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7月7日は七夕である。
まだ2週間近くも先のことではないか。
神田小川町商店会は、早くも銀行支店の入口に七夕飾りを設置した。
竹の葉に五色の短冊をかけ、それぞれの願い事を書いたシンプルな飾りつけだ。
わが故郷、仙台商店街の旧暦七夕の豪華な飾りつけとは比べようがないが、
その素朴な願いには好感がもてる。
靴屋、書店、喫茶店、蕎麦屋、ラーメン屋、楽器店、文具店など、
新旧入り混じった専門店があるのも、小川町界隈の特色だ。
「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」そんな会話が、
七夕飾りのもとで交わされるのだろうか。
そんなわけないか。
江戸から明治にかけての大火事の町としても有名だ。
神田が江戸っ子の代名詞として使われるようになったのは、災害多発地だったことが重要な理由を占める、と6944は考える。
特に大火事。木と紙で作られた家はあっという間に燃え一夜明ければ何もかもパー。人生はやり直し。
因みに江戸から明治にかけて、神田が関係した大火事を挙げれば、
振袖火事(明暦)、八百屋お七の火事(天和)、佐久間町の火事(文政)、明治13、14年の大火(1980年)など枚挙に暇がない。思い出し、両手の指を次々曲げる。全部グーにしても数えきれない。
ここに宵越しの銭は持たないとする江戸っ子(神田っ子)の性格が形作られる。
すっからかんになるのが日常茶飯事と分かっているのなら、その前に使ってしまえと吉原へ繰り出したのもむべなるかな。
いえ、そんなお噂もあったやに・・・
神田と火事の話ときましたか。
随分あったんですね。
近年では、2013年の「やぶそば」の火事。
天井裏配線のショートで、歴史的建造物が失われてしまった。
カメラ爺、鉄筋コンクリート造りで再建されてから行ってません。
近頃、我が家近くでは、毎日のように、救急車や消防車のサイレンが聞こえてきます。
それが、どこかわからない。
明日は我が身か、あまり気分のいいものではありません。
閑話休題。
七夕、しちせきの節句。
昔、乙女が着物を織って棚にそなえ神様を迎えたことから、機織りの機械、棚機(たなばた)に感謝する行事になったとか。
七夕はその当て字。
ちなみにキリスト教の我が家では、七夕飾りをしたことがありません。
幼い頃、よく意味も分からずに、七夕の歌を口ずさんでいたいただけ。
七夕についての6944の愚問(口頭)にも触れていただくご誠意、感謝です。
老人は朝が早い。6944は朝のルーチンを済ませパソコンを開けました。爺の書き込みがありました。
いち早く文章で伝える、記者魂そのものです。
6944の今日は、9時に高井戸囲碁クラブの公式戦で浜田山のゆうゆう館にいきます。そのあとはこのところ凝っているビリヤードと都議選の期日前投票で区民センターへ。
杉並区の老人福祉の手厚さを喜びつつ余生を楽しんでおります。
ということで爺の新しい写真が披露されてもコメントを書けるのは大好きな「なんでも鑑定団」が終わる10時以降にになります。悪しからず。