く~にゃん雑記帳

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<海龍王寺> 秘仏十一面観音立像など特別公開

2021年03月31日 | 美術

【光明皇后や弘法大師の写経なども】

 遣唐使の航海安全祈願の寺として信仰を集めた古刹、海龍王寺(奈良市法華寺町)で、秘仏の本尊十一面観音菩薩立像(重要文化財)などを特別公開する寺宝展が開かれている。光明皇后が書写した「自在王菩薩経」や弘法大師筆「隅寺写経」、文殊菩薩像(重文)、毘沙門天画像(同)、聖徳太子像なども公開中。このお寺は境内を彩るユキヤナギの寺としても知られるが、30日訪ねると花はすでに盛りを過ぎていた。その代わりソメイヨシノや枝垂れ桜が満開だった。

 海龍王寺は奈良時代初め藤原不比等邸の北東隅にあり、720年に不比等が没すると娘の光明皇后の〝皇后宮内寺院〟となった。本尊は桧の寄木造りで像高は約94cm。光明皇后が刻んだ像を基に鎌倉時代に慶派の仏師によって彫られた。肉身は金泥、衣は朱や緑青などで彩色され、切金で精緻な文様が施されている。お顔の赤い唇が印象的だ。本尊の左側には運慶作と伝わる文殊菩薩像や愛染明王像、右側には毘沙門天像などが安置されている。そのそばには毘沙門天画像も。

  

 光明皇后の「自在王菩薩経」は父不比等と母県犬養橘三千代の追善供養のために743年に書写されたもの。弘法大師の写経に関しては鎌倉初期の寺文書の中に「弘法大師が渡唐の無事を祈り、壱千巻の般若心経を書写・納経された」との記述があるという。聖徳太子像は2歳と7歳の頃のお姿を写したといわれる2体が公開されている。7歳像については江戸時代の什器帳に「聖徳太子像・御自作」と記されているそうだ。ちなみに今年は聖徳太子没後1400年の節目。太子が創建した法隆寺では4月3~5日1400年御聖諱(ごしょうき)法要が営まれる。

  

 本堂の左手にある西金堂(重文)は奈良時代に建立された建物で、堂内には国宝の五重小塔が安置されている。高さは4.01mで、均整のとれた精巧な造り。塔が小規模なのは皇后宮内寺院として敷地が限られていたため、2基の小塔を造って東西の両金堂に納めたのではないかと考えられている。東金堂は創建時から西金堂と向き合う形で立っていたが、明治の廃仏毀釈の影響を受けて失われ今では基壇の跡を残すのみ。春の特別公開は3月23日~4月7日に続いて5月1~9日にも行われる。


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