く~にゃん雑記帳

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<道後公園 湯築城跡> 中世の伊予国の政治・軍事拠点

2019年09月20日 | 旅・想い出写真館

【国史跡、日本100名城、日本の歴史公園100選】

 わが国最古の温泉といわれる道後温泉の南側に国の史跡「道後公園 湯築城跡(ゆづきじょうあと)」がある。広さは8.5ヘクタール。南北朝時代から戦国時代まで(14世紀前半~16世紀末)約250年間にわたって伊予国の守護だった河野氏の居城として政治・軍事・文化の拠点となった。往時の遺構が良好な状態で残り歴史的価値が高いとして2002年国の史跡に指定された。その後、日本100名城、日本の歴史公園100選にも選ばれている。

 湯築城は地形を利用して造られた平山城で、近世の城郭のような天守や石垣はない。築城当初は中央の丘陵部を利用した山城だったが、16世紀前半には外堀を築いて堀と土塁をそれぞれ二重に巡らせた平山城になったと推測されている。発掘調査で出土した建物の礎石や土塀の遺構から、内堀~外堀間の平地部西側が河野氏の家臣団居住区、東側が庭園区・上級武士居住区だったとみられる。西側の湯築城資料館のそばには復元した土塀や武家屋敷2棟があり、東側には上級武士居住区の遺構を平面表示した芝生広場、土塁内部の構造が分かる土塁展示室、ゴミ捨て穴の土坑などがある。

 

 出土したものには瀬戸、美濃、備前など国内はもとより外国製の陶磁器類も少なくない。その中には中国製の青磁、白磁、優雅な染付の青花磁器、高麗青磁なども。天目茶碗や風炉、茶釜など茶の湯に関わる道具類も多数出土した。資料館の展示品の中に、猫の足跡が皿の底にくっきり残った珍しい土師質土器があった。成形直後のまだ土が軟らかいうちに偶然足跡が付いたのだろうか。当時も話題を集めたに違いない。

 

 湯築城跡北側の一角には河野氏ゆかりの愛媛県指定文化財の「石造湯釜」(通称「湯釜薬師」)が展示されている。花崗岩製で直径約167cm、高さ約158cm。製造時期は奈良時代の天平勝宝年間(749~757年)ともいわれ、道後温泉本館で125年前まで湯の湧出口に設置されていたそうだ。湯釜上部の宝珠に刻まれた「南無阿弥陀仏」は鎌倉幕府御家人の河野通有(1250?~1311)が、河野氏一族で時宗の開祖一遍上人(属名河野時氏・通秀)に頼んで書いてもらったとされる。一遍上人は源平合戦で源氏方として功績を上げ伊予国の統率権を得た河野通信(1156~1222)の孫に当たる。湯釜本体には河野氏最後の当主河野通直(1564~87)の命によるという温泉の効験が刻まれている。(写真㊨は湯築城跡の土塁展示室)

 

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