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く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<琉球アサガオ> 見よ!この脅威の繁殖力 滝のように下って道を覆い尽くす

2012年10月06日 | アンビリバボー

【緑のカーテンに最適らしいが、こうなるともう雑草状態!】

 深い青紫色の花が印象的な琉球アサガオ。もともと熱帯~亜熱帯育ちとあって、なかなか情熱的だ。だが、その旺盛な繁殖力はまさに「アンビリバボー!」。7月ごろから霜が降りる11月末ごろまで花を咲かせ続けるが、特に草勢が盛んなのが10月のこの時期。この先が行き止まりで人が通らないのをいいことに、幅4mほどの道を毎年わが物顔で埋め尽くす。高さ3~4mのブロック壁からもまるで滝のように下り、また上っていく。このアサガオ、もともとは上の庭で栽培されていたものが勢力範囲を広げているらしい。

 琉球アサガオはヒルガオ科の多年草。沖縄原産のノアサガオの園芸品種といわれる。園芸店では宿根アサガオや西表アサガオ、ケープタウンアサガオ、オーシャンブルーといった名前で販売されている。1年草の一般的なアサガオに比べ、強健で花期が長く葉も大きいため、日除け用の〝緑のカーテン〟として人気を集めているそうだ。だけど、これほど繁殖すると時々〝監視〟も必要になってくる。油断すると、ランナー(つる)を伸ばし近くにあるアジサイの枝にからまって覆いかぶさってくるのだ。琉球アサガオ、恐るべし!

  

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<大阪・中大江公園2題> 日本ミツバチが営巣! ハトの変死体相次ぐ!

2012年09月28日 | アンビリバボー

※9月7~20日の分を「く~にゃん雑記帳Ⅱ」(http://blog.livedoor.jp/kenken1948/)に掲載しています。

【「巣に近寄らないで」と囲い、近くには滑り台も】

 大阪市中央区の「中大江公園」が2つの話題で沸騰している。一つは日本ミツバチが大きな木の根元の空洞に営巣、ハチがブンブン飛び交っていること、もう一つは最近、人の手によって傷つけられたとみられるハトの変死体が相次いで見つかっていること。すぐそばには小学校や大阪商工会議所があり、まさに大阪のど真ん中。警察や大阪市は公園利用者や地域住民に注意を呼びかけている。

  

 ハチの巣が見つかった木の根元周辺は、公園に来た人たちが近づかないように緑のプラスチックのフェンスで囲っている。さらに「日本ミツバチの巣がありますので、いたずら等で刺激しないように近寄らないでください」と注意を喚起する張り紙。連絡先として「東部方面公園事務所」と電話番号を記している。幅20cmぐらいの空洞からはハチがひっきりなしに出たり入ったり。せっせと蜜を集めてきているのだろう。そのそばには滑り台などがある児童広場。

   

 9月から10月にかけてのこの頃は、ちょうどハチのコロニー(巣)が最盛期を迎える時期。巣の中の幼虫やサナギを守ろうと攻撃的になっているから要注意だ。ただミツバチはよほどのことがないと人を攻撃しない。万一刺されたら、すぐにハチの針を抜いたうえ水で洗い流すこと。怖いのはミツバチの巣を襲うことがあるスズメバチがやって来ることだ。スズメバチに刺されると、時に呼吸困難などの急性症状「アナフィラキシーショック」を起こして死に至ることもある。1回目に刺された時より2回目が危ない。

 2010年には全国で20人、11年には16人がハチの犠牲になっている。その多くがスズメバチによる。関西では一昨年、和歌山で飼育中のミツバチを襲ってきたオオスズメバチを追い払おうとして刺された男性が亡くなり、昨年は兵庫県篠山市で草刈り中の男性がキイロスズメバチに襲われ亡くなった。今年も8月に滋賀県米原市でスズメバチの巣を駆除しようとした男性が刺されショック死している。

 ハチから身を守るためには、巣のそばで大声を出したり振動を与えたりしないこと。とにかく巣に近づかないことが一番だ。スズメバチなどが近くに飛んできたら静かにやり過ごす。手や棒で追い払おうとすると、逆にハチを興奮させるため逆効果。ハチは黒いものを攻撃する習性がある。このためハイキングなど野山に出かける時には白っぽい帽子や長袖・長ズボンが無難。香水や整髪料はハチの警戒フェロモン(仲間に知らせる匂い)に似た揮発性物質が含まれ、その香りがハチを引き付けることがあるため、避けたほうがいいそうだ。

 【ハトの死骸、〝猟奇的犯行〟へのエスカレートを懸念】

 中大江公園の入り口など数箇所に「お願い」というタイトルで大阪府警東警察署の張り紙がある。それによると「どう見ても〝人の手によるもの〟と言わざるを得ない」傷つけられたハトの死骸が最近相次いで見つかった。これが「今後〝猟奇的犯行〟につながらないとも限らない」として、夜中から朝方にかけて不審な行動、または不審人物を見かけたら、すぐに警察に一報するよう呼びかけている。この一件を知人に話したところ、なんと「2カ月ほど前、首から上のないハトを見た」というではないか。場所はこの公園から北へ約400mの北大江公園のそば。そのハトをカラスが突っついていたという。

   

 小動物の変死体といえば、今年5月以降、兵庫県下で続発している。加古川市や高砂市で首を切断されたキジバトや、首や腹を切られたネコが相次いで見つかり、姫路市の私立中高一貫校の通用門そばには刃物で切断されたカラスやサギの首が放置された。さらに7月には同じ姫路市の商店街で、胴を切断されたネコの死骸……。警察が動物愛護法違反などの疑いで調べているが、一体どんな人物がこんなむごいことをやっているのだろうか。

 中大江公園では毎年春に桜まつり、夏には盆踊りが行われ、住民でつくる公園愛護会のメンバーはいつも清掃や水やりもやっている。地域住民にとってはかけがえのない交流と憩いの場だ。それだけにこの不気味なハト騒動が一刻も早く収まって、元の平穏な公園に戻ってほしい――。皆さん、心からそう願っているのではないだろうか。

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<兼六園の根上がり松> 奇観の〝根張り〟に生命の躍動美!

2012年08月29日 | アンビリバボー

【加賀金沢藩13代藩主お手植え、盛り土除いて人為的に】

 本来なら地中にあるべき松の根っこ四十数本が地上2mほど競り上がっている。その構図はまさに奇観そのもの。金沢・兼六園の園内には松の木が約800本もあるが、その中でも1、2を争う黒松の名木だ。加賀藩13代藩主の前田斉泰(なりやす)のお手植えと伝えられる。

   

 根上がりの松は全国各地にある。浜松市、静岡県牧之原市、福井県美浜町、和歌山市、香川県観音寺市、……。その多くは長年の風雪や波によって根元の土砂が浸食されて根上がりになった。一方、兼六園のこの松は人為的に仕立て上げられた。盛り土に若木を植え、根付くと少しずつ土を取り除いた結果、今のような壮観な立ち姿になった。

 大地をどっしり踏みしめた根上がり松は力感がみなぎり、生命のたくましさを物語る。京都・伏見稲荷大社にも根上がりの名松があったが、今は枯れてその根だけが「奇妙大明神」として大切に祭られている。2股になったその形から「膝松さん」とも呼ばれ、根元をくぐると足腰の病に霊験あらたかとか。根上がりは値上がりに通じ縁起がいいと株価や給料のアップなどを祈願する参拝者も多いそうだ。

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<玉桂寺のコウヤマキ> 「世界一の霊木」 2本の親株が65株にも!

2012年08月25日 | アンビリバボー

【弘法大師の御手植え? 樹齢は600年とも】

 コウヤマキ(高野槙)は日本と韓国・済州島に自生する1属1種の常緑針葉樹。名前の由来は高野山に多く生えていることによる。2006年にお生まれになった秋篠宮悠仁親王のお印になったことでも知られる。そのコウヤマキが圧倒的な存在感をもって群生しているお寺がある。滋賀県甲賀市信楽町の玉桂寺(ぎょっけいじ)。本堂に続く石段の両側に65株ものコウヤマキが密集して林立している。

 もともとは左右にそれぞれ1株植えた親株から繁殖したという。とりわけ本堂に向かって左手には43株(うち5株は枯れ死)が亭々とそびえ立ち、その様は壮観そのもの。最も高いものは31.5m、樹幹周囲は6.1mにも達する。玉桂寺は「世界一の霊木」と自負し、滋賀県は1974年、コウヤマキが繁殖する広さ425㎡を天然記念物に指定した。このため、その周りにロープを張って立ち入り禁止にしている。

 玉桂寺は奈良時代末期に、淳仁天皇が造営した離宮「保良宮」の跡に空海(弘法大師、774~835年)が一堂を建立したのが始まり。寺伝では空海は天皇供養のため、中国から持ち帰ったコウヤマキ2株を植えたという。ただ、現存するコウヤマキの樹齢は600年ほどともいわれる。同寺は「ぼけ封じ三十三観音第5番」で、毎月21日は「弘法さんの日」。とりわけ秋季大会式が行われる9月21日は毎年多くの参拝者でにぎわうそうだ。

 

 

 国内にはコウヤマキの老木・名木が各地の寺や神社などに存在する。愛知県新城市・甘泉寺と宮城県大崎市・祇劫寺のコウヤマキは国指定の天然記念物。福島県西会津町・鳥迫観音妙法寺のものは樹齢1200年ともいわれる。このほかにも京都・槙尾の西明寺、埼玉県新座市・平林寺、栃木県益子町の西明寺、日光・二荒山神社、北茨城市・花園神社などのコウヤマキも推定樹齢が600年を超える。ただ、そのほとんどは独立した大木。玉桂寺のように境内の狭い範囲に群生しているコウヤマキは珍しいようだ。

 では、どのようにして株が増えたのだろうか。境内の一角にあったコウヤマキの説明文には「もとは各1株を植えたものから、下枝がイチゴやユキノシタのように地について根を下ろして新株となり繁殖したもの」とあった。お寺が作成したものと思われるが、コウヤマキは果たしてそんなふうに増殖していくものだろうか。滋賀県教委が作った別の説明文には「親株から種により円状に繁殖し、第2世代、第3世代の新株が生まれた」とあった。いずれにしても玉桂寺のコウヤマキがこれからも風雪に耐え、落雷の被害に遭わないで豊かな緑を湛えてくれることを願うばかりだ。

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<丹波亀山藩城下町の「惣割勘定帳」>江戸中期の〝自治会史〟70年間分 京都の古文書研究家が発見!

2012年08月19日 | アンビリバボー

【大石内蔵助の石塔建立のため山科に寄付の記載も】

 江戸時代中期の丹波亀山藩城下町(京都府亀岡市)の古文書「惣割(そうわり)勘定帳」が約70年間分そっくり見つかった。厚さ10cm前後の勘定帳が2冊。これだけ長期にわたる江戸期の惣(自治組織)の活動内容を記した古文書が見つかったのは国内で初めてとみられる。草木染の染色家で古文書研究家の上田寿一さん(京都市左京区大原)が京都市内の古書店で発見した。上田さん本人が読み下しに取り組んでおり、18日、亀岡市東竪町の自治会会議所でその中間報告会があった。記載された町名の大半は今も現存しており、200年以上前の町衆の活動の様子がくっきりと現代に蘇ってきた。

  

【1764~1835年、戸数や活動内容などを詳細に記載】

 見つかった勘定帳は明和元年(1764年)から天保6年(1835年)までの72年間分。町名や戸数、活動内容、各種取り決め、収支報告書などが和紙1枚1枚に毛筆で詳細に書かれており、当時の町衆の生活の一端を浮き彫りにしている。中には山科に大石内蔵助の石塔建立のために寄付した金額を記載されたくだりもあった。毎年、町名ごとに軒数が記入されているが、明和元年は21町合わせて959軒になっている。呉服町・紺屋町・京町・本町などほとんどの町名は今と同じ。ただ当時の亀山藩の城下町は武家衆と町衆が混住しており、軒数が町衆のみか、あるいは町衆と武家衆の合計かは今のところ不明という。

 明和元年から約5年分の勘定帳を調べると、活動内容には①宗旨人別調べ②町人に課せられる夫役の夫銀集金③殿様の送迎④殿様や町惣代・町子頭への礼銭(盆・暮れの挨拶代)⑤行き倒れ者らの世話⑥会所の修理や惣割寄り合い――などがあった。それらの総費用を軒数で割って集金しており、明和元年は1軒につき1匁(もんめ、1匁は小判1両の60分の1)、翌年は1匁2分になっていた。

【戸籍調べには6年に1回寺社奉行も出席、費用は全て町側の負担】

 宗旨人別調べはいわば年1回の戸籍調べで、上田さんによると12年に2回(子午年)の大改(おおあらため)のほか、中改、小改があったという。大改の場合、藩から役人の手代、下手代のほか寺社奉行自ら出席し、現存する正誓寺や地蔵堂などに町衆が全員集められ帳面と照合し間違いがないかなどを4日間かけて点検したそうだ。奉行への謝礼などそれにかかる諸費用は全て自治組織持ち。町の財政が苦しい時には大改を中改に変えてもらった年があったことも分かった。

 勘定帳には「覚(おぼえ)」として詳細な取り決めも記していた。何か出費がある場合、有力者に立て替えてもらい、年度末の精算までの間の利息を払う。その仮払いを「控(ひかえ)」と呼び、「覚」は「控銀利息」として「月1分2厘とするが、小物の分は無利子とする」と定めている。上田さんは「江戸時代、幕府は年2割の利息を限度としていた。勘定帳の控銀利息からも金利は今とあまり変わらないことが分かる」という。

【1年間の主な出来事が分かる収支報告書】

 「覚」には「役人の御見分の時、昼食夕食は軽いものとし、その費用は15匁以内」「役人より無心があった時、正当なもので100~150匁であれば、名主相談の上、半分は惣割勘定に入れてもよい」といったことも明記していた。行き倒れ人があった場合は「すぐ役人に知らせ、もし死亡した時は差図(さしず)を受け、名主立ち会いの上処置する。費用の半分は惣割勘定へ入れること」。藩外から来て行き倒れで亡くなる人は多い年には約20人に上ったという。

 明和元年の収支報告書を見ると「殿様献上干し鯛50枚代 100匁」「殿様ご病気に付き矢田護摩代 3匁」「殿様御葬礼(11月20日没)道作り人足賃」などの項目があった。朝鮮通信使の接待に関する記述も見られる。報告書からは1年間の主な出来事なども分かるというわけだ

 

【都名所図会にも山科に内蔵助の古蹟】 

 忠臣蔵の大石内蔵助の石塔については、寛政8年(1796年)10月の項に「拾五匁五分 京山志奈 大石蔵之助 石塔勧化」(上の写真㊧)という記載が見つかった。勧化(かんげ)は堂塔を建立・修理するために寄付を募ること。内蔵助は討ち入りの前の1年余り山科に隠れ住んだ。討ち入りが1702年、切腹し果てたのが翌03年だから、寄付は90年余り後のことになる。「拾遺都名所図会」(写真㊨)にも「山科大石古蹟」として石碑が描かれている。ただ、この図会が作製されたのは寄付した年より前に遡る。上田さんは「もっと詳しく検証する必要があるが、石塔完成後に寄付のお願いがあったのかもしれない」と話す。

 上田さんは約10年前に自ら設立した「大原古文書研究会」の代表を務める。古文書を読みこなすのは素人にとって容易ではないが、「丹念に繰り返し目を通すと判読できようになる」という。「惣割勘定帳」は亀岡市東竪町の古文書解読講座の講師を務めていた縁もあって、古書店で目に止まって購入した。「古文書を読むということは現代にどうつながっているかということを探ること」と上田さん。これまでに勘定帳の半分強の40年分に目を通したという。解読が進むと、またサプライズの新事実が浮かび上がってくるかもしれない。

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<奈良・猿沢池> 「アンビリバボー」 亀が鳩を水中に引きずり込んで食べた!

2012年08月12日 | アンビリバボー

【市民・観光客憩いの場の眼前で残酷な生存競争!】

 猿沢池といえば奈良観光の名所の一つ。興福寺の五重塔や水辺の柳が水面に映えて情緒たっぷり。市民の憩いの場にもなっている。春にはコイやフナを放つ興福寺の「放生会」(ほうじょうえ)、中秋の名月には優雅な「采女祭」(うねめまつり)も行われる大切な場所だ。

 そんな長閑な中で11日、信じられない光景が繰り広げられた。亀が水を飲んでいた鳩を水中に引きずり込み溺れさせたうえ、寄ってたかって羽をむしり食べてしまったのだ。1羽が犠牲になった直後、別の1羽も危ないところだったが、必死の抵抗でどうにか助かった。

 その残酷な光景が繰り広げられたのは11日の午後4時すぎ。木のベンチに座って甲羅干しする亀を見ていたところ、飛んできた鳩が水面に足を少し入れて水を飲み始めた。その直後、鳩が羽をバタバタさせ、そのうち水没。しばらくして左右の羽を上に広げ逆立ちの格好で浮かんできた。全く動かなかった。その間30秒余り。突然の出来事だった。〝犯人〟は亀に違いない! そう思って見ていると、亀が何匹も集まってその鳩をつつき始めた。見る見るうちに鳩の羽根が何枚も水面に浮かぶ。

 周りのベンチには数人の男女がいたが、話に夢中でその出来事に気づいた人は他にいないようだった。通りすがりの男女が「亀が何か食べているね」と言ったので、顛末を教えてあげると、その女性は「えっ!」と言ったまま絶句。それもそうだろう。そんな残酷物語が真っ昼間に眼前で繰り広げられるなど誰も想像できないに違いない。私自身、これまで何度も猿沢池に来ているが、こんな光景を目撃したのはこれが初めてだった。

 しかもそれだけで終わらなかった。しばらくして別の鳩が同じように犠牲になりかかったのだ。水中に引きずり込まれ、羽をバタバタさせもがき続ける。もうだめか。そう思った瞬間、いつも亀が甲羅干ししている浮島に上がってきた。だが、びしょぬれで呆然としたままで身動きができない(上の写真㊨)。その鳩のそばに別の鳩が飛んできて上にのしかかった。犠牲になりかけたこの鳩はメスだったらしい。その後、ゆっくり歩いたが、亀に足をかまれて怪我をしたのか、ヨタヨタしてうまく歩くことができなかった。

 猿沢池では亀が増え続けているという。十数年前の改修工事の際の調査では、日本固有のイシガメやクサガメをはじめアカミミガメ、スッポン、カミツキガメなど9種類が確認された。その中でもペットの「ミドリガメ」として輸入されてきたアカミミガメが急増しているという。大きくなってペットとして飼えないからという理由で、猿沢池に捨てる人が絶えないそうだ。

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