曜日のない暮らし

日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間
暮らしと心を癒してくれる生き物たち
山本弘三の写真を中心にした日記帳

大島大橋の事故以来続いた断水が全域復旧しました

2018年12月01日 | 日記

事故のあったあの日

貨物船の事故のあったあの日にはまだこんなことになろうとは思いもしませんでした。

 


 今日、予定より早く大島の全域で断水が解除されました。そして橋の自由通行ができるようになったのが11月の27日の午後からです。

ようやく元の生活ができるようになったわけですが、この40日間の島民の犠牲は大きかったと思います。二度とこんなことにならないよう、行政においても個人においてもよく考えて行かねばならないと思います。「のど元過ぎれば熱さを忘れる」とか「人の痛みは3年でも我慢ができる」と言うことにならないようにしたいものです。

今回の事故で一番大変だったのは水の問題だったのではないでしょうか。忘れないように少しだけ記録写真を撮りました。水道の復旧した今日まとめてみましたので、対岸の方々にも見ていただければ嬉しいです。

多くの方々に心配していただき、また応援をいただきました。本当にありがとうございました。

 


貨物船の衝突による大島大橋の損傷


よくもこれくらいの損傷で済んだと思います。完全に壊していたら橋の復旧まで完全通行不能となり島の人たちの生活はもっともっと大きな影響を受けていたことでしょう。

事故直後は、橋がこんなに壊されているとは知らずただ水道管が壊れただけかと思っていました。これだけ損傷していると大型車は通さないという交通規制も仕方ありませんね。

事故直後の橋の姿

矢印の所が損傷したところです

 

 

事故の翌日から給水車による給水活動が始まりました。県内の市・町や近隣の県からも応援の給水車が来てくれました。

 

昼間時間の取れない人たちのため夜間も給水が行われました

 

水が大量にいる人たちはトラックにローリータンクを積んで運んでいました。港では給水船がピストンで本土から運んでいました。

橋の上を小さい送水パイプを渡して本土側から送水ができるようになり給水車は水の補給が楽になりました。

 

自衛隊も応援に駆けつけてくれました。病院の側で海水を真水にする装置で水を作り病院に補給しました。

 

全国から応援物資の水が届きます。宅配屋さんは毎日水を運ぶのにへとへとだと言っていました。

1軒の家に段ボールに入った水が50箱も届いたこともあったそうです。

コンビニにも水の山が出来ていました。

 

こんな生活もようやく終わりましたが、まだまだ影響の残るところもあると思われます。みなさまお疲れ様でした。

 


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