く~にゃん雑記帳

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<BOOK> 朝日選書「髙田長老の法隆寺いま昔」

2018年01月15日 | BOOK

【髙田良信自伝、小滝ちひろ構成、朝日新聞出版発行】

 法隆寺の宝物や仏像を徹底的に調べ上げた『法隆寺昭和資財帳』(全15巻)の編纂など〝法隆寺学〟の確立に生涯を捧げた髙田良信長老(法隆寺第128世住職・聖徳宗第5代管長)。『私の法隆寺案内』『法隆寺の謎を解く』『法隆寺秘話』など一般向けの著作も多く、まさに学僧の名にふさわしい高僧だった。本書は小滝ちひろ氏(朝日新聞編集委員)が2016年の1月から年末まで計15回・約30時間にわたってインタビューしてまとめた髙田さんの半生の物語である。

       

 小僧として法隆寺に入ったのは1953年、12歳のとき。法隆寺ではその4年前の火災で焼損した金堂修理の真っ最中だった。地元の中学・高校に通いながら、境内で古い瓦を拾い集めたり天井裏に散在していた寺僧の位牌を調べたりした。〝瓦小僧〟という渾名を付けられ、後に自ら〝瓦礫法師〟と呼ぶように。こうした収集癖が後の昭和資財帳の編纂などにつながった。「私の『法隆寺学』は天井裏から始まった気がします」とも。天井裏から見つけたものの中に藤ノ木古墳の略図があった。髙田さんが「藤ノ木古墳=崇峻天皇陵説」を主張したのも、その図の中央に「崇峻天皇御廟」と記されていたことによる。

 昭和資財帳の編纂は1981年にスタートし、13年がかりで全15巻が完成した。その完成記念として全国5都市を巡回する「国宝法隆寺展」を開催、来場者は100万人を超えた。ただ「資財帳調査も単なる宝物調査ではなく、宝物類を法具として法会に生かすのが念願だった」。その言葉通り、中断していた様々な法会の復活に取り組んだ。慈恩大師(法相宗開祖)の遺徳を称える慈恩会、玄奘三蔵を偲ぶ三蔵会、お釈迦ざまの仏生会と涅槃会……。法要を復活するには趣旨を述べる「表白文」が必要だが、それらも全て自ら作った。法隆寺では過去にしていなかった仏様の〝お身ぬぐい〟も始めた。他にも百済観音堂の落成、寺紋の作製、『法隆寺史』の編纂、『法隆寺銘文集成』の刊行、法隆寺夏季講座の開催など、功績を数え上げるとまさに枚挙に暇がない。

 小滝氏によるインタビュー時、髙田さんは肺気腫のため酸素ボンベが手放せなくなっていた。書籍の出版計画を伝えると喜んでいたそうだが、2017年4月帰らぬ人に。享年76。本書が発行されたのはその半年後の10月だった。長女聖子(しょうこ)さんは「法隆寺の新たな資料や新事実を発見したときの、キラキラと少年のように目を輝かせて、喜びが身体から溢れでて止まらない様子は、娘の私も羨ましいほど輝いていました」と本書の「あとがきにかえて」に記す。棺の中で酸素チューブを外した髙田さんは「とても楽しそうで(略)生き生きとした立派な死顔」だったという。聖子さんは「劇団☆新感線」に所属する女優。髙田さんは俳優になることをなかなか認めなかったそうだが、今や劇団の看板として舞台・テレビ・映画で活躍中。2016年には優れた舞台人に贈られる「紀伊國屋演劇賞」個人賞を受賞した。

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