高校の同級生がFacebookにアップしていた。表面的に見える事だけではない「苦しい部分」。親しい人ともその話をしたことがある。人は周囲から「幸せそうだ」と思われたい。そういうん願望は誰にでもある。
Facebookやblog、SNSなどでは「自分は幸せだ」という事を示すことの方が多い。当然だと思う。他者に公開する時に「不幸自慢」をする人はそれほど多くない。飲み会などでは「不健康自慢」になったりすることがあるが(笑)
blogだけを見ると私はそれなりに楽しく生きていると思われるだろう。実際楽しいなと思うことも多くある。今の仕事をしていて生徒達と関わりながら一喜一憂できる環境はありがたいと思う。もちろん、競技場面で上手くいかなかったり選手との関係がこちらの思うようにいかないことだってある。それも私は文字にするようにしているが。
blogには書ける範囲で書く。試合結果が良かった時だけではなく悪かった時も書くようにしている。blog自体が私の頭の中を整理するために書き続けているものだから。私の感覚からすればblogは自慢をするために書くわけではない。Facebookなどは本当に表面的な事しか載せない。
先日、出張の場所を間違えて宇部に行った。これなんて「軽蔑される」可能性だってある。しかし、私は完璧な人間ではない。どちらかといえば欠陥の方が多い。聖人君子ではないからこそ人との関わりができる。あえてblogに書かなければ「kanekoはすごい人なんじゃないか?!」と思ってもらえるかもしれない。が、実際は全く違う。
Mr.Childrenの「吠える」という唄がある。その中に「僕らの現状に 取り立てた変化はない」「いいこと「49」嫌なこと「51」の比率」という歌詞がある。人は誰でもいいことばかりではない。絶対に嫌なこともある。その「嫌なこと」を外に示すかどうかは大きい。Facebookでは「嫌なこと」を示すことはほとんどないが実際には「51」で発生している。
blogには「嫌なこと」も書くようにしている。しかし、実際はここに書ける「嫌なこと」なんてたかが知れている。実際は「本当に嫌なこと」だって数えきれないくらいある。それは様々な事情により公にはできない。私はいいこと「30」、嫌なこと「50」、どうでもいいこと「20」くらいかもしれない。決していいことが多いとは思わない。
隣の芝生は青く見える。なぜなら表面的な「いいこと」しか示さないから。裏側にある芝生の世話、維持管理費などは見えてこないから。
同級生は「嫌なこと」を言葉にしていた。それに共感する部分がある。飾らず生きていくという選択。いいことだけではなく悪いことが存在することをきちんと受け止めていかなければいけない。そこの感覚は忘れてはいけないなと。
まとまらない(笑)まー好きに書いています。
Facebookやblog、SNSなどでは「自分は幸せだ」という事を示すことの方が多い。当然だと思う。他者に公開する時に「不幸自慢」をする人はそれほど多くない。飲み会などでは「不健康自慢」になったりすることがあるが(笑)
blogだけを見ると私はそれなりに楽しく生きていると思われるだろう。実際楽しいなと思うことも多くある。今の仕事をしていて生徒達と関わりながら一喜一憂できる環境はありがたいと思う。もちろん、競技場面で上手くいかなかったり選手との関係がこちらの思うようにいかないことだってある。それも私は文字にするようにしているが。
blogには書ける範囲で書く。試合結果が良かった時だけではなく悪かった時も書くようにしている。blog自体が私の頭の中を整理するために書き続けているものだから。私の感覚からすればblogは自慢をするために書くわけではない。Facebookなどは本当に表面的な事しか載せない。
先日、出張の場所を間違えて宇部に行った。これなんて「軽蔑される」可能性だってある。しかし、私は完璧な人間ではない。どちらかといえば欠陥の方が多い。聖人君子ではないからこそ人との関わりができる。あえてblogに書かなければ「kanekoはすごい人なんじゃないか?!」と思ってもらえるかもしれない。が、実際は全く違う。
Mr.Childrenの「吠える」という唄がある。その中に「僕らの現状に 取り立てた変化はない」「いいこと「49」嫌なこと「51」の比率」という歌詞がある。人は誰でもいいことばかりではない。絶対に嫌なこともある。その「嫌なこと」を外に示すかどうかは大きい。Facebookでは「嫌なこと」を示すことはほとんどないが実際には「51」で発生している。
blogには「嫌なこと」も書くようにしている。しかし、実際はここに書ける「嫌なこと」なんてたかが知れている。実際は「本当に嫌なこと」だって数えきれないくらいある。それは様々な事情により公にはできない。私はいいこと「30」、嫌なこと「50」、どうでもいいこと「20」くらいかもしれない。決していいことが多いとは思わない。
隣の芝生は青く見える。なぜなら表面的な「いいこと」しか示さないから。裏側にある芝生の世話、維持管理費などは見えてこないから。
同級生は「嫌なこと」を言葉にしていた。それに共感する部分がある。飾らず生きていくという選択。いいことだけではなく悪いことが存在することをきちんと受け止めていかなければいけない。そこの感覚は忘れてはいけないなと。
まとまらない(笑)まー好きに書いています。