夜9時過ぎの豊田の弟から「母が息していない。心臓が動いていない。今から救急車で病院に運んでいく」と慌てた様子で電話が入る。
兄からも電話があり、もう少し様子を見るということだったが、すぐに出かけようとして準備をしていると、
弟から「9時38分に息を引き取った」と電話が入り、すぐに兄に連絡して、車を豊田に向けて走らせる。
ズ~と高速で走っていったが、意外に落ち着いて車を走らせていた。
豊田につくと、葬儀屋の人が母を弟の家に連れてきてくれて、仏間に母を寝かせていてくれた。
母の顔をのぞくと、口を少し開けていたが、眠っているような安らかな顔をしていた。
弟の嫁が「少し辛そうだったが、今日もディサービスに行って、しばらくすると、ディサービスの方から
いつもより元気がないし、食事もいらないといっていますがと電話が入るが、いつものように夕方帰ってくると、
身体の置きどころがないようだったが、手すりのところでやった落ち着いたようで、手すりにもたれておとなしくなった。
好きなお寿司を一口食べると、もういらないと言って、また手すりにもたれていた。
夜住職が月命日に来ていたので、お参りしていたが、「死んじゃう 死んじゃう」と声を荒げるが、いつものことなのだが、
心配になって、何度も様子をみるが、眠っているようだった。
8時20分ごろ見に行くと、「息はしていない。心臓が動いていない」と大騒ぎになって、救急車を呼んで、病院に駆け込んだが、
蘇生することなく、9時38分永眠したとのこと。
火曜日くらいから夢でも見ているのか「和子何しているの。早く着物を用意して!足袋はどうしたの!順子さん早く結婚式の用意して!」って騒いでいたり、
なんだかいつもと違う母だったようです。
義妹が言うには、「95歳まで下の世話もあまりなく、死ぬ朝まで食事も自分でした人だった」
95年人生いろいろなことがあったけれど、最後まで母らしい人生を送ったのではないかな。そんなことを話していると悲しみよりも、
「95歳まで生きてこれてよかったね。幸せだったね」と言ってあげたい気持ちになりました。
遅くまで眠れなかったけれど、いつの間にかウトウトしていました。
今日の万歩計は、9,289歩でした。
兄からも電話があり、もう少し様子を見るということだったが、すぐに出かけようとして準備をしていると、
弟から「9時38分に息を引き取った」と電話が入り、すぐに兄に連絡して、車を豊田に向けて走らせる。
ズ~と高速で走っていったが、意外に落ち着いて車を走らせていた。
豊田につくと、葬儀屋の人が母を弟の家に連れてきてくれて、仏間に母を寝かせていてくれた。
母の顔をのぞくと、口を少し開けていたが、眠っているような安らかな顔をしていた。
弟の嫁が「少し辛そうだったが、今日もディサービスに行って、しばらくすると、ディサービスの方から
いつもより元気がないし、食事もいらないといっていますがと電話が入るが、いつものように夕方帰ってくると、
身体の置きどころがないようだったが、手すりのところでやった落ち着いたようで、手すりにもたれておとなしくなった。
好きなお寿司を一口食べると、もういらないと言って、また手すりにもたれていた。
夜住職が月命日に来ていたので、お参りしていたが、「死んじゃう 死んじゃう」と声を荒げるが、いつものことなのだが、
心配になって、何度も様子をみるが、眠っているようだった。
8時20分ごろ見に行くと、「息はしていない。心臓が動いていない」と大騒ぎになって、救急車を呼んで、病院に駆け込んだが、
蘇生することなく、9時38分永眠したとのこと。
火曜日くらいから夢でも見ているのか「和子何しているの。早く着物を用意して!足袋はどうしたの!順子さん早く結婚式の用意して!」って騒いでいたり、
なんだかいつもと違う母だったようです。
義妹が言うには、「95歳まで下の世話もあまりなく、死ぬ朝まで食事も自分でした人だった」
95年人生いろいろなことがあったけれど、最後まで母らしい人生を送ったのではないかな。そんなことを話していると悲しみよりも、
「95歳まで生きてこれてよかったね。幸せだったね」と言ってあげたい気持ちになりました。
遅くまで眠れなかったけれど、いつの間にかウトウトしていました。
今日の万歩計は、9,289歩でした。