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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 18 )

2013年04月29日 | 日記

      
            ↑↓ この3枚とも私が撮ったお気に入りスナップです。
      

     大映時代の女優さんとの思い出は山ほどありますが、渚まゆみも忘れられ
     ない一人です。
     彼女は高校生のまま大映に入ってきて「夕やけ小やけの赤とんぼ」(1961
     年・島耕二監督作品)で幸運のデビューを飾りました。
     当時は大人になりきれない女性のイメージが強く、どんな役にでも似合う感
     じはしませんでしたが、それが逆に彼女の魅力という人も多く、私もその一
     人ですが可愛くて仕方がないと思った女優さんです。

     お母さんもよく存じ上げていましたが、いかにも東北出身の女性という感じ
     の明るく気さくな方だったと記憶しています。
     渚まゆみも人柄がとても良く、ややハスキーな声にはとても魅力を感じまし
     た。ただ早くお父さんを亡くしたせいか、父親みたいな人と親しくなる傾向は
     当時からありましたから、後に27歳も年上の浜口庫之助氏と結婚した時に、
     私は少しも不思議とは思いませんでした。

     その渚まゆみは、映画が下火になったことや、地方のクラブなどから彼女
     に歌ってもらいたいというリクエストが結構入るようになり、よく福岡には来
     ていたのです。
     ここに載せた彼女の写真は、2人で食事をしながら撮ったものですが、彼
     女の飾らない生地が出ている写真として私も好きなモノです。

     その食事中に、私が「田宮二郎が今晩福岡のキャバレーに出るので、以
     前から仲良くしていたので私は行くんだよ」と言うと、「私も妹みたいに可
     愛がってもらっていたので、一緒に連れて行って」と言うものですから、花
     束を持ってキャバレーに行きました。

     ショーが始まりました。歌いながら田宮が客席を回りはじめます。そして
     やってきました私たちのテーブルへ。さっと立上がって渚が花束を差し出
     しました。驚いたのは田宮でした。
     暫らくテーブルの横にいましたがステージ中央に戻り「今晩はとても嬉し
     いことがあります。それはここに大映の渚まゆみさんと中島さんが来てく
     れていることです・・・」私たちも嬉しかったのですが、私たちまでスポット
     が浴びせられ大変でした。

     ステージ裏で改めて会いましたが、大映退社の生々しい話は一切しなか
     ったです。しかし田宮も会ったことがある九州の某映画評論家が亡くなり、
     その長男で大映京都撮影所の助監督をしているのが喪主で、明日葬儀
     があることを伝えると、翌日その葬儀に田宮が参加してくれたという律儀
     な田宮のことも併せてお伝えしたいと思います。

     渚まゆみ現在73歳、浜庫さんは随分前に亡くなったけど、お孫さんに囲ま
     れて幸せな老後を送っているそうで、今年は京さんやお富士さんの出席も
     囁かれていますので、ひょつとすると会えるかも知れません・・・。

     片や坪内ミキ子もキャンぺーンで何度も福岡にきています。渚まゆみと一
     緒だったこともあり、写真はその時のものです。
     彼女は宝塚歌劇団志望だったのだそうですが、お母さんの要望で大映に
     入ることになり、雷蔵主演の「陽気な殿様」(1962年、森一生監督作品)が
     デビュー作品です。
     それ以降は主に時代劇に出演して人気を博しましたが、大映後はテレビ
     を中心にドラマだけでなく情報番組などにも出て、巾広い活躍をした人で
     すが、既に大映時代に私たち宣伝部仲間の一人と結婚、新婚旅行は九
     州でした。
           
         ↑ キャンペーンで、左から渚、坪内、私です。
         

        
       ↑ 新婚旅行中、長崎でのスナップです。先日聞いたら本人は持ってない由。

        
コメント (6)
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