×徳岡邦夫 茶碗「広沢」から在りし日の祖父を偲ぶ』で締めくくる。

    

 湯木貞一は茶道の精神を日本料理に融合させて独自の懐石芸術を確立したといわれる。吉兆は1930年、大阪市西区で産声を上げた。間口1間2分5厘・奥行き6軒のこぢんまりとした「御鯛茶處(おんたいちゃどころ)吉兆」。湯木、29歳の時だった。小さな店の一角に茶釜を備え食後に釜の湯でお茶を点てた。その斬新なアイデアと精魂込めた料理が多くの客の人気を集めた。

 「日本料理は単なる料理ではなく、茶道に基づいた佇まいや侘び寂びがある」。湯木は日本料理には他にない気品があるとして「世界之名物 日本料理」を信条とした。昨年「和食・日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産として登録された。湯木もことのほか喜んでいるに違いない。87歳の時には料理界初の文化功労者に選ばれた。湯木は茶道具の収集家としても知られ、1987年には大阪市内に「湯木美術館」も開館、初代館長を務めた。

 徳岡邦夫は湯木の次女の長男として生まれたが、実父は2歳の時に他界した。幼少期の遊び場は嵐山本店の厨房。20歳の時、祖父湯木のいる大阪の高麗橋店に住み込みで修業を始めた。95年、35歳で総料理長に就任する。その間、湯木の背中を追って育った徳岡は「今でも祖父のことは神さまだと思っている」。

 ただ「私は祖父の盛りつけを踏襲するつもりはありません。今の時代に合うように、器に新しい変化を求めていこうと思っています」という。「お客さまにどうしたら喜んでもらえるか――祖父は常にそのことを考えていました。私もその気持ちを忘れず、祖父と同じように新しい試みを続けていこうと思います」。徳岡はいま嵐山本店を含む京都吉兆の6店を統括する立場にある。「祖父が茶道で学んだもてなしの心――京都吉兆では今もしっかりと受け継がれています」。

 食品偽装が問題になっている最中、京都吉兆でも本書が出版された直後の昨年11月、カタログ販売していたローストビーフに結着剤が使われていたとして販売が取り止めになった。さらに製造委託先の食肉加工責任者の自殺騒ぎにまで発展した。本書で吉兆のお客様本位のもてなしの心に触れ感銘を受けていただけに、この一連の騒動が残念でならない。吉兆創業から80年余。嵐山本店が「ミシュランガイド」で三つ星になったことを喜ぶのもいいが、もう一度全社を挙げて湯木貞一の創業の精神に立ち返る必要があるのではないだろうか。


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