曜日のない暮らし

日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間
暮らしと心を癒してくれる生き物たち
山本弘三の写真を中心にした日記帳

春の京都 最終回

2019年04月29日 | 日記

今日の蝶

春のアサギマダラ  4月28日今日初めてレモン畑にアサギマダラが飛んできました。南の方の島から海を越えてやって来たものか、この周防大島で幼虫越冬して最近生まれたものかは分かりませんが、初蝶です。

 


 今朝から雨が降っていてこの時期にしては肌寒く感じられます。数日前から3月に戻ったような寒さですね。

雨でみかん畑の仕事が出来ず、PCに向かって写真の整理をしたりしています。4月の初めに行った京都の旅の写真整理もようやく終わり、ブログの京都シリーズも終わりまでたどり着けました。いつまで旅の話を続けるのかと思われたかもしれませんが、次回から普通の日常生活の話題に戻ります。

今回紹介した湖東三山と言われているお寺は歴史的にも古く、歴史の荒波にもまれながらも現在に素晴らしい遺構を残し伝えたことは驚くべきことと感じました。それぞれのお寺は最も栄えたときには数百の僧坊を抱えていたと聞きます。おそらく数千人の僧侶が勉強し暮らしていたそうですが、信長の時代ルイス・フロイスが言ったそうですが、大きな学園都市のようにものだったのかもしれません。一般の信者もたくさんお詣りしていたことと思います。それに比べ現在はわずかな建物を残すのみとなっていますが、広い境内はきれいに整備されていて今でも信仰は守り続けられているのを感じました。このような静かな雰囲気の中で古の栄枯盛衰を偲びながら広いお庭を巡り、またたくさんの仏像に手を合わせることで日頃の雑念から離れ心洗われる気がしました。場所が場所だけに楽に行けるところではありませんが、本当に良い所だったので皆様も近くに行かれることがありましたら、是非お寄りして見られたらいかがでしょうか。きっと秋には素晴らしい紅葉が見られることと思います。冬に積雪の中を歩くのはもっともっとすがすがしいことと思います。

 


釈迦山百済寺 の後半

本坊のお庭と素晴らしい眺望を堪能して、更に山の上にある本堂に向かいました。

仁王門に着きました。大きな草鞋ですね。身長15~20mくらいの仁王さんが履くのでしょうか。

 

門をくぐるとまた石段です。

お庭の清掃の方がいました。三山ともに素晴らしいお庭と参道がきれいにしてありましたが、日々このようにして手入れをされているのですね。

 

本堂に着きました。

樹齢1000年の菩提樹

 

うれしいことにこちらの梵鐘も撞いても良いとのことです。

音の出るものは私にとって一種の楽器のような気がして、どうしてもその音色を聴きたいのです。皆様にもこの鐘の音をお届けできないのが残念です。この鐘はまだ新しいだけにとても良い響きを持っています。

 

 

本堂の帰り道は来た道と違う車道を歩いてみました。

凄いミツマタですね。ここらは和紙の産地なのでしょうか。

 

受付の所に写真が沢山飾ってありました。四季折々の寺の風景です。写真でわかるように、特に秋の紅葉の色鮮やかさは素晴らしいことでしょう。そんな季節にまた訪れてみたいです。

 

駐車場に戻ると少し車の数が増えていました。

 

 今日は湖東三山を一日かけてゆっくり楽しむことができました。琵琶湖の畔は寒いのか春の訪れが遅いようでした。桜はまだ咲いていなくて少し残念でしたが、観光客も少なく静かな雰囲気を楽しむことができました。予定を終わり、一路京都駅へ向かいました。

 


全てを終わり、帰宅の電車の時間までにいつも京都駅にてみんなでコーヒーを飲みます。学生時代からの馴染みの喫茶店イノダで懐かしいコーヒーを飲みながら旅の余韻に浸ります。

このお店はいつもお客さんでいっぱいですね。

 

また来年の春集まることを約束して、それぞれ帰路に着きました。

このブログをご覧になってくださっている皆様には12回もお付き合いいただきありがとうございました。何とか最後までたどり着けました。

 


春の京都 二日目 5.

2019年04月27日 | 日記

この日の昼食

ニシンそば  次のお寺への途中で小さな道の駅のような施設があり、そこで簡単な昼食をとりました。昨日の食事に比べると簡素ですがこちらへ来ると食べたくなるのがこのニシンそばです。学生時代には、学生食堂で一食45円のニシンそばをよく食べたものです。その頃も、おいしかったですねー。

 


 この度の旅で最後の訪問地になります。今夜で京都シリーズを終わろうかと思っていたのですが、いつもの癖で写真の枚数が多くて収まりきれないようです。最終回は次回と言うことにいたします。

湖東三山の最後は、釈迦山百済寺です。三山のうちもっとも北に位置する西明寺から始まって、南へ下り金剛輪寺、さらに南の百済寺(ひゃくさいじ)へとやってまいりました。数年前から訪ねてみたいと思っていた湖東三山ですが、ようやく念願がかないました。

百済寺は近江では最も古いお寺です。推古天皇の時代に、聖徳太子によって建てられました。当時朝鮮半島の高句麗から来られた高僧、恵慈の勧めでこの地に開かれたそうですが、理由として近江の国は当時の日本の要衝の地だったのですね。やがて平安の世になって都は京都へ移りますが、戦国の時代また信長はこの近くに安土城を築きました。現在の百済寺はわずかなお堂・建物しか残っていませんが、最も栄えた時代には300もの僧坊を抱えた大寺院だったようです。戦国時代、信長に味方しなかったため焼打ちに会い、1か月にわたり燃え続けほとんどすべての建物は燃えたそうです。当時の壮大な伽藍を想像しながら歩きました。今に残されている建物やお庭はわずかですが、それでも素晴らしい所だと思いました。

 


釈迦山 百済寺

お寺の駐車場に着くと黄色い花が目につきました。ミツマタの花です。

早速受付に

 

喜見院

建物の裏に回ると池泉回遊式庭園が見られます。

ここのお庭にもショウジョウバカマが咲いていました。ほんの数株だけと言うのがいいですね。

鯉たちがお腹を空かせているようだったので、餌やりを勧めてみました。

これで池を一回りです。

 

庭の奥から山の斜面を登って行きます。

少し高い所へ登ってくると開けてきて、遠望のできる所へ出てきました。近江の国と琵琶湖が眺められます。琵琶湖の向こう側に連なる比良山系にはまだ白い雪が積んでいるのが見えました。四月と言ってもこの辺りではまだ冬の名残が見られました。

 

 

いろいろ詳しい案内板が提示してありましたので、読めたら読んでみて下さい。

 

 

 

ここまでで百済寺の前半とします。

 


春の京都 二日目 4.

2019年04月26日 | 日記

今日の花

金剛輪寺の椿

 


 今月中には京都の旅を終わりたいと思っています。今夜も遅くなって始めたものですから、眠気もあり当日のことをうまく思い出せないところもありました。

今日は前回紹介した本坊から山腹の本堂へ向かう参道と国宝の本堂と再建された三重塔をご紹介いたします。本堂までの上り坂はかなりの距離があります。道の両側には約1900体もの地蔵様がお祀りしてありました。私たちはゆっくりと登って行きました。本堂は静かな山の中にあり建物は自然の中に溶け込んでいるようでした。ただ桜の木はほとんどなく春の賑わいをわざと避けているようにも感じられました。それはそれで良いと思います。ただこのお寺は紅葉の時期に訪れてみたいところですね。歩く道のりが長かったもので自然と写真の数が多くなってしまいました。

 


本坊明寿院から本堂大悲閣へ

 

 

ようやく山門が見えてきました。

 

本堂 大悲閣

 

鐘楼  もちろん鐘を突かせていただきました。

 

再建された三重塔

 

 

 

堂内の拝観

 

帰り道

 

これで湖東三山のうち二ヶ寺を午前中に回ることができました。午後には残りの百済寺です。

 

このお寺も西明寺同様、とても静かな心安らぐ所でした。

 


春の京都二日目 3.

2019年04月24日 | 日記

今日の花

ショウジョウバカマ    毎年この時期に寺の庭で出会える草花です。周防大島では見たことがないのですが山の中を探せばどこかに生えているのでしょうか。

 


 今年の京都シリーズは今日で8回目です。春の過ぎ去ろうとしているこの頃になるともう旬が過ぎたような気がして、シリーズが最後まで行かないまま終わることが多いのです。でも今日は一日中雨模様で少し暇だったのでブログの更新がてらシリーズの続きを書くことにしました。

湖東三山の二つ目のお寺「松峯山 金剛輪寺」についてです。金剛輪寺は聖武天皇の勅願寺として行基菩薩が天平13年に開いた古いお寺です。もうじきに変わる元号のことがいま大きな話題になっていますが、天平13年と言われてもどのくらい昔なのかすぐにわかる人は少ないでしょう。でも西暦で741年と言えばあの頃だなとすぐにわかりますよね。私は生年月日を書く時にはできるだけ西暦を使います。1946年の生まれですが、どのくらい古い人間かすぐに計算ができます。元号の昭和で書くと昭和21年の生まれですが計算が難しいですよね。天平13年が出てきたので話が本題から外れてしまいました。お寺の歴史などは調べればすぐにわかりますので、ここでは現状を写真でご紹介いたしましょう。最初の西明寺に劣らぬ静けさと遺構の立派さに感動しました。観光客がほとんどいないのもゆっくりできて良かったです。山門を入って本坊に至るまでが長かったですね。昔は僧坊が100を数えるほどあったということですが、たった一つだけ残った本坊の庭は素晴らしかったです。今日はそのお庭の紹介までとします。

更に山の上に続く道を登ってゆくと本堂に至りますが、そこのところはまた次回にいたします。

 


松峯山 金剛輪寺

 

 

黒門と呼ばれている最初の門

 

受付までの道のりもかなりあります。

道を左に曲がると赤門が見えてきます。

また右に曲がると登って行き本坊が見えてきます。

木戸をくぐるともうお庭へ入って行きます。

すれ違った人たちは韓国語を話していました。このようなところをよく御存じですね。

江戸時代に作られた茶室です。

 

テングチョウが飛んでいました。

 

江戸時代中期の庭だそうです。

山の斜面がうまく庭に取り込まれています。

庭園入口から出ました。

先に読んでから入るべきだったのでしょうか。

 

ここから本堂まではまだまだ長い道です。

 


帯石観音(普門寺)の 八重桜

2019年04月23日 | 日記

今日の花

シャガの花   今頃、山の中で半日蔭に群落で咲いていますね。

 


 私の住まいの周辺で咲く桜の花は1月の薄寒桜から始まります。薄寒桜は寒中の真っ只中で花開く寒桜ですが、寒さの中にも春が近づいているのを感じさせてくれます。

そして22日には初夏を思わせる陽気の中で遅咲きの八重桜を見てきました。昔から八重桜はあまり好きでないものですから、今までに1000本近く植えた桜の中に八重桜はありません。馴染みの苗木屋さんから御衣黄と言って1本だけいただいた八重桜がありました。どこかに定植する気になれず、その木は野菜畑に仮植えしただけで10年以上経ち大きくなっています。毎年切らなくちゃあと思いつつ畑に日陰を作っています。野菜に与える肥料をもらってますます大きくなっています。もう大きすぎて移植も難しいのでかわいそうですが切るしかありません。

しかし、考えてみると八重桜もソメイヨシノの後に咲くというのがかわいそうですよね。春だ春だと華やかなソメイヨシノのもとでどんちゃん騒ぎ?をした後ですから、もう八重桜を見て浮かれている場合ではありません。新学期は始まっているし、新しい職場ももう落ちついていることだろうし、春はもう終わったと考えた方がいいのかもしれません。私も今年最後の花見と思って帯石観音へ行ってきました。八重桜の代表的な品種、関山・普賢象・一葉などが見頃でした。

桜を見に行ったのですが、モミジの新緑もとてもきれいでした。

 


八重桜 一葉

一葉は大型の八重桜で満開時には白い桜のように見えます。そして花の中心から2本の雌蕊が出ているのが見えます。

ピンクの色が淡いので、色の濃い関山ほど重たい感じがしません。

 

普賢象   とても古い品種です。室町時代にはもう知られていたそうです。

 

御衣黄   少し盛りを過ぎていました。御衣黄でなく鬱金桜かもしれません。

 

 


帯石観音(普門寺)  ってどんな所

 

 

 

私以外、誰もいないと思っていたら 写真を撮る人を見つけました。

 


このお寺は大島では八重桜の名所として名が通っていますが、紅葉の名所の少ない大島の中でもモミジが多く植えられていて、みなさん晩秋に来られるとまた素晴らしい紅葉に出会えますよ。

 

新緑と紅葉 (2019年4月22日と2018年12月2日)

 

 

 


夕暮れの海

2019年04月22日 | 日記

今日の花

普賢象  鎌倉時代からの古い品種です。
 

 天気は良いし、暖かくて、しかも夕凪です。久しく眠っていた釣りのことが目を覚ましました。春の魚であるメバルを釣りに行ってみよう。
夕方の6時でしたがまだ間に合うでしょう。釣り道具をかき集めて海へ出かけました。日は西に傾いていましたが没するまでにはまだ時間がありました。
久しぶりの海なので写真も撮りたいし釣りの準備もしなければなりません。
それにしても夕日がきれいです。珍しい自然現象も見られました。沈みつつある太陽の右の方で少し離れたところに虹のような光輝くところが見られました。
幻日ですね。
そしてさらに太陽が下がって行くと沈みつつある太陽の上に向かって光の柱が見られる、太陽柱が現れました。
そんな夕日を眺めていると、釣りどころではなくなってしまいました。
 

釣り場に到着しました。
 

 
 
 

 

この時幻日が現れているのに気づきました。

 

やがて太陽柱も見えてきました。

 

飛行機雲、太陽柱、幻日

 

 

太陽は姿を消しました。

 
 
昼間は山寺へ桜を見に行き、夕方には海へ魚釣りに行きましたが、夕日がきれいだったので魚釣りはできませんでした。
 
 

春の京都 二日目 2.

2019年04月20日 | 日記

今日の花

八重桜 関山   桜の花も遅咲きの八重桜の時期となりました。1月半ばから咲き始めた薄寒桜から始まり、春がやって来るまでいろんな桜を楽しんできましたね。

 


 昨夜、写真の整理をしようと思ってパソコンのスイッチを入れました。デスクトップの画面が現れるとなんだか様子か変なのです。沢山並んだアイコンやフォルダの中にいくつか空っぽのフォルダが見つかりました。フォルダの名前を見ると毎日の写真のファイルを入れたフォルダです。4月1日から4月10日までの日毎のフォルダがすべて空っぽになっているのです。

良く考えてみると、1週間くらい前からパソコンの動きが悪くなったので、2・3日前に溜まり過ぎたハードディスクの整理やお掃除をして、なおかつシステムの不調もなどもあるので復元や修復を時間をかけてやりました。その直後だけにファイルが無くなったのは何か操作ミスがあったのかと心配になりました。ハードディスクの整理をしている時にファイルやフォルダを移動させているのでデスクトップ以外の所へ移したかも知れないとあちこち開いてみましたが昨夜は見つからず半ばあきらめていました。趣味の写真ですから失った所で大して困るわけではないのです。ただ4月初めの京都旅行の写真もすべてなくなっていましたので少しだけ惜しかったなと悔やんでいました。このブログにその時の紀行を6回載せましたが、予定としては12回くらいやろうかと思っていました。元になる写真が無くなったなら続けることはできませんので京都旅行もこれでお終いだねと、残念な気持ちとこれでお終いにする口実が出来てホッとしている気持とで今日一日は複雑な心境でした。

所が今日、再びパソコンをひらいて無くなったファイルをまた探したら見つかったのです。普段入れるはずのないフォルダに入っていました。何かの操作ミスがあったのでしょうが、京都旅行の写真が出てきたので続きをやらざるを得なくなりました。花見のシーズンも終わりましたが、京都旅行の続きをブログに載せますのでしばらくの間お付き合い下さい。今日は滋賀県の湖東三山の一つ西明寺の2回目です。

 


西明寺 本堂

山門

 

 

国宝の本堂と三重塔

本堂

山門

鐘楼

初めて私たち以外の観光客に会いました。

撞いても良い鐘はわたし必ず撞きます。

国宝の三重塔

素晴らしい木組みですね。

 

石の上の蝶は静けさを象徴しているようです。

 静けさや石に乗せたる蝶一つ    芭蕉風に

 

帰り道、来た道を下って行きます。

更に下へ道は続きますが、この道が本当の参道です。少しだけ下ってみました。

 

 

もう二度とここまで来ることは無いかもしれませんが、素敵なお寺でした。信長の焼き討ちからうまくのがれたものです。

私たちが出ると駐車場は空っぽになりました。

 

次は、松峯山金剛輪寺へまいります。

 


ウグイス とその他

2019年04月19日 | 日記

今日の花

御衣黄  この桜は緑色から薄いピンクに色が変わって行きます。

 


 今日も春らしい気持のよい一日でした。

アサギマダラが毎日次々と羽化しています。今年は何故か♀が多いようです。気候は良いし、どこへでも好きなところへ飛んで行きな、とマーキングして放ちます。アゲハチョウは今年は早くから出てきましたね。3月の下旬にはいくつも飛んでいましたが飛ぶスピードが速くて一枚も写真は撮れませんでした。

海の風景も春らしく見えるようになりました。ウミウのカップルがのんびりと日向ぼっこをしています。

そして今日は比較的近い距離からウグイスの鳴くところを写真に撮れました。ウグイスは縄張りを持ってその中を巡回しているようですが、結構臆病なところもあって近くで写真を撮るのは難しい鳥です。ご存知のようにホーホケキョの鳴き声は良く通りますのでかなりの遠距離からも聴こえてきます。それに対して緑色のメジロは人をあまり恐れませんので、昔の人は梅の木や桜の木にとまっているメジロを見てウグイスと間違えていたようです。ウグイス色というのは淡い黄緑色のことを差しますがウグイスの色は黄緑色ではありません。今日は近くで鳴いていたので鳴いている姿を動画に撮りました。こちらのブログに動画を載せるのは面倒なのでフェイスブックの方に載せました。

今日は、春のチョウと鳥をお届けしました。

 


ウミウ

 

 

生まれた アサギマダラ

 

 

アゲハチョウ

 

 

電線で鳴くウグイス

 

この小さな体からよくあれだけ大きな声が出ますね。

 

 


のどかな春の日、久しぶりで港の公園に

2019年04月18日 | 日記

きょうの蝶

アサギマダラのマーキング  羽化したばかりのアサギマダラ

 


 桜は終りましたが、気持ち良い暖かさの穏やかな春の一日でした。久しぶりで港の公園にふらりと寄ってみました。木々は新芽を吹き、草は小さな花をつけていました。どうしたことか今日は猫がいません。犬の散歩をしている人がいたからでしょうか。

カミさんがタケノコが要るというので今年初めてタケノコ堀りに行きました。竹藪は何か所もあるのですがこの頃あまり堀に行かなくなりました。タケノコも人からいただいて食べるくらいで丁度いいと思うようになっています。そして、イノシシが私の代わりに掘ってくれますのでそれも理由の一つです。今日なんかタケノコはいっぱい出ていると思って出かけたのですが意外や意外たったの5本しかとれませんでした。4月になって気温が低いから出が悪いのか、それともイノシシが先にほとんど食べ尽くしたのか、どちらにしてもこんなはずではなかったといった様子でした。

 


港の公園

 

 

 

 

春ののどけさを破る突然の大きな騒音に空を見上げると・・・・・

 


タケノコ掘り

 

いいものはありませんでした。イノシシめ ! 

 


みかんの接ぎ木

2019年04月17日 | 日記

今日の蝶

アサギマダラ♀   4月に入ると次々と羽化してきます。数日飼って天気の良い日にマーキングして放ちます。

 


 「今何してる? 」 って皆さんよく聞かれませんか。実は、私は今みかんの接ぎ木をしているのです。

みかんの木は植えてから40~50年くらいは持ちます。野菜などはほとんど一年一作ですから毎年同じものを作らなくても次の年には品種を変えるのは容易なことです。しかし果樹などは木ですから一旦植えたら何十年も同じものを作り続けることになります。植えたみかんの木を何年も作ってみて、そのみかんの木の果実が品質においてよくないことが分かっても別の品種に変えるのは野菜のように簡単ではありません。10年以上も育てた大きなみかんの木を他の品種に変えるのは伐採して、抜根して別の品種のみかんに植え替えると元の木の大きさになるのに更に10年かかります。そこで、もっと効率よく簡単に品種を変えるためには、大きく成長している元のみかんの木に別の品種を接ぎ木して木全体を変えるという方法があります。私が今日やっているのは接ぎ木によって元の品種を別の品種に変えるという方法です。小さな苗木で植え替えをすると元の木と同じ大きさになるのに10年かかりますが、接ぎ木で種類を変えると3年で元の木と同じ大きさのみかんの木が得られます。接ぎ木はみかんの木にとっては大手術ですから今年一年間の管理や養生は結構手がかかります。それでも短時間で成果を上げることができるというメリットがあるのです。一挙更新の接ぎ木は大手術ですから元気な木でないと耐えられませんし、後の看病が大事です。技術的には難しいことではありませんが切れ物は良いものを使った方が成績が良いようです。

何故接ぎ木をしなければならなくなったかと言えば、元のみかんの木は「ベニバエ」と言う柑橘です。このみかんの味の良さに惚れて植えたのですが、いろいろ欠点の多い品種で、何年もその欠点を補う方法を考えてみたのですが最近ついに諦めました。ベニバエは味はとても良いのですが果皮が剥きにくく、種がたくさん入り食べにくいのです。その上、樹には小さなとげが沢山あって管理が大変なのです。そこで今年は思い切って接ぎ変えようと考えた次第です。

 


みかんの木の接ぎ木(腹接ぎ)

10年くらいたったみかんの木

 

枝を切り払います。

枝葉を切取ると幹だけになります。

この幹に新しい品種の柑橘の枝を接木するのです。

穂木はもう削ってあります。

 

幹に接ぎ木刀で切り目を入れます。そして、切り目に穂木を差して行きます。

枝全てに穂木を挿して行きます。

 

次に、穂木が乾燥しないようにビニールテープを巻いてゆきます。

隙間なくきれいにテープを巻いたらお終いです。

 

次の木の枝葉を切り落とします。

 

このようにして接いだ穂木は2週間ほどで芽が出てきます。春に出た芽は30㎝ほどで摘心し、7月頃に夏の芽が出てきます。そして9月にもう一度芽が出て元の木の大きさの2/3ほどに戻ります。次の年に、実のなるのを休ませると丸二年で元の木と同じ大きさに戻りますので、3年目からは元の木と同じ収量の出る木になります。

今度はどんな柑橘がなるのでしょうね。