いつも書いてることですけど。
「カタチを調えたらうまくいく」式の方法論がありますよね。
(それにも異論はあるんですけどね。たとえば、心臓は真ん中よりやや左にあり、最大の臓器・肝臓は右にしかない、この条件のもとでまっすぐになるのか?とかね)
僕はその「前」を考えているんです。なぜ、カタチが崩れていくのか?
ここで、もうひとつの常識が立ちふさがります。
それは「二足歩行する人類の宿命です」。
そうかもしれません。でも、それを受け入れると、整体ってむなしいです。やってもやっても、宿命には勝てっこありませんから。
だから、僕は受け入れません。
「そういう進化をしたならそれは最高の形態のはずだ」と信じるところからスタートします。
話を戻します。
カタチが崩れるからには「理由」があります。そして、それには「意味がある」ことが多いはずです。
風邪だって、引けば下痢をしてデトックスになります。食欲がなくなり、胃腸が休まります。高熱でいっぱい菌も死んでいきます。熱が上がって、うとうとして睡眠不足が補われ体が休まります、、、その熱が下がったときの体の軽さ、おかゆさんのおいしさ。こんなものまでちゃんとついてきます。
もし、カタチが崩れて腰痛になったのだとしたら。
少なくともカタチが崩れ始めた時点では、崩れたカタチにはちゃんとした「理由」「意味」がったのではないのか?
そこを無視して「カタチを調えたら」、、、良くなりますか?本当に?
今はもう要らなくなった「理由」を認識して「今までアリガト。もういいから」という整体でありたい。。
というのが僕の整体の根本にあるんです。