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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映株式会社宣伝部 ~ 番外編 (7) 宣伝マンの功名心?

2013年04月27日 | 日記

       
       ↑ 昭和41年(1966)1月13日付、読売新聞 夕刊(西部本社版)広告。

     先日、資料の整理をしていたら昭和40年(1965)ころの新聞が出てきました。
     何か特別のモノが載っているから保管していたのだろうと思い拡げましたら、
     一部は新聞広告、一部は当時の福岡市内の映画館案内でした。

     新聞広告は増村監督作品で若尾文子主演の「刺青(いれずみ)」です。九州
     で発行される新聞広告は、全て九州支社宣伝課で版下まで作成していた時
     代で、この年に読売新聞が九州で印刷を開始し、我々と秘密で特別の新聞
     広告を出そうと準備し発行したものでして、九州初のカラー映画広告だったの
     です。
     今ではカラーは普通ですが、当時は大映の本社も驚いたし、暫らくは業界で
     話題になりました。

     もう一部は福岡市内の映画館の上映案内で、福岡市内を「西部」「東部」「中
     央部」「南部」と分け、合計53館がズラリ並んでいて壮観です。
     どちらも古くてボロボロの古新聞ですが、当時隆盛の福博興行街を思い出し
     てしまいました。

     九州支社宣伝課の役割については、過去の当ブログでも何回か書きましたが、
     作品の基本方針は我々も参加した宣伝会議で決めたものを進めますが、プラ
     スアルファーはそれぞれの宣伝課による一種の競争になります。
     上記のカラー新聞広告もその一つですが、私も名誉を懸けて他支社に負けな
     いよう考えまくって実施したものです。

     各新聞の大映関連記事段数は他の映画会社に負けないよう頑張ったし、ロケ
     の手配タイアップ、監督・俳優のキャンペーン、劇場挨拶、懇談会、九州だけの
     オリジナル造り物、特殊街頭宣伝などなど我ながら良くやったものだと改めて
     感心します。

     そのためには本社での見回しは勿論ですが撮影所との連携、マスコミの皆さ
     んと日ごろの融和など、本当に色んなことをやりました。
     大映が大好きだし、他には負けたくないと仕事の熱心さに加えて、若い宣伝
     マンとしての功名心も強かったのかも知れません。
     それでもいま思い出して、つい微笑みの表情になるのは、私は根っからの映
     画宣伝マンだったのでしょうね。

  
     ↑ 「ああ海軍」では終日こんな格好で。   ↑「野火」では戦車を繰り出して大騒動。
  
     ↑ 京都撮影所で私。            ↑ 私が送り出したニューフェイスの一人。
     ↑ フクニチ新聞・昭和38年(1963)8月掲載の映画館案内。
 
コメント (14)
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