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く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<春日大社の鼉太鼓> 目を瞠るほどの巨大さと煌びやかさ!

2015年02月07日 | アンビリバボー

【宝物殿改修のため奈良県立万葉文化館に移して公開中】

 鎌倉時代に源頼朝が寄進したといわれる春日大社所蔵の「鼉太鼓(だだいこ)」(重要文化財)の複製1対が、奈良県立万葉文化館(明日香村)で公開されている。春日大社の式年造替に伴い宝物殿の改修工事が始まるため、同文化館の展望ロビーに移されたもの。以前「春日若宮おん祭」の御旅所で遠くから拝見したことはあったが、今回間近で目にして、その巨大さと煌びやかさに改めて驚かされた。

 鼉太鼓は舞楽演奏に用いる楽器の一種。その形から火焔太鼓とも呼ばれる。春日大社のものは高さが6.5mもあり、大阪・四天王寺所蔵のものに並ぶ大きさという。頼朝寄進という伝承があり、約40年前までおん祭で使われていたが、傷みが激しいため1976年に数年がかりで複製、本来の極彩色を取り戻した。万葉文化館には昨年12月のおん祭終了直後に4㌧トラック4台で運び込まれた。

 

 桶造りの胴の両側に牛革製の鼓面が取り付けられ、その周りは陰陽思想に基づいて左方(陽)に龍、右方(陰)に鳳凰が彫刻されている。鼓面の模様も左方が三つ巴なのに対し右方は二つ巴。合計4面の鼓面にはそれぞれ大きな牛の革が1頭分ずつ使われたそうだ。本来ならそれぞれの火焔模様の上部に金色銀色の太陽をかたどったような飾りが載るが、スペースの関係で台座の下に収納されているという。

 

 春日大社の式年造替は20年に1度。第60次に当たる今回は今年3月27日に仮殿遷座祭、来年11月6日に天皇のお使いを迎えて本殿遷座祭が執り行われる。それに併せ宝物殿も改築するもので、改築後には1~2階の吹き抜け空間にこの鼉太鼓が収蔵展示される予定。万葉文化館が預かるのは来年6月末まで。このため、今年12月のおん祭ではここから鼉太鼓が御旅所まで運ばれ、また戻ってくることになる。(鼉太鼓の「鼉」はオオトカゲあるいはワニを意味するとか)

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<橿原市昆虫館> アトラスオオカブト、3日に羽化!

2014年12月05日 | アンビリバボー

【やや小型のオス、しばらくはこのまま休眠】

 4日久しぶりに橿原市昆虫館へ。目的は様々な蝶が舞う「放蝶温室」。館内に入って温室に向かう途中、左手の生態展示コーナーで餌を食べるヘラクレスオオカブトが目に入った。と、そのそばに「ここに注目!」というカラフルな文字の張り紙。その下に「アトラスオオカブト 12/3に羽化しました」とあった。

 

 3日といえば1日前。上から透明容器の中をのぞき込むと、身動き1つせず眠っているようだった。お尻の後ろ側には脱いだ抜け殻も。羽化直後に白かったはずの背中の羽根は、既にすっかり黒光りする色に変わっていた。職員さんに伺うと「やや小型のオス」。アトラスオオカブトの羽化はこれまでにも数回あったという。羽化後、成熟し活動できるようになるまで休眠するため、しばらくこのままで見学できるそうだ。

 

 アトラスオオカブトの生息地はフィリピンやインドネシアなどの東南アジア。名前はギリシャ神話に出てくる巨人アトラスに由来し、オスの3本の長い角に特徴がある。寿命は3~4カ月と在来の国産カブトムシよりやや長い程度。最近では大量に輸入され価格もひところより随分安くなったため、卵を産ませて幼虫飼育に取り組む人も増えてきたという。

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<きよめの滝> 大神神社のそばに隠れ家のような〝お接待〟スポット!

2014年11月17日 | アンビリバボー

【「山辺の道」との分岐からわずか徒歩3分余り】

 16日、久しぶりに大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)に参拝した。日本最古の神社の1つで、背後の三輪山をご神体とする。拝殿でお山に向かって拝んだ後、白蛇が棲むという「巳(み)の神杉」、祈祷殿、宝物収蔵庫、摂社の狭井(さい)神社などを巡る。その後、狭井神社の鳥居を右手に折れ、緩やかな山道を登ると行場の「きよめの滝」と「辰五郎大明神」があった。そこは隠れ家のような〝お接待スポット〟だった。

 

 場所は市杵島姫(いちきしまひめ)神社の池の裏手の山道を3~4分ほど歩いた所。分岐で道を逆の左に取ると「山辺の道」で石上(いそのかみ)神宮(天理市)に到る。山道の左側では水路の工事中だった。右側には赤いよだれ掛けをした地蔵菩薩や小さな祠の「菊龍大神」、お不動さんが並ぶ。菊龍大神の中をのぞくと、とぐろを巻いた白い蛇が絡み合うように祀られていた。

 「きよめの滝」には茶店風の一軒家があった。ガラス戸が開けられ、電気もついたままだが、どなたも居られない様子。貼り紙にこう書かれていた。「初めて訪れてくださった方 なんらかのご縁があって訪れてくださったことを嬉しく思います……高い所まで登って来てもらったことの御礼に、お茶の無料接待をしています」。そばの石段を下りていくと、4~5mの高さから水が落下する行場があった。注連縄が張られ、緑色のバケツが水を受け止めていた。滝の裏手に赤い鳥居が林立する「辰五郎大明神」が鎮座していた。辰五郎って? 入り口両脇には巻物と宝珠をくわえたお狐さん。ということは商売繁盛のお稲荷さんだろうか。

 

 

 ゆっくり回って山道を下り始めたところで、登ってくる1人のご婦人に会った。「きよめの滝」を管理している村上道代さん(昭和21年生まれ)だった。「お茶でもいかがですか」。お言葉に甘えて戻ると、温かいコーヒーと茹で卵が出てきた。早速、辰五郎についてお話を伺った。それによると、この人物はどうも江戸時代の大坂の豪商、淀屋の5代目らしい。淀屋といえば淀屋橋に名を留め、淀屋辰五郎は幕府によって闕所(けっしょ=財産没収)処分にされたことで知られる。諸大名に大金を貸し付けるなど、その莫大な財力が幕府に目を付けられたともいわれる。

 行場には夏場を中心にお山に登る前に身を清めたり、山から下りてきて滝に打たれる人がいるそうだ。大阪方面から毎月決まった日の夜間に訪ねてくるグループもあるという。山道の途中に祀られた「菊龍大神」のことから、蛇についてもお話を伺った。この辺りではよく大きな蛇を見かけ、抜け殻も多いとのこと。長さが2mほどあるというから、アオダイショウだろうか。最初は怖かったが、最近は慣れてしまったとのこと。訪ねてくる常連からは「お守りにするから抜け殻を見つけたら、取っておいて」と頼まれているという。

 

 室内に「長寿の心得」が貼られていた。「還暦 六十才でお迎えの来た時は只今留守と言へ」「古稀 七十才でお迎えの来た時はまだまだ早いと言へ」……。お話は健康問題などにも及んでつい長居し、気がつくと約1時間が過ぎていた。いいお話を伺ったうえ、帰り際には「みんなの行場 きよめの滝」と緑色で印字されたタオルまで頂いた。心がほっこりと癒されるひと時だった。帰途、小高い丘から望んだ夕暮れの二上山や大和三山が実に美しかった(写真左端の山は耳成山)。17日午前中には「全国豊かな海づくり大会」で来県中の天皇・皇后両陛下が大神神社を参拝されるという。 

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<哲学の道> ネコ・ネコ・ネコ、屋根付きワゴン車内でスヤスヤお眠り!

2014年11月13日 | アンビリバボー

【10匹余が押しくらまんじゅう、ネコ好きの観光スポットに】

 久しぶりに京都の「哲学の道」を歩いた。疎水の流れとは逆に北の銀閣寺橋から南へ。平日の午後。散策する人はさほど多くないが、海外からのお客さんの姿が目立つ。〝終点〟の若王子橋に近づいた時、アンビリバボーの光景に遭遇! 欧米の街角で見かけるようなワゴン車の中でネコが昼寝をしていた。その数が半端じゃない。前に大きなネコが2匹、後ろには10匹余りの子ネコたちが押しくらまんじゅう状態で気持ち良さそうに昼寝していた。

 「なに、これ!」「生きているよねえ」――。観光客が次々に集まっては携帯などで写真に収めていく。近くの路上やベンチ脇にも何匹ものネコがいた。と、ワゴンから一匹のネコが飛び出した。続けとばかりにネコたちが次々にレンガ造りの塀の上にジャンプし路上に下り立つ。その先では自転車でやって来た若い男性がキャットフードをやり始めていた。十数匹いたワゴンの中はいつの間にか空っぽに。

 

 膝の上に三毛猫を乗せ撫でている男性がいた。話を伺うと、台湾・高雄出身の30歳の方で、最初ここに来たのは日本語学校に通っていた3年前という。今は京都のホテルで働いているが、休日を中心に週に2~3回は来ているそうだ。この日はネコ用の缶詰3個と大きな袋入りのキャットフードを持参していた。自宅でもネコを1匹飼っているという。「ここはネコ好きにとって楽園。いつも癒されています」と話していた。どのネコも毛並みが良く、栄養状態も良さそう。餌や水に不自由せず、みんなに可愛がってもらえる。ネコたちにとっても楽園なのだろう。

 

  

 その男性によると、ネコたちは哲学の道から階段を下った所にあった古い喫茶店をねぐらにしているらしい。そういえば、ワゴンの前に「憩いの喫茶店 若王子」という看板が立ち、ワゴンにも「本日は休ませて戴きます」という表示がそのまま掛かっていた。その「休ませて戴きます」の表示の下でぐっすり休むネコたちの姿がなんとも微笑ましい。

 ネット情報によると、その喫茶店を経営していたのは俳優の栗塚旭さん(1937年生まれ)。『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』などテレビや映画、舞台で長年活躍している、あの栗塚さんだ。自宅として購入した敷地の一角で1972年に開店し、観光客の人気を集めていた。だが、店を手伝っていた義姉の死去などもあって12年前の2002年に休業したという。ネコ好きを中心に〝ネコスポット〟として注目を集める場所だけに、その店が廃業状態のままなのは少々惜しいような気もする。

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<布目川の甌穴群> 円形の不思議なくぼみ「できるまでに数十万年!」

2014年11月08日 | アンビリバボー

【木津川の支流、地元笠置町の呼び名は「九つ壺」】

 木津川の支流・布目川(京都府笠置町)に、自然が長大な時間をかけて造り上げた「甌穴群(おうけつぐん)」というものがあると聞き、早速出かけた。笠置大橋のたもとから川岸に下り、JR関西線と並行する東海自然歩道を歩くこと30分余り。白い岩肌の中に人工的に刳り抜いたような直径1.5mほどのまん丸いくぼみ「甌穴」があった。

 

 あまり聞きなれない「甌穴」を辞書で引くと――「河床や海岸の岩盤のくぼみに入った小石や岩石の破片が、渦流によって回転しながら、岩盤に掘った丸い穴」(日本語大辞典)。英語では「pot hole(ポットホール)」と呼ぶそうだ。布目川の甌穴群のそばに立つ看板にも同じような説明に続いて「この辺りの河床は非常に堅い花崗岩で成り立ち、このような所に出来るものは珍しく穴が出来るまでには数十万年から数百万年かかるものと推定されています」とあった。えっ、数百万年! 想像も及ばない長い時間。

 

 

 甌穴群がある場所は布目川水力発電所のすぐ上流側。「京都の自然二百選 布目川」という四角柱を過ぎると、まもなく「甌穴群」の看板が立っていた。そばの階段を下りて川岸を見渡すと、程なく直径1.5mほどのくぼみが見つかった。その近くにも同じぐらいの大きさの穴。その中には丸く削られたような石が1つ入っていた。一帯には甌穴が大小9つあるらしく、地元の人たちは古くから「九つ壺」と呼んできたという。

 改めて甌穴について調べてみると、奈良県でも吉野川・宮滝(吉野町)にあることが判明。さらに全国的には愛媛・柳谷渓谷の「八釜の甌穴群」が国の特別天然記念物に指定されているのをはじめ、群馬・四万川(しまがわ)、長野・寝覚の床、岐阜・飛水峡、大分・耶馬溪猿飛千壺峡など各地で見られることが分かった。自然は永年掛けて造り上げた渓谷美の中に、さらに甌穴という不思議なデザインも刻み込んでいた。

 

 甌穴群探訪のおかげで新しい発見もあった。笠置大橋に近い木津川河川敷には巨岩がゴロゴロ。岩登り「ボルダリング」のメッカになっており、何組もの男女が巨岩に挑戦していた。ネットの「笠置ボルダーマップ」をのぞくと、30余の巨岩1つ1つに「ゾウ岩」「おむすび岩」「バカボン岩」などの名前が付けられていた。もう1つの発見はカヌー。川岸に「遊びカヌー発祥の地」という真新しい石碑が立っていた。碑文によると、建てたのは日本カヌー普及協会で1年前の昨年9月に建立。11月はオフシーズンと思いきや、甌穴群に向かう途中、眼下の木津川で1人カヌーを操る男性がいた。

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<和束天満宮> 奇跡の石「ハチマキ石」と「絆の石」が本殿前に鎮座!

2014年11月05日 | アンビリバボー

【3年前に境内で発見された「天神様の贈り物」】

 京都府相楽郡和束町の鎮守社「和束天満宮」。室町時代の社殿建築様式を残す彩色鮮やかな本殿は国の重要文化財に指定されている。その本殿手前向かって左手には天満宮らしく神牛が飾られている。ところが右手の置き物はなんと不思議な模様の2つの石で、小さな檻(おり)のような箱の中に〝鎮座〟していた。

 

 和束天満宮は京都府道5号木津信楽線沿いにある。983年に京都・北野天満宮より円融天皇の勧請で菅原道真公を祀ったのが始まり。本殿は南北朝の兵乱で1336年に焼失したが、その12年後には再建された。一間社流造りで、唐破風付きの拝殿に併設された赤い鳥居をくぐると、すぐ本殿に突き当たる。拝殿には日清戦争への地元出征者名を列挙した「征清紀念」という奉納板も掲げられていた。

 

 

 石が納められた箱の上には「奇跡」と銘打って、こんな説明が添えられていた。「四六億年前のヘドロとマグマの化石 天満宮境内から天神様の贈り物 ハチマキ石と絆の石 御神徳を戴いて出現 世の人々のために元気を与え絆を深めて 願い叶え給え」。ハチマキ石が右側で、絆石が左側ということだろう。黒い石の表面に金色に輝く模様。なんとも不思議な造形だ。

 

 これらの〝奇石〟が見つかったのは2011年8月というから、まだそんなに古い話でもない。それまで本殿向かって右手前には左側の神牛と向き合う形で神牛が置かれていたようだ。府道を跨ぐ朱塗りの橋を渡ると、鬱蒼とした社叢が広がる。その森閑とした中に春日神社や梅宮神社の本殿(上の写真=いずれも京都府指定文化財)などの摂社が鎮座する。普段訪れる人は少ないが、山城地区の新パワースポットとして注目を集め始めるかもしれない。 

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<アンビリバボー> 桜実神社(宇陀市)の「八ツ房杉」 巨大!奇態! 

2014年10月27日 | アンビリバボー

【国指定の天然記念物、神武天皇お手植えの伝承も】

 杉といえば天に向かって直立するものとばかり思っていた。だが、この異様な樹形の杉によって、そんなイメージが打ち砕かれた。奈良県宇陀市菟田野佐倉の桜実(さくらみ)神社境内にある「八ツ房杉」。1カ所から何本もの太い幹が斜めに伸びて絡まりあう。中にはまるで大蛇のように地を這う幹もあった。

 八ツ房杉は国の天然記念物に指定されている。伝承によると、神武天皇が大和平定のため近くの「菟田の高城(うだのたかぎ)」に陣を張った際に植えたという。日本最初の城として古事記などにも登場する高城は桜実神社に向かう途中の丘陵にある。伝承を信じるとしたら、この杉の樹齢は一体どのくらいになるのだろうか。1800年? 2600年?

 

 案内板によると、大きさは「樹高14m、樹幹周囲9m」。八ツ房杉の由来は「八つの幹が巨大な株状を成す」ことからという。下から見上げた後、石垣の横から上って裏手に回った。四方に伸びる太い根元を目の前にして、その巨大さを改めて実感。木肌は赤く、コケむしていた。太い幹には倒れないようにワイヤーが張られ、はしご状の支柱も。八ツ房杉とその周囲には力強い生命力が漲っていた。

  

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【お墓に刻まれた家名】 「八幡家」の文字の「巾」の中に何かが?

2014年09月20日 | アンビリバボー

【〝擬態〟が得意な灰色のアマガエルだった!】

 数日前、奈良市内の白豪寺に程近い墓苑を歩いていた時のこと。帰途、何気なくお墓を見ていると「八幡家之墓」の「幡」の1文字が目に留まった。巾偏(はばへん)の「巾」の右側の色が少し違う。近づいてみると、そこにすっぽり収まっているのは、なんと体長3~4cmほどのかわいい灰色のアマガエルだった。

 

 9月中旬とはいえ、白昼にはまだまだ残暑が続く。ひんやりした墓石はアマガエルにとって居心地がいいのだろう。接写していると、カエルは視線をこちらに向け、やがて「休息の邪魔をしないでよ」と抗議するように「巾」から出てきた。そして、お墓をよじ登って、てっぺんからにらんでいた。お邪魔しました!

 

 それにしても、このアマガエルの体の色、墓石の御影石によく似ているなあ。帰宅し手元の『自然大博物館』(小学館)を開いて納得した。ニホンアマガエル(日本雨蛙)の項に「周囲の色彩に反応して黄緑色から灰白色まで体色を変化させる」とあった。アマガエルは〝擬態の術〟を持っていたのだ。

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<餅飯殿センター街> ビルの谷間に「めえめえ牧場」出現!

2014年07月15日 | アンビリバボー

【空き地の除草にヒツジ3頭が活躍、ちびっ子たちも次々に見学】

 奈良市の中心商店街の1つ、餅飯殿(もちいどの)センター街と猿沢の池を結ぶ路地「猿沢遊歩道」。これまで何度も通っているコースだが、15日久しぶりに歩くと、その途中の高いビルに囲まれた空き地の風景が一変していた。前回通った時はキク科の白い花(多分ヒメジオンかハルジオン)で一面埋め尽くされていた。ところがその空き地に突如ヒツジが3頭出現し「メエ」「メエ」と鳴きながら草を食んでいた。

 

 空き地の場所はセンター街にある商業施設「きらっ都、奈良」の東側隣接地。金網には「出張 めえめえ牧場」「羊の親子がお食事中」などの張り紙が掛かっていた。そばにいた関係者らしき男性によると、ヒツジたちは除草のため山添村にある「めえめえ牧場」から借りたものという。期間は13日から2週間、27日まで。いずれも頭と足だけが黒い「サフォーク」という種類で、首には「とみ」「メイ」「モコ」という名札が下がっていた。

  

 しばらくすると、かわいいちびっ子たちが先生らしき女性に引率されてやって来た。センター街のすぐそばにある奈良市立椿井小学校の1年生15人だった。初めは金網越しに草をあげていたが、そのうち11人は鍵を開けてもらって中に入った。恐る恐るヒツジの背中に触る子、ヒツジに追われて「キャー」と悲鳴を上げて逃げ回る子……。残りの4人は「怖いから」と中に入らず外から様子を眺めていた。この日は〝牧場〟見学が1年生の課外活動になっていたのか、児童たちが十数人ずつ順番で来ているようだった。

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<アンビリバボー> 春日大社参道に「下駄渡世人仲間」銘の燈籠!

2014年06月24日 | アンビリバボー

【「焼酎蒸溜業」や「越中富山売薬業」「全国文明会」「日丸講」…】

 春日大社には約2000の石燈籠と約1000の釣燈籠があるそうだ。最も古い石燈籠は1136年に関白藤原忠道から寄進されたと伝わる「柚木(ゆのき)燈籠」。石燈籠としては奈良・当麻寺にある白鳳時代のものに次いで2番目に古いという。寄進された燈籠は形も大きさも様々。先日、「一の鳥居」から東に伸びる参道を社殿に向かっていた時のこと、右手に並ぶ2つの燈籠に目が吸い寄せられた。

 目を凝らして見ると、どうも『下駄渡世人仲間』とある(上の写真)。えっ、渡世人。その下には十数人の名前。側面に建立した年月日が刻まれているが、残念ながら「○年」だけが読み取れない。「渡世人」というと、つい「任侠」や「やくざ」という言葉を連想し、番場の忠太郎や国定忠治や木枯らし紋次郎を思い浮かべてしまう。しかし、この燈籠の「渡世人」は「生業(なりわい)としている人たち」という意味に違いない。それプラス「仲間」で、今風に言えば「履物組合」と勝手に解釈して納得!

   

 最も大きくて目立つのは『砂糖商 大阪伊藤茂七』が建立した2つの燈籠(上㊧)。検索してみると、あった! 110年近く前の1898年(明治31年)の「砂糖税法新設ヲ非トスル意見書」の末尾に「大坂砂糖商組合 上京委員 伊藤茂七」とあった。伊藤氏は当時、輸入砂糖を取り扱う指折りの有力者だったらしい。『全国文明会 文明農機具』と刻まれた燈籠(上㊨)の文字も目を引いた。燈籠とのつながりは不明だが、鹿児島県日置市に「文明農機株式会社」という農機製造販売会社があった。創業は1919年(大正8年)で、取扱製品はサトウキビやたばこ、サツマイモなどの作業機械。まもなく100周年を迎える老舗だ。

 

   

 『越中富山 売薬業』(上の写真上段㊧)や『焼酎蒸溜業』(同㊨)『御免綿問屋』(下段㊧)などと刻まれた燈籠もなかなか風格がある。中には瓢箪(ひょうたん)が1つ浮き彫りになった苔むした燈籠も(上の写真下段㊨)。『日丸講』(下の写真㊧)が建立した燈籠は別の場所にもあった。『奈良そごう』の燈籠(同㊨)もなかなか堂々として立派だが、その行く末からか、少し寂しげに見えた。奈良そごうが長屋王の邸宅跡に開店したのはバブル絶頂期の1989年。だが、僅か11年後の2000年には閉店に追い込まれた。今はイトーヨーカドー奈良店が入っている。燈籠の1つ1つにも栄枯盛衰の歴史が刻まれていることを痛感!

     

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<奈良・猿沢池> ギョ!、まだ多くの北米産アカミミガメがいた

2014年04月27日 | アンビリバボー

【18年ぶりの水抜きで、外来種は駆除したはずなのに……】

 26日午後、久しぶりに猿沢の池へ。奈良県が2月中旬、18年ぶりに水を抜いて生息調査や護岸の点検を行っていたとき以来。水抜きは北米原産のミシシッピ・アカミミガメなど外来種の駆除も目的の1つだった。ところが、池の中を覗いて「アンビリバボー!」。除去したはずのアカミミガメがあっちにもこっちにも。目にしたカメのうち少なくとも4分の3がアカミミガメだった。

  

 アカミミガメは縁日やペットショップで「ミドリガメ」として売られている。だが、大きくなると手に負えなくなって池などに捨てる人が後を絶たない。その名の通り、耳の辺りに赤い縞模様があるのが特徴。雑食性。以前、猿沢池で十数匹のカメがハトを水中に引きずりこんで食べ尽くす衝撃的な場面に遭遇したこともある(2012年8月12日のブログで紹介)。

 今回の水抜き調査で捕獲されたアカミミガメは198匹。18年前の1996年のときに確認できたのは78匹だった。一方、在来種はクサガメが54匹(18年前354匹)、ニホンイシガメが僅か1匹(同59匹)と激減していた。アカミミガメは神戸市立須磨海浜水族園に引き取ってもらい、在来種のカメはコイやフナなどとともに、3月中旬、再び水を張った池に戻された。

 

 池を管理する県奈良公園室は今回、コイなどの稚魚を守るためもあって完全に水を抜かず中央部分に水を残して調査を行った。そのため、かなり多くのアカミミガメが底にもぐったりして捕獲を免れたらしい。そばで池を覗いていた男性も「ほとんどがアカミミガメだね」と話していた。その男性によると、再び池に水を張った後、県職員がカメの写真を撮っていたという。県も駆除を免れたアカミミガメの存在に気づき、ボートを出して捕獲を試みたりしているようだ。

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<七福神の梅> 1本の木に7種類の色とりどりの梅の花!

2014年03月01日 | アンビリバボー

【奈良・大和文華館でちょうど見頃に】

 奈良市学園南にある美術館「大和文華館」で、1本の木に7種類の花が咲く名物の梅が今ちょうど見頃を迎えている。名付けて「七福神の梅」。花色は赤、白、ピンクとまさに色とりどり、咲き方も一重あり、八重あり。28日も来館者の多くがカメラのシャッターを押していた。

 大和文華館では質の高い作品展示とともに、自然景観を生かした四季折々の花が楽しめる〝文華苑〟も見どころ。中でも有名なのが「三春の瀧桜」や「ササユリ」、そしてこの「七福神の梅」。七福神は本館ほぼ真正面に位置し、太い幹を大きく左右に広げる。

 

 7種の梅は「紅冬至」「思いの儘(まま)」「道知辺(みちしるべ)」「白加賀」「大輪一重緋梅」「大輪八重緋梅」「野梅」。接木された1本の木といっても開花も同時というわけにはいかない。「大輪一重緋梅」は咲き始め。「思いの儘」はまだつぼみだが、その開花も間近のようだ。苑内では「寒アヤメ」も今が盛りと咲き誇っていた。(上の写真は㊧大輪一重緋梅、㊨白加賀、下は㊧道知辺、㊨思いの儘)

  

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<奈良公園雪化粧> 雪の重みで松の枝落下、松葉で飢えをしのぐ鹿たち

2014年02月15日 | アンビリバボー

【奈良県下に24年ぶり大雪警報】

 14日、1990年以来24年ぶりに大雪警報が出た奈良県。奈良公園一帯は銀世界と化し、いつもは多くの観光客でにぎわう東大寺や興福寺、猿沢池周辺も普段より静かだった。この日が最終日だったライトアップイベント「なら瑠璃絵」も雪の影響で中止に。東大寺参道の土産物店や鹿せんべいを売る露天もほとんどがお休み。鹿たちは仕方なく雪の重みで落下した松の枝の細葉で飢えをしのいでいた。

 

 

 

  

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<珍名・珍樹3題> 象の足? 「アアソウカイ」って? ソーセージが宙吊り?

2014年02月04日 | アンビリバボー

 地球上には30万種類を超える植物があるという。その中には奇妙なものも多い。このブログでも「ホウガンノキ(砲丸の木)」や「キソウテンガイ(奇想天外)」などを取り上げてきたが、「あっ」と驚く珍妙な植物がまだまだあった。以下でご紹介するのは京都府立植物園の温室内で遭遇した珍名・珍樹3つ。

キフォステンマ・エレファントプス】ブドウ科の落葉ツル性植物。「ゾウの足」を意味する「エレファントプス」の名の通り、大きく扁平なこの塊根の形はゾウの足と見まがうほど。直径は50cm近くあり、触ってみると石のように硬くざらざら。アフリカ大陸の東南部に浮かぶマダガスカル島(面積は日本の1.6倍)の南部に自生する。この島は大昔、大陸移動に伴ってできたことから、独自に進化を遂げた固有種が多い。この植物もその1つで、海岸の砂地で育つ。この塊根の下にはさらに巨大な塊茎があるそうだ。

   

アアソウカイ】これもマダガスカル原産で、キョウチクトウ科の常緑多肉性植物。樹高は8~10mにもなり、鋭い棘が幹全体を覆う。「アアソウカイ」を漢字で書くと「亜阿相界」。アジア(亜細亜)とアフリカ(阿弗利加)の植物相の境界にある植物ということでこの名が付いた。名付け親は小説家で、著名なサボテン研究家としても知られた龍胆寺雄氏(1901~92)。数年前、京都府立植物園にご視察に来られた天皇皇后両陛下に担当者が名前の由来をご説明したとき、天皇が「ああそうかい」と答えられて周りの一同大爆笑になったという。美智子さまも「変わった名前ね」とおっしゃっていたそうだ。

   

ソーセージノキ】その名の通り、木からぶら下がった果実がまるでソーセージのように見えることから。アフリカのサハラ砂漠以南に広く分布するノウゼンカズラ科の植物。果実は直径10cmほどで、長さは30~50cmになる。ただ中はどろどろの繊維質で食用にはならないとか。花は夜に開き、コウモリが受粉を媒介する。この植物園ではコウモリに代わって職員が人工授粉している。モザンビークでは「男の木」とも呼ばれているそうだ。

   

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<奈良・植村牧場> 創業130年、住宅地で乳牛30頭、お向かいは般若寺!

2014年01月28日 | アンビリバボー

【牧童は知的障害者たち、カフェの店名は河瀬監督が命名し紫舟さんが揮毫】

 奈良市般若寺町にある「植村牧場」は奈良県内最古の牧場。130年前の1883年(明治16年)に創業した。奈良市の〝まちかど博物館〟の1つにもなっている。奈良県庁の東側の通りを北上し、国宝の東大寺転害門を越え、さらに北に進むと左手にあった。周りは住宅街。真向かいはコスモスの花で有名な般若寺で、国宝の楼門がで~んと構える。

 現在の牧場主は4代目の黒瀬礼子さん。病弱だった曽祖父の初代が医者から牛乳を飲むよう勧められ、自ら1頭の乳牛を飼い始めたのが始まりという。牧場の広さは約6000平方メートルで、今も明治時代に建てた木造平屋瓦ぶきの牛舎を使っている。ここで30頭のホルスタインを飼育しており、一番奥には生後3週間余りというかわいい子牛がいた(下の下の写真㊧)。牧場では他にペットとして羊1頭とウサギ3匹も飼っている。

 

 酪農も機械化が進んでいるが、ここでは餌やりから搾乳、牛乳の殺菌、瓶の洗浄、瓶詰めなど作業の大半が手作業で、昔ながらの牛乳づくりの伝統を守ってきた。こうした作業を知的障害を持つ青年たちが支える。職業安定所の紹介もあって約30年前から〝牧童〟として雇用を始め就労を支援してきた。青年たちの多くは住み込みで、日夜ひたむきに働いてくれているという。

 牧場の朝は早い。毎日朝5時と夕方5時の1日2回搾乳する。搾乳量は1日約300リットルで200ccの牛乳瓶に換算すると約1500本。そのほぼ半分を家庭に宅配し、約600本分を小学校に配達する。残りはホテルやレストラン向け。牛乳は短時間高温殺菌が一般的だが、ここでは風味を生かすため「75度で15分」と時間をかけて低温殺菌している。

 

 宅配先からは「懐かしい味がする」「濃厚でおいしい」と好評。古くからの植村ファンも多く、週末には京都など遠方からやって来るお客さんも多いそうだ。牧場を案内してくれた菊川長郎(たけお)さんが苦労話を1つ打ち明けてくれた。「台風などで突然警報が出て小学校が休校になったときが大変。特に金曜の配達予定分が止まると処分するしかないので……」。餌となるオカラや牛舎にまくオガクズは豆腐店や製材所からの頂き物。牛のし尿はオガクズと混ぜて乾燥処理し、有機肥料として近隣の農家に配っている。

 牧場の入り口右手にあるカフェレストランは牛乳を使った様々な料理を提供しようと10年前に開店した。店名の「いちづ」の名付け親は映画監督の河瀬直美さん。「酪農ひとすじ」「障害を持っていても一途に」といった思いが込められているという。大きな木製の看板(上の写真㊨)はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の題字で有名な書家紫舟さんが書いてくれた。紫舟さんは上京前、奈良で3年間研鑽を積んだが、その時、牧場にもよく訪ねてきてくれたという。レジの後ろにも「御礼」という紫舟さんの書が飾られていた。

 

 入り口左手にある牧場の案内所には小学生が描いた牛の絵や牧場の紹介記事などが天井にまで所狭しと貼られていた(上の写真)。展示品の中には昔使っていた学校給食用の金属性配達容器や牛乳の遠心分離機なども。手づくりの牛乳、障害者が働きやすい環境づくり、消費者や近隣農家との近い関係、環境にやさしいリサイクル……。植村牧場が奈良市のど真ん中で130年もの長きにわたって続いてきた理由が分かったような気がした。

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