室温は、25.8度(6:30)。
墓石には11名の名前が刻まれ、お墓の裏には、47年前の父母と兄夫婦の名前と1977(昭和52)年8月に建立したことが明記されていました。
石屋の人たちによって、墓石を処理して、骨箱には一番新しい母の白っぽい骨が一番上にあって、掘り出すと土になっているものもあり、2袋に分けて袋に入れられました。
一旦近くの「サガミ」で兄が頼んでくれた食事をしながら、それぞれ懐かしい話やお互いの近況などを話し合いました。
姉が昨年12月に、弟が7月に亡くなって、兄弟も3人だけになって淋しくなってしまったが、姪や甥がこれからは引き継いでくれることを願っています。
これからはこの納骨堂にお参りすることになります。
朝から雨が降っていたが、8時過ぎには雨が止み、曇り空の中歩いて永和駅まで出かけると、赤や黄色のヒガンバナが草むらの中や公園の中で咲いていました。
8時23分で名古屋に行き、9時22分の吉良吉田行の名鉄で10時に桜井駅に到着。
兄と姪が迎えに来てくれて、お墓まで行きました。
兄と姪2人と弟夫婦と甥2人8人で法行寺の住職の墓仕舞いのお経でお参りしました。
墓石には11名の名前が刻まれ、お墓の裏には、47年前の父母と兄夫婦の名前と1977(昭和52)年8月に建立したことが明記されていました。
石屋の人たちによって、墓石を処理して、骨箱には一番新しい母の白っぽい骨が一番上にあって、掘り出すと土になっているものもあり、2袋に分けて袋に入れられました。
一旦近くの「サガミ」で兄が頼んでくれた食事をしながら、それぞれ懐かしい話やお互いの近況などを話し合いました。
姉が昨年12月に、弟が7月に亡くなって、兄弟も3人だけになって淋しくなってしまったが、姪や甥がこれからは引き継いでくれることを願っています。
兄から1976年(昭和51年)に父と夫が作った家系図を渡されてました。
48年前の家系図には、弟達の結婚前だったので、妻の名前も入っていませんでした。
甥に是非この続きをパソコンに打ち込んで欲しいと頼んだが、何のために作るのかと言われてしまった。
父と夫が親戚を回って苦労して作った家系図だけにこのままでは納得がいかなくて、父からの実家の家系図だけでも、今のうちに作りたいものです。
食事後、13時30分に法行寺に行き、お寺の裏の納骨堂で骨を納めてお参りをしました。
これからはこの納骨堂にお参りすることになります。
今までより立派なお墓になって父母や先祖の人たちもホッとしていることでしょう。
本堂でお参りをして、栗きんとんとお抹茶をよばれ、法行寺は200年前に建立され、20年前に屋根の葺き替えと庫裡を改修しているとのことで、とてもきれいなお寺でした。
丁度外で墓仕舞いする時には雨が止んで、本堂でお参りする時には雨が降り出したりと空から父や先祖から見守られていることを感じた1日でした。
今日の万歩計は、12,528歩でした。
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