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く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<福井・三国> 江戸後期~明治初期、北前船交易で隆盛

2023年05月25日 | 旅・想い出写真館

【往時が偲ばれるレトロな町並み】

 九頭竜川の河口に位置する福井県坂井市三国町は古くから「越前三国湊」と呼ばれ、日本の十大港湾“三津七湊(さんしんしちそう)”の一つとして栄えた。とりわけ江戸後期~明治初期には北前船の寄港地として隆盛を極め、廻船問屋や豪商の商家が軒を連ねた。旧市街地の三国湊きたまえ通りには今も商家「旧岸名家住宅」や「坂井家住宅」、県内最古の鉄筋コンクリートの建物「旧森田銀行本店」などが立ち並んで、往時の栄華を偲ばせてくれる。

 岸名家は北前船交易で代々材木商を営んでいた三国湊を代表する商家の一つ。旧岸名家住宅は国登録有形文化財で、観光拠点「三国湊町家館」に隣接する(上の写真=手前が町家館、奥が旧岸名家)。坂井家住宅も三国の典型的な商家建築で、主屋と土蔵に九頭竜川に面した荷倉まで含めて国登録有形文化財。いずれも主屋の妻入り屋根の前面道路側に平入りの表屋を付けた“かぐら建て”という独特な建築様式が特徴だ。

 旧森田銀行本店は約100年前の1920年竣工で、西洋風のしゃれた外観を持つ。森田家は長く廻船業を営んでいた豪商だが、その後、海運業の衰退を予想し金融業に転換した。この近代的な建物の近くに樹齢300年ともいわれるタブノキの巨樹が立つ。廻船業で財を成した内田本家の庭に植えられていたというこのタブノキは三国湊の栄枯盛衰を見守り続けてきた。今では三国旧市街地のシンボルツリーになっている。

 三国にはかつて格式の高い2つの花街、「出村」(丸岡藩領)と「上八町(うわまち)」(福井藩領)があり、井原西鶴も「北国にまれな色里あり」と称した。福井を代表する民謡「三国節」の歌詞にも「三国女郎衆」「三国小女郎」「唄は上八町 情は出村」などが織り込まれている。出村界隈には今も見返り橋(写真㊦)、地蔵坂、思案橋など当時の遊里に因む地名が残っている。

 その近くに詩人三好達治(1900~64)が愛したという元料亭「たかだや」があった。達治は1944年から約5年間三国に滞在、その間に「花筐(はなかたみ)」「故郷の花」などを発表した。滞在中、頻繁に通ったのがこの料亭。達治は三国を去った後も三国を「心のふるさと」と懐かしんでいたそうだ。

 えちぜん鉄道三国駅を挟んで旧市街の反対側の高台に三国町のシンボル「みくに龍翔館」が立つ。五層八角の白亜の建物は北前船交易で繁盛した豪商たちが1879年に建てた龍翔小学校がモデル。1981年に旧三国町の郷土資料館として開館した。三国を訪れたのを機に館内を見学したかったが、あいにく改装のため休館中。坂井市全域を対象に歴史や文化を紹介する「坂井市龍翔博物館」として6月3日にリニューアルオープンするという。

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