映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 16 )

2013年04月08日 | 日記

 

      
          ↑ 左から、藤村志保・本郷功次郎・弓恵子

     トップの写真を見ていただくと、再度「本郷功次郎」追悼の感じですが・・・。
     今月12日(金)に横浜市で「本郷幸功郎を偲ぶ会」が開かれることになり、
     私も大映関係者として出席しますので、その意味も少しはありますが、本日
     のこのブログの主人公は、上の写真で本郷と姿美千子に挟まれて、チョコン
     と首を出している藤村志保なんです。

     彼女は昭和36年(1961)大映に入社、翌年には「破戒」(監督・市川崑、主演・
     市川雷蔵)に出演して新人賞を受賞した人で、雷蔵さんとの共演が結構多か
     ったです。
     更に昭和40年(1965)にはNHKの大河ドラマ「太閤記」のねね役が話題になり
     ましたし、大映終焉の時まで居てくれた俳優さんの一人でもあります。

     彼女には映画関係のパーティや、映画館の舞台挨拶で九州には良く来ても
     らいました。
     実に明るく素直でシンの強い人なので、みんなから好かれるタイプの女優さ
     んでした。
     フリーな旅がしたいと、当時は元気だったお母さんと一緒に九州に入るのを
     お手伝いしたり、お母さんの友人が熊本市の上通りで、食事処をされていて、
     私まで一緒におよばれを受けたこともあります。
     幼少の時は厳しく育てられたようですが、あのように仲のいい親子はめった
     にお目にかからない・・・が私の印象です。

     「妻の日の愛のかたみに」のロケで福岡県柳川市に入り、出番が終わってロ
     ケ途中帰京する時も、半日を彼女と姿美千子と私の3人で、福岡へ一旦戻り
     食事をしたりボーリングをしたりして、時間を調整した思い出もあります。
     着物姿が多い彼女ですが、本当はとてもスタイルがいい人で、洋服がとても
     似合う人でもあることを、一緒にボーリングをしていて発見しました。

     大映後、亡くなった船越英二さんとは、赤坂東急ホテルのレストランでとか、
     岡山駅でバッタリ会ったりしたという人もいますが、彼女とは一度も会ってい
     ません。
     ただ色々な所で、この前の映画祭の表彰式に来ていたのですよと言われた、
     すれ違いの類が三度くらいありました。

     トップの写真を含めて何枚かは、鹿児島で撮ったものです。鹿児島には撮影
     監・上原明氏のお父さんが地元企業の社長さんであり映画館主でもあり、大
     映の取締役にもなられていた上原三郎社長(個人)が居られて、舞台挨拶もや
     りますが、色々と息抜きをさせてくださり有難いので、勝ちゃんをはじめ、みん
     な楽しみにしてよく行ったものです。

     現在も活躍しているお志保さんは、息の長い女優さんとして仕事を続けられ
     ていて、私も一ファンとして嬉しい限りですが、最近読んだ週刊誌の記事に、
     彼女はもともと日本舞踊・花柳流の名取さんなのに、ある機会に武原はん先
     生の地唄舞を観て感激し、どうしても地唄舞を踊りたいの一心で花柳流名取
     を返上、40歳からお稽古をつけてもらって、ついには自分の地唄舞の会を開
     くに到り、今も精進中という記事を読みました。
     このことが彼女の全てを語っていると思いますよ。更に頑張ってもらいたいも
     のです。

     <追記>
     「眠狂四郎女妖剣」はお志保さんが出ている作品で、牢の中でお志保さんの
     全裸シーンがあります。この種明かしスナップを、去年の9月6日の当ブログ
     "大映株式会社宣伝部/番外編"にアップしています。
     当時京都撮影所からスポーツ新聞へのネタとして私が受け取っていたもので、
     興味ある方は遡ってご覧ください。

  
 ↑ 左は林芙美子の文学碑前で。右は城山で西郷どんに似た方の説明を。我々を探してください。
  
 ↑ 週刊誌に載った地唄舞関連の記事。    ↑ もうお馴染みの最近のCMから。
  
 
               ↑ パーティでお志保さんと私です。 
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする