く~にゃん雑記帳

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<小浜市㊤> 茶屋町などの伝統的な町並み「小浜西組」

2019年12月18日 | 旅・想い出写真館

【常高寺の山門と石段の間にJR小浜線のレールが!】

 福井県内には国の重要伝統的建造物群保存地区が2カ所ある。一つが「若狭町熊川宿」(1996年選定)、そしてもう一つが「小浜市小浜西組」(2008年選定)。この西組は主に茶屋町と商家町で構成し、多くが明治中期の1888年の大火以降の建築だが、丹後街道を中心とした古くからの町割を今に残す。〝ウナギの寝床〟のように間口が狭く奥行きが長い京風の間取りが多く、袖壁(袖うだつ)やベンガラ格子、若狭瓦などの伝統的な家屋も少なくない。

 小浜西組は飛鳥区、香取区、貴船区、浅間区、住吉区、鹿島区などから成り、これらの地名は全国の有名な神社に由来する。例えば飛鳥は奈良県の飛鳥坐(あすかにいます)神社から、香取は千葉県の香取神宮からといった具合だ。保存地区を代表するエリアが飛鳥~香取区の元茶屋町「三丁町(さんちょうまち)」界隈。猟師町・柳町・寺町の3つをまとめて三丁町と呼ばれたという。この地域には明治期の元料亭「蓬嶋楼(ほうとうろう)」や「町並みと食の館」(元料亭「酔月」)などがある。NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」でヒロインの祖母はこの三丁町の元芸妓という設定だった。

 

 飛鳥区には庚申堂があり、通り沿いの家屋の軒先には本尊青面金剛の使いの猿を模した魔除けのお守り〝身代わり猿〟が吊るされていた。その光景はまるで奈良市内の古い町並み「なら町」界隈にそっくり。保存地区内には大火を教訓に建てられたという西洋風建物の「白鳥会館」や「高島歯科医院」(いずれも国の登録文化財)、大正期の京町家風の「町並み保存資料館」などもあった。

 保存地区の南側一帯にはいくつもの寺院が並ぶ。その一つ、臨済宗妙心寺派の常高寺は浅井長政とお市の方(織田信長の妹)の次女で、小浜藩主京極高次の妻お初の方(常高院)が1630年に建立した。晩年を江戸で過ごしたお初がここに寺を建てたのは自らの心の拠りどころのほか、若くして非業の最期を遂げた両親の菩提を弔いたいとの思いもあったようだ。本堂にはお初の位牌を中心に、右側に夫京極高次、左側に両親の位牌が祀られていた。

 

 この常高寺の山門を見上げる参道の石階段もNHKの「ちりとてちん」のロケ地になった。ただ階段を上がっても山門に辿りつくことはできない。石段の上と山門の間にJR小浜線が走っているためだ。そのため寺に向かうには階段下を左折し線路をくぐって回り込まなければならない。参道の石段と山門とその間に横たわるレール。実に珍しい光景。階段下には親切に電車が通過する時刻表も掲示されていた。

 

 山門脇には俳人尾崎放哉(1885~1926)の句碑が立っていた。「浪音淋しく三味や免させて居る」。托鉢生活で各地を転々とした放哉は一時期をこの常高寺の寺男として過ごし多くの自由律俳句を残した。寺宝に常高院肖像画や自筆の墨書、書院を彩る狩野派の障壁画など。本堂裏手の庭園も紅葉が美しかった。

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