曜日のない暮らし

日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間
暮らしと心を癒してくれる生き物たち
山本弘三の写真を中心にした日記帳

目の病気

2017年09月29日 | 日記

 昨日は朝から雨も上がり青空が見えていました。
一昨日息を引き取ったビビリの埋葬をするため、午前中に我が家の墓所をきれいにしに行きました。そこは嵩山の中腹で我が家のみかん畑の最も標高の高いところにあります。前に広がる瀬戸内海と島々が一望できるそれはそれは景色の素晴らしいところです。その土地は私がみかん作りを始めたころにはYさんという方の土地でした。その方が若いころに山林を切り開いて石垣を築き、段々畑を何段も作ってみかん畑としたものです。その畑の最上部には小さな広場があり梅の木が植えてありました。私がはじめてそこに登って目の前に広がる海の景色を眺めた時、いつかこのみかん畑を譲っていただきたいものだと心に思いました。やがてYさんも歳をとってみかん作りをやめ、近所の方が引き継いでその畑を作ることになりました。その畑を譲り受けることは半ばあきらめていましたが、引き継いだ方も数年でその畑を耕作することをやめてしまいました。それを機会に私がその畑を買い取ることになり、以後私の念願がかなって景色のよい土地は私のものとなったのです。そして現在、その景色の素晴らしい場所は人間が畑として利用している最も高いところで、そこより山の上の部分は山林原野です。だれにも迷惑をかけないで済む所として、将来私の墓所としたいと思っています。墓石とかモニュメントとなるものは一切いりません。このごろ海への散骨が流行っていますが、私の遺骨をそこらあたりに撒いてもらいたいと思っています。その周囲には私の好きな桜の木をすでに何本か植えてありますが、そのうちの1本はかなりの大木となり、春にはふもとから山を見上げた時に桜の花で位置がはっきりとわかるまでに大きくなっています。最初に植えた桜はソメイヨシノだったので長持ちはしないと思います。よく持ったとしても100年が精一杯でしょう。もう少し長持ちしそうなしだれ桜も植えてあってかなり大きくなりました。来年の春にはすでに注文してあるエドヒガンの桜の苗木ができてきますので、それを植えようと思っています。エドヒガンという桜は長寿の桜で現在日本には寿命1000年を超すような古木が何本もあります。エドヒガンは寒いところを好む桜ですからここ大島でうまく育つかどうか心配です。1000年後にその桜が私の墓所に立っているかどうかはわかりませんけどね。

というわけで、一昨年亡くなったクッキー(ビーグル犬)はすでにそこに埋葬されていますし、今回のビビリもそこに埋葬します。午後一番に家族みんなの見送りを受けてトラックで山へ向かいました。土葬ですからイノシシなどに掘り返されないようにかなり深い穴を掘り埋葬しました。その上には周りを切り払った木々を積み上げ獣除けとしました。墓標は無しです。

ビビリは生まれた時からみかんの作業場をねぐらとしていましたから、私が作業場で仕事をしているときにはいつも邪魔をしに来ました。遊んでくれという態度です。これからしばらくは邪魔する者がいなくて少しさびしいでしょうね。

 

 さあ、今日は朝から秋晴れの上天気です。実は2・3日前からアサギマダラのことが気になっています。ご存知のようにアサギマダラという蝶は渡り鳥のように北へ南へと旅をする蝶です。夏を北の地方で過ごしたアサギマダラは北の方から秋の訪れとともに寒さに追われるように南国に向かって南下してきます。そのアサギマダラの群れが大島にやって来るのが例年ですと10月の初めです。大島ではアサギマダラの大好きな花フジバカマをたくさん植えて群れのやって来るのを待っているのですが、花の準備は整っているか卵を産むための食草の生育状態はどうかなどアサギマダラへのオモテナシが準備できているか気になっていたのです。この数日山まわりもできなかったので、天気の良い今日こそと思って、あちこちのフジバカマ園や野生のヒヨドリ花の咲き具合など見て回りました。フジバカマはまだ蕾でしたが、原種フジバカマと白色ヒヨドリ花はよく咲いていました。もし運が良ければ南下アサギマダラの先頭の群れに出会えるかもと期待しましたが、どこのフジバカマにもアサギマダラは来ていませんでした。やはり10月に入らねばやって来ないのでしょうか。待ち遠しいことです。

 今日は午後になって徳山の眼科医院へ行くことになっていました。実は、数日前から目の異常に気付き一昨日地元の病院の眼科で診ていただきました。
どのような異常かと言うと、好きなカメラのファインダーをのぞくとファインダー内画面の右側に陰りがあってはっきり見えないのです。左目なのですが目を閉じるとそのはっきりしないところの部分が白抜きになり、目をあけるとその部分が薄暗い影になるのです。眼科の先生の見立てでは加齢性黄斑変性症であろうということでした。その専門の先生が徳山におられるので紹介状を書きましょう。専門医の所で診てもらってくださいとのことでした。要するに網膜の裏側で出血が起こっていて網膜細胞とその基盤に当たるところとの間に液がたまって離れているのです。今日は徳山の医院で目の底の部分の断層写真を見せてもらいましたが確かにそうなっていました。黄斑変性症というのはヨーロッパ人には多く日本人には少なかったのだけれど最近は増加しているそうです。そして女性より男性に多い症状だそうです。私のようにいつも野外で仕事をすることの多い人間は紫外線を普通の人より多量に目に受けますので白内障と同様発症の確立が高いものと思います。今の私の場合は出血場所が目の中心部の黄班を少し左にずれているので大きな視力低下にまではなっていませんが、症状が目の中心部にまで広がると著しい視力低下になるそうです。以前ヨーロッパではこの病気が失明原因のトップだったとのことです。そして少し前まではこの症状に対する治療方法はなかったのですが、いまは薬剤を眼球内に注入する方法やレザー光線での治療、手術による方法などが開発されているようです。今日の診察の結果では、治療方法はひと月に一回薬剤の注入ということになりました。それを3回やって様子を見るということです。それで進行が止まればよいのですが、片目の視力が失われることになるととても不便になることでしょうね。人間が持つセンサー五感の中で視力は最も重要性の高いもので、外から取り込む情報の80%を占めるとまで言われています。美しいものを見る喜びを失うことはどんなにか辛いことでしょうね。

最近ちょっとついていない気がします。PCは突然壊れるし、・・・・・。
でも、嵐はいつか通り過ぎるし、夜明けの来ない夜はないそうです、静かに待ちましょう。

 


消えていった命

2017年09月27日 | 日記

 今日は朝から細かな雨が降っていました。我が家には飼い猫が3匹います。好きな蝶は今飼っていません。


 先週の金曜日から患っていた我が家の猫ビビリがついに今日の夕方呼吸をやめました。2007年の5月生まれですから満10歳です。兄弟たちはまだとても元気ですが、雌猫のビビリがこの夏ごろから食が細くなり痩せてきたので気になっていました。それでも行動的には元気だったので、猫は連れて行くのが大変なので動物病院にも連れて行かず、様子を見ていました。ところが先週の末になって食べ物を吐いたりして急に弱ってきました。運悪く土曜日曜と連休で病院はお休みなので月曜日までお医者さんに診てもらうことはできませんでした。以前飼っていた犬も最後は私が手を尽くして看病しましたが、今回ビビリはもう餌を食べられなくなっていましたので、どう対処すればよいか悩みました。物を食べなくとも最低限の水の補給だけは欠かせません。初めはまだ自分で少しだけ水を飲んでくれましたが、次の日には自分で飲もうとするがうまく飲めなくなり、仕方なくスポイドで少しずつ口の中に入れてやりました。それでもまだ飲み込むことはできました。月曜日の朝にはかなり衰弱した状態なので、元気な時だったら難しいのですが容易にキャリイに入れることができました。連休明けなので動物病院は大変な数の犬・猫が来ていてずいぶん待たされました。診てもらった結果は心配した通り腎臓が相当悪くなっていて回復は難しいかもしれないとの診断でした。お医者さんには今できることは入院させて24時間の点滴をするくらいしかないと言われましたが、体力を少し回復させても腎臓の治る見込みはないとのことなので入院させるのはやめました。猫にとって初めての見知らぬ所で縛り付けられて点滴を受けるより、住み慣れた家でできるだけ私たちが相手をしてやって静かに命を終わらせてやりたいと思ったのです。そうと決まったら、水が飲める間は甘いものや牛乳を飲ませ、動ける間は外へも連れて行きました。そとて、今朝はついに横たわってしまい、物を飲み込むこともできなくなりました。それでも私の呼び掛けにはまだ答えていました。午後になると頭や首をなでることには少し体を動かす反応がありましたが、触っても体温がかなり下がっているのがわかります。今日の日が越せないであろうことは予想されましたが、ついに夕方には息を引き取りました。

 私は農業を営み自然の中に身を置いて暮らしをしていますので、常に多くの命と向き合っています。植物や動物の中にはすごく長寿なものととても短い命のサイクルで暮らしているものがいます。木の中には1000年以上も生きながらえるものがいるのに、虫の仲間には一年間に10世代以上を繰り返すような短い一生を過ごす者がいます。私たちにとってとても身近な生き物の命は大事ですが蚊や蟻は平気で潰してしまいます。そして自分自身が一番大事なのは仕方がありませんが日々の営みの中でたくさんの命を奪うこともあり、そのことで少しは気が咎めます。どの命も等しく30数億年地球上で生きてきたのですからその歴史の重みを考えると命の重要性を考えさせられることがあります。ビビリは今日生きることをやめましたが、生まれてからの10年をを生きただけではないように思います。ビビリにも過去へ遡れば親がいてまたその親がいて地球の生命の誕生まで遡ることができるはずです。ということはビビリも他の生き物と同じ30数億年の命を生きながらえたわけです。でもその1個の命は今日で終わり、未来へ引き継がれることはなかったのです。


いま、夜が更けてきましたが外はまだ雨が降り続いています。私には涙雨のように聞こえますが、雨は多くの命を育みます。雨の日に小さな命が消えて行きましたが、この雨で生まれてくる多くの新しい命があることでしょう。たとえば、今みかん畑では春の草が一斉に芽を吹いています。

よその家の飼い猫のことなんてどうでもよいことでしょうが、もしよかったら、我が家の猫ビビリの冥福を祈ってやってください。

 

 


彼岸の中日

2017年09月23日 | 日記

 今日は秋分の日ですね。太陽が真東から上り真西に沈み、夜と昼の時間(どこからどこまでが夜でどこからが昼というのか私にはよくわかりませんが)が同じとされています。明日から冬至までの間は昼間の時間がだんだん少なくなって行き、北半球では寒い冬に向かいます。そのような節目の日ですから、彼岸は雑節の中の一つとされています。雑節とは24節季などと同じように暦の中で使われる季節を表す言葉ですが、昔多くの人が農耕に携わっていたころには季節の移り変わりは農作業にとってとても大事なことだったため、そのような日を暦の中にきちっと示さなければならなかったのでしょう。九つある雑節の中では、今の社会では使われることがなくなり忘れ去られたものが多いです。そんなことはどうでもいいのですが、今の人にはお彼岸というとお墓参りという言葉が一番先に思い浮かびますよね。祖先をうやまう気持ちの強い日本人はこの日墓参りをすることを大事にしています。でも私は今日墓参りには行きませんでした。今日だけではありません、先祖を大事に思わないわけではありませんが形式的な墓参りというものは好きではないのであまりしません。

 彼岸という言葉はもともと仏教用語でしょうが、信仰心の薄い私にはピンときません。彼岸と此岸と対比させて考えるとイメージとして解りやすいのは解りやすいのですが、此岸つまりいろいろ問題の多い現世と悟りを開きあらゆることを克服した世界である彼岸と言われても、本当はますます解らなくなるものです。春の彼岸にはボタモチを食べて、秋の彼岸には同じものながらオハギを食べる日と言った方がわかりやすい気がします。それに、冬至と夏至は祝日ではありませんが、彼岸の中日である春分の日と秋分の日はなぜか祝日ですから、子供のころから嬉しくてよく覚えていました。この日が雑節の一つで暦の中で季節の移り変わりを表す日であり、仏教の中でも重要な日であるこの日がなぜ祝日になったのかは私は知りません。でも、春の彼岸は冬から春に向かう節目で、人々が自然をたたえ生命をいつくしむ気持ちにさせます。秋の彼岸は実りの季節で豊饒に感謝し、合わせて作物の生育を見守ってくださった祖先をうやまう気持ちにさせるのは季節がら自然な成り行きかもしれません。

 祝日である彼岸の中日のことは、わたしでも休日として忘れることはありませんが、彼岸の入りとか彼岸明けというのはほとんど意識したことはありません。今年の彼岸の入りは9月20日で、彼岸明けは9月26日です。彼岸というのは7日間あって秋分の日はその中日です。前の3日と後の3日の6日間に毎日一つずつ六波羅密の修業を行いなさいということらしいのですが、凡夫のわたしには中日の休日を楽しむことしかできませんね。せっかくのお彼岸ですから六波羅密というものを調べてみました。悟りの境地にいたるための六つの修業とは1.布施 (見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。) 2.持戒 (道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。) 3.精進 (不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。) 4.忍辱 (如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。) 5.禅定 (冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。) 6.智恵 (我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。)
このようなことを心に持ちなさいとの教えでしょうが、どこかの国の政治家さんたちにも少しは修業してほしいですね。 

 難しいことはさておき、写真マニアの私は今日は彼岸花の写真をたくさん撮りました。すぐにお見せできないのが残念です。(パソコンがまだ直っていません。)彼岸花と蝶はとても絵になります。しかし蝶はなかなかこちらの希望通りに吸密に来てはくれません。そして彼岸花は花が筒状になっていて吸密管の長いアゲハ蝶の仲間でないと吸密できません。小型の蝶が彼岸花に止まっているのは見たことがありません。アゲハ蝶の仲間は大型ですから派手な彼岸花に負けませんし、真っ赤な花に黒いアゲハなどとてもいいものです。我が家の庭にはいま普通の赤い彼岸花と白花彼岸花と黄色の彼岸花が咲いています。もうひとつヒマラヤの彼岸花というのもあるのですがまだ咲きません。今日はナミアゲハがやって来て白と赤の彼岸花に止まってくれました。黄色にも止まってと願ったのですが、そのまま行ってしまいました。今の時期には彼岸花は真っ盛りですから明日天気が良くて暇があったらたくさん咲いているところへ行ってみたいと思っています。いい写真が撮れたらそのうちにブログで紹介しますね。

 ここのところすっかり秋らしくなりました。魚釣りにも行きたいし、もうすぐアサギマダラの群れがやって来るし、極早生ミカンが熟れてくるしでとても忙しくなります。でも一年のうちで最も過ごしやすい良い季節ですから、皆様もしっかり秋を楽しんでください。

今夜はこの辺で。



台風一過の敬老の日

2017年09月18日 | 日記

台風への心配

 数日前から、非常に強い大型の台風18号がやって来るということでそのコースがとても気になりました。天気予報を見ては中心部の気圧が気になり、どこに上陸するかが心配なのです。農業をやっていると私たちは自然からたくさんの恵みをいただいていますが、時には自然現象によって農作物に大被害を受けることもあります。平成3年の台風19号は下関あたりに上陸して山口県北部を通り日本海に抜けて行きました。私のところ周防大島は台風の進路の右側に入り、猛烈な風を受けました。しかも最悪なことに中心から100キロメートルのあたりは最も風速の早いところで、むしろ中心部が通過する方がおおむね被害の少ないものです。そして強風の被害に追い打ちをかけるのが、台風通過直後の南西風の吹き返しです。南に面している私の町は真正面からの風になり、その強風は安下庄湾の海水を巻き上げ、みかん園に潮水を雨のごとく降らせます。みかんの木の葉は少し光沢のあるかたい葉ですから健全な葉に海水をかけてもびくともしないほど強いのです。しかし台風の強風でもみくちゃにされた葉はすでに傷だらけになっています。その傷だらけの葉に潮水がかかると塩分が傷からしみ込み葉は枯れてしまうのです。その台風の吹き返しの間に雨が降ってくれたなら、葉にかかった潮水は洗い落とされて葉は助かるのですが、台風の進路の右側の後ろにはたいてい雨雲はなく通過後には雨は降りません。こうして傷ついたみかんの葉に付着した塩分は洗い落とされることなく風でさらに濃縮されてゆきます。台風19号はまさにこのような最悪のコースをとりました。台風通過後数日するとみかんの葉はほとんど茶色に枯れてしまい見る影もありませんでした。もちろんみかんの木だけではありません、南に面した山肌の木々もすべて茶色に変わっていました。その後日が経つと、元気な木は葉を落とした後芽を吹いて回復に向かいましたが、多くの木が枯れてしまいました。稲や野菜のように一年単位で作られる作物はその年の被害だけで済みますが果樹などの永年作物は被害が何年も尾を引きます。枯れた木の後に若い小さな苗木を植えても元に戻るまでには何年もかかります。台風の被害を受けた年の損害だけでなく損失は何年も続くので被害金額は計り知れません。そんな経験があるものですから、私たち農家にとっては台風がどこを通過してゆくかは大変気がかりなことなのです。

 

 今回の台風は、私のところでは昨日の午後最も接近しましたが、幸いなことに台風18号は南側を通過してくれました。私たちのところは被害がほとんどありませんでしたが、代わりに大きな被害を受けたところもあるのでしょうから手放しでは喜べませんが、昨夜遅くには静かになった時には無事を喜びました。今朝一番でみかん畑を見て回りましたが、今年植えた苗木も無事だったし塩害も見られなかったので一安心でした。わずかな被害と言えばアボガドの木が1本根元から折れて倒れていました。これは私の趣味の木ですから仕方がないで済ませられます。午後に見に行った畑でもう1本被害にあった木がありました。実がたくさんなっていた文旦の木ですが、実の重みで折れたものと思われます。折れた大枝にはたくさんの実がなっていましたが全部摘み落として枝も小さく切り縮め裂けた枝を元のところに戻して紐で縛りつけました。裂け目は乾燥しないようにビニールテープで巻いて保護しました。こうしておけばおそらく回復するものと思います。実はなくなりましたが枝だけでも生かしておきたいからです。

 

 昨夜イノシシさんがたらふくご馳走になったであろうと書きましたが、栗はどうなったでしょう。夕方カミさんが拾いに行きましたが、思わぬほどたくさんの収穫がありました。台風が怖くてイノシシさんは食べに来なかったのかもしれません。ドジなイノシシですね。そして今日我が家ではようやく栗ご飯が出てきました。初物ですがなんだかいつもほどの栗の甘さがないような気がしました。一番初めに落ちた栗なのでまだ多少未熟なのかもしれません。カボチャとかサツマイモや栗は養分をでんぷんの形で蓄えていますのででんぷんのままでは甘さを感じることはできません。適温でしばらくの間貯蔵することによってでんぷんが糖に分解されるので甘くなるといわれています。やはり早すぎたのでしょうか。それと栗ご飯においては塩加減が大事です。程よい塩味は栗の甘さを引き立てます。カミさんは適当に入れるようで、とてもいい時と物足りない時がありますが大きな声では言えません。毎日の食事を作ってくれるだけでも大いに感謝しなければなりません。ところで、去年も書いたと思いますが栗を甘くして食べる方法があります。ご存知かもしれませんが、もう一度書きますので機会があれば試してみてください。さっきも言いましたように取りたての栗はそれほど甘くありません。栗を乾燥しないようにポリ袋に入れて口を閉め、氷温で一カ月置くのです。厳密な氷温というのは作るのが難しいので家庭用冷蔵庫のチルド室に入れておけばよいと思います。一カ月までは糖分が増加してゆきますがそれ以上長く置いても糖の増加はないそうです。昨年試にと思って10月の初めにチルドに栗を入れたのですが、私のお頭はモズといい勝負で隠した食べ物はすぐに忘れてしまいます。年が明けて1月になってチルドの栗に気が付きました。三か月もポリ袋に入れておいたので多少カビの生えているものもありました。さんざんカミさんに言われましたが傷んだものを捨てて残りの栗で栗ご飯を焚いてくれました。確かにすごく甘くなっているのには驚きました。

敬老の日

 台風が去って今日は秋晴れのいい天気でした。安下庄湾には2隻の貨物船が台風を避けて停泊していましたが、そのうちの1隻は急ぎの旅なのか朝早くエンジンを始動し出て行きました。夕方になってももう1隻の船は停泊したままでしたがどうしたのでしょうかね。今日は敬老の日で世間は休日のようです。船も停泊ついでにお休みということにしたのでしょうか。私もこの日にお祝いしていただいても恥ずかしくない年になりましたが、気持ちとしては今日の祝日と何の縁もないような気がしています。今日も一日仕事ができることを喜びとしました。




台風18号

2017年09月17日 | 日記

 


 古い言い方では台風のことを野分といったようですね。野原の草を強い風が吹き分けて行く様は映像としてもよく使われますが秋の風物の一つでしょうか。
風雅な言い方だと思います。源氏物語にも出てきますし、俳句の季語としてもよく使われます。 


台風の思い出

 台風は夏の終わりから秋にかけて日本にやってきます。昔の人はその災害を恐れ210日・220日を大風の厄日としていました。現在のような詳しい天気予報のない時代の人たちは突然やってくる嵐に翻弄され、恐れ戦いていたことでしょう。私のこどもの頃(昭和20年代から30年ごろ)テレビのない時代で、ラジオから流れる天気予報に親たちは台風対策に走り回っていました。昔の家は今の家のようにサッシで密閉されることはなく木製のガラス戸や窓でとても強度の弱いものです。隣近所からは雨戸を閉める音、窓などに板を打ち付ける金槌の音、などなど何処の家も台風対策に追われていたものです。やがて風と雨が強まり、電線がヒュウヒュウ鳴り出すと、雨戸をすべて閉じた薄暗い部屋の中でじっと台風の通り過ぎるのを待ちます。普段波静かな瀬戸内の海もこの時ばかりは外洋の海並みに荒れ狂います。子ども心には怖いもの見たさと興味半分で外へ見にゆきたいのですが、当然親が許しません。仕方なく二階の閉じられた雨戸の隙間や雨戸の板の節穴から一生懸命外の様子を覗ったものです。特に荒れ狂う波が沖の堤防や岸壁にあたって高く舞い上がる様子は普段見られない光景ですから、その迫力に驚き感動して長い間見続けていたものです。その時舞い上がった潮風が農作物に大きな被害を出していることは子供心には知りませんでした。台風が去ると外へ遊びに出られることがすごくうれしかったことを覚えています。海岸近くの通りへ行くと海岸の砂やごみが一面打ち上がっていて大変な状態でした。当時は海岸線は護岸工事のしてあるところは少なくて砂浜が多かったのです。その砂浜は私たちの夏の遊び場で小魚がいてアオサ・アマモなどの海藻が茂り、夏休みの間には日が暮れるまで浜辺で遊んだものです。

 そのころのことははっきりとは覚えていませんが、戦後のしばらくは大きな台風がよくやって来ていたように思います。そしてそのころまでは、この地域には210日(立春から数えて210日目の日)や220日を厄日として、山の上で火を焚いて祈る行事がありました。事前に山の上の広場に柱を立ててその柱に麦わらや稲わらを巻きつけたものを作っておき、210日の夜に子供たちで山に登り、わらでできた柱に火をつけるのです。私の兄たちはその行事に加わっていましたがまだ幼かった私は一度も連れて行ってもらえませんでした。仕方なく家から山の上で燃え上がる火を眺めて行ってみたいなあと歯ぎしりしていたように覚えています。各集落ごとにそのような火を焚く山があったようで、五山の送り火のように暗闇の中であちこちに大きな赤い炎が見えていたのを覚えています。そのような行事も山火事などの危険や子供の行事としても危ないということでなくなりました。私が少し大きくなったころにはその行事はなかったので残念ながら一度も山の上で火を焚くことはできませんでした。

 

台風の恵み

 台風は自然や人間社会に大きな災害をもたらしますが、恵みの雨も運んできます。夏の渇水期に減ったダムの水を回復させます。そして私の好きな南国の蝶を連れてきます。琉球列島の近くを通過する時に強い風にあおられた蝶は上空に運ばれ台風の移動と一緒に本土に連れてこられます。好きで来たわけではないのでしょうが蝶もなかなかたくましい生き物です。やってきた本州などで、そこで食草を見つけて卵をうみ一族の繁栄が始まるといった例がよくあります。我が家の庭にはこの10年の間にカバマダラという南国の蝶が3度もやって来て立派に繁殖しました。さすがに寒さには耐えかねて翌年まで子孫を残すことはできませんでしたが、その生命力にはいつも感動します。10年に3度というのは率が高いようで最近は秋になると我が家の周りに補虫網をもった蝶マニアの方が来られるようになりました。今年の台風はどんな蝶を南の国から連れてくるか楽しみです。

台風18号は予想によると今夜このあたりを通過するようです。数日前から栗の収穫が始まっています。今夜の大風でたくさんの栗が落ちるものと思われますが、栗園には柵がないのでイノシシが自由に出入りできるので明日の朝までにはすべて食べられてしまうことでしょう。以前にも書きましたが、昼間に落ちた栗は夕方収穫にゆく私のものですが、夜の間に落ちた栗はイノシシたちのものという分け方で過ごしてきました。普段の管理は私がしているのに半分わけとは私のほうが分が悪いとは思いますが、それでも我が家で食べきれないほどの量がありますので仕方がないと諦めています。イノシシたちは今夜はたらふく栗をごちそうになれることでしょう。


 


今日の音楽 (らんらんさんより)

 

Janos Starker - Kodály Cello Solo Sonata I. Mvt

久しぶりでチェロを聞きました。終了画面の中から選択すると、2番と3番も続けて聴けます。

 


台風のもたらした暇

 台風を作るのは誰でしょう。6月ごろから南太平洋上で発生が始まりますが、地球を取り巻く気流の関係で6月と7月には日本列島の方にやって来るものは少ないです。8・9・10月と偏西風が南に降りてくると日本への影響が大きくなってきます。台風は災害と恵みをともにもたらしますが、すべて太陽のせいですよね。大洋は夏の強い太陽の光を受けて大きなエネルギーをため込みます。そのエネルギーが水蒸気となり上昇し台風を作ります。エネルギーの循環と拡散のためでしょうか。人間社会が関与しているのかどうかはっきりはしませんが地球の温暖化が進むと台風はさらに大型化するそうです。これからはできれば災害が少なくて恵みの大きい小型の台風であってほしいものです。昨日は一日中台風対策で、ビニールハウスの補強や鉢物を小屋の中に取り込んだりで忙しい一日でした。そして今日は家の中でひっそりと台風の通過を待ちます。

金曜日の夜突然パソコンが壊れました。5年も使っていない古いパソコンを取り出し設定してネットにつなぎました。それで、今日は写真なしのブログを書いてみました。子供のころから文章を書くのが大の苦手で下手でした。双葉のころ芳しくなかった木は年を経た今も芳しくはなりません。素敵な文章を書かれる方のことが羨ましくもありますが天から与えられたものと諦めています。パソコンが治るまでしばらくはお休みした方がよいのかもしれませんが、今日は家の中でひっそりですから、こんな下らぬことを書いてみました。

 


実りの秋

2017年09月14日 | 日記

今日の花

マルバルコウソウ  (ヒルガオ科さつまいも属) 

 とてもかわいいきれいな花だと思いますが、秋になるとみかん畑の中で蔓をどんどん伸ばしてみかんの木や何にでも手当たり次第登って行きます。8月頃畑で芽を出したものがあっという間に3メートルも伸びてみかんの木を覆うことがあります。すごい成長力です。このようにたくさんの小さな花をつけるのですが、秋になるとこれまたすごいスピードで種を作ります。そして畑一面に種を播き散らし、翌年また夏になると一面に芽を出してみかんの木に登ろうとします。このサイクルを断ち切ろうとするには種を作らせないことが一番良いのですが、できません、いつも負けてばかりです。

 


いつの間にか秋ですね。 

 昨夜ジャム屋さんから青蜜柑の催促がありました。もうそんな時期になったのですね。5月にみかんの花が咲き、みかんは少しずつ大きくなってきましたが食べられるのはまだ先のことです。青蜜柑でジャムを作ることを提案したのはわたしですが、青蜜柑には熟したみかんと違った成分や香りがありジャムやマーマレードにするとみかんには無い魅力を発揮します。収穫時期は早すぎてもいけないし、遅いとみかんは熟れてしまいます。これから10日間ほどの間がいいものが出来るようです。今朝は試験的に少しだけ青蜜柑を収穫してみました。

 

午後には栗園に行ってみました。もう栗の実が落ち始めているはずです。落ちた栗をそのまま置いておくと全てイノシシが食べてしまいます。イベリコ ブタはドングリをブタに食べさせますが、栗の実はイノシシにとって大好物のようです。次の日の朝までに全て食べて1個たりとも残しはしません。

久し振りの栗園ですからまず草刈りから始めなければなりません。刈った草を取り除き、落ちている古いイガを捨てて栗園の下はとてもきれいになりました。イノシシも今夜からは歩き回るのがとても楽になることでしょう。

栗拾いの初日の今日はほんの少ししかとれませんでしたが、明日は今年初めての栗ご飯がいただけるかもしれません。私が作るのでないので、かも知れないということです。

 

 


青蜜柑の収穫

 

このみかんは無農薬栽培です。

 


午後の栗拾い

 

今年の栗は少し粒が小さいようです。

 


消えた小鳥の雛

栗園から帰って、日暮れ前に昨日見つけた小鳥の巣を見に行きました。昨日の午後には、ふかふかの産毛に包まれた4羽の雛が巣の中にいたのですが、今日はそっと近づいても何の反応もありません。巣の中は雛の姿は見えず空っぽでした。残念です。

 


写真のお遊びを一つ

 

1個の実を撮ったものです。わたしは何でしょう。

 


ジャクソンフルーツについて

2017年09月13日 | 日記

今日の夕焼け

美しい夕焼けは突然起こるので写真に撮るのが難しいです。仕事から帰って車を降りて、ふと空を見上げると西の方が真っ赤です。明日も晴れるのだなと思いながらカメラを取りに家の中へ入りました。カメラを持って道路に出たときにはすでに先程の夕焼けとは違っていました。

 


 ジャクソンフルーツと言う柑橘を食べたことがありますか ?  

私は名前だけは知っていましたが先日ある人からいただいて初めて食べました。味のことはまたあとで触れますが、最近南アフリカから輸入されて販売が始まっています。ただ輸入量がまだ少ないため、出回っている地域は限られているのでしょう。輸入時期は7・8・9月で日本に柑橘類が少ない時期だけです。

南アフリカで発見され、2012年に商品化された比較的新しい品種で日本には2014年に初めて輸入されたようです。グレープフルーツの仲間ですが果実の大きさはオレンジ程度です。形はまん丸で黄色ですからお月様のようなイメージでしょうか。グレープフルーツと違って果皮は手で簡単に剥くことができ、中袋ごと食べて食べられないことはありません。種は全くない実もありますが少しは入っています。一番大事なことは食味のことですが、グレープフルーツの仲間でありながら独特の苦みはほとんどありません。食べやすいです。柑橘特有の酸味についてですが私の食べた実3個については酸味はほとんど無いと言っても良いくらい酸が低く、酸っぱいものに弱い方でも問題なく食べられる味でした。酸味の効いた柑橘の好きな方には全く物足りないと思います。最後に甘さについてはやや物足りないという気がします。糖度計で測ってみましたが、8度から9度くらいで、出初めの極早生みかん程度です。酸味や苦味がないのでほのかな甘さでも爽やかに食べることはできます。時期的に夏ですから冷たく冷やして食べるなら、この程度の甘さでも美味しいと感じることもできるでしょう。ただ分析してみないとわかりませんが、果肉の中にフラノクマリンという物質を含んでいるとお医者さんから薬をもらって飲んでいる方の中にはグレープフルーツ同様食べてはいけませんと言われるかもしれません。輸入してお店がはじき出した単価は1個150円から200円くらいで手頃だと思います。今後ジャクソンフルーツはみんなに受け入れられて消費が伸びてゆくでしょうか。

 

わたしはゴンベイさんですから、種があるとすぐに播きたくなります。このジャクソンフルーツの種をカラスに取られないように鉢に播いて大事に保管しています。すぐに芽が出ると思いますが、この種から出た芽が大きな樹になって実がなり始めるまでには早くて10年余り遅いと20年近くかかります。この種から出る柑橘の実を食べられるのは、ずいぶん先の長い話ですね。長生きをしなくっちゃ ! 

 


ジャクソンフルーツ

小さなお月様

 

手で剥けます

ご覧のように中袋は比較的薄いです

果肉は少し水分が飛び始めていましたが、新鮮なうちなら大丈夫でしょう。

糖度計で甘さを計ってみましょう。

1個目の実

2個目

 

 

種は少ないけど少しは入っています。私としては種が入っている方が嬉しいのです。

2個むいでこれだけ種が入っていました。

3個で10個の種ですからまあ許せる範囲でしょう。

私は果物の中で葡萄が一番好きですから、シャインマスカットに手が出ます。

 

食べながら剥きましたが、残りはラップして冷蔵庫に入れておき明日の朝食の時にいただくことにしましょう。

 

好きな葡萄の中でもリザマートは大好きです。

 

遺伝子の保存のため種を播いておきましょう。次の世代の始まりです。

こうして生まれ故郷から遠く離れた日本で命は受け継がれてゆき、進化して行きます。  美味しい子供が生まれるといいですね。

 


屋代ダム公園の生き物

2017年09月11日 | 日記

今日の果物

 

ジャクソンフルーツ   後日詳しく紹介します。

 

シャインマスカット   今流行りのぶどうです。

 


 久しぶりの屋代ダム公園で沢山の蝶がいることを期待していましたが、意外に少なくて期待はずれでした。その代り、小川にはハグロトンボが沢山いて、普段はトンボの写真はあまり撮らないのですが蝶に似た飛び方をするハグロトンボの舞を追う羽目になりました。

ハグロトンボは蝶よりも警戒心が強くて2m以上近づくことを許しません。もっと接近して顔の様子までアップしたかったのですが出来ませんでした。

公園の自然を紹介するにはまだまだ沢山の材料がありますが、今回はこれでお終いです。

 


公園内に棲む いきものたち

 

コムラサキ

水辺に生えている柳の木にいるコムラサキですが高い樹上を飛び回るだけで低い所へ下りてくれませんでした。

 

キタキチョウ♀

恥ずかしがり屋で明るい所に出てきません。

ヤマトシジミ

何処にでもいる地味で小さな蝶です。

クロコノマチョウ

小川の側にはジュズダマがたくさん生えていました。クロコノマチョウの食草です。

 

野鳥

コゲラ 目の前のクヌギにやって来ましたが、すぐに飛び去りました。

 

ヤマガラ

 

 

ハグロトンボ

メス

 

オス

 

ハグロトンボの舞

なかなか優雅な舞です。

 

ちょっと面白いものを見つけました。

のぞいたばかりの彼岸花の蕾にツクツクボーシの蛹の抜け殻が付いていました。ツクツクボーシは秋になった今もまだ地中から出てくるのですね。君たちの季節はもう終わったよ。

 

 


小さい秋見つけた

2017年09月10日 | 日記

今日の花

萩の花  秋の七草の一つです。蝶が好む花なんですよ。

 


 屋代ダム公園を散策しました。木々は緑でまだ全体的には夏姿ですがあちこちに秋の気配が感じられます。秋と言う季節は嫌いではありませんが、今の時期には夏が去るのを惜しむ気持ちが大きくて小さな秋を見つけても寒さの中に春の気配を見つけた時のような喜びは感じられません。夏の後姿をまだ追っている私です。

 

映画「ふたりの桃源郷」を見たその夜テレビで「ターシャ テューダーの森とひ孫たち」の番組を見ました。ターシャが亡くなって9年経ちますが、ターシャの孫夫婦がひ孫と一緒にあの素敵な庭と森のあるお家に住んでいるのですね。多くのものを求めず、質素で静かな自然の中の暮らしをして、家族や友人がその生活を支えている所は共通の所があるように感じました。そして私の頭の中に、昨年の9月21日に祝島を訪れたときに「平 萬次さんの棚田」を見た感動がもう一つ同じように浮かびました。家族で力を合わせ自然と闘いながら立派な棚田を作り上げました。大地と共に生きる、草木や自然の中の生き物たちを大事にしている生き方には共通のものがあります。振り返って自分の生き方を見ると元来根性なしで怠け者ですから便利で楽な暮らしが好きだし、何にでも流されながら生きて来たなあと感じました。

 

 


屋代ダム公園の小さな秋-2

 

この木は何でしょうね

夏がまだ頑張っています

桜もそろそろ秋の装いに

この花が見たくて公園に入ったのです

この木は楓の仲間です

萩の花は秋の花にしては早いですね、7月に山の中で咲いているのを見ました。

柿の実はもう一息です。

椿は冬から春にかけて咲きますがもうこんなにつぼみが膨らんでいます。

 

白い十文字の花は清楚でいいです。

 

 

帰り道 笛吹き峠から眺めた空と海

 

 まだ、続きがあります。


映画(二人の桃源郷)の上映会がありました

2017年09月09日 | 日記

今日の花

彼岸花  映画を見に行った帰りに屋代ダム公園に寄りました。この公園の中には彼岸花の群生があります。まだ花は無理かなと思いましたが、たった1輪だけ咲いているのを見つけました。今年初めての彼岸花です。

 


 今日は大島文化センターで上映された山口放送KRYが開局60周年記念で制作したドキュメンタリー映画「ふたりの桃源郷」を見に行きました。

内容は、電気も水道もない山奥で暮らす老夫婦と二人を支える家族の物語です。映画の舞台は岩国市の北の方の山奥ですが、私は時々そのあたりに蝶を見に行ったりするのでなんとなく雰囲気は想像できます。映画は海外でも評価されいろいろ話題にもなっていたので前から見たいなと思っていたところ、本日町内で上映されることを知りました。高齢者の多い周防大島町ではこのような老後の生活に関することには関心も高いのでしょう会場は超満員で会場へ着いたのが遅かった私は立ち見でした。

私を含めだれにでも訪れる老いの問題をしっかり考えさせられました。

 

帰りには屋代ダム公園に寄ってみました。いつもは人に出会うことはほとんどないのですが、今日は土曜日だからでしょうか、お母さんと一緒の5歳くらいの男の子に会いました。小さな男の子の方から私に声をかけてくれました。そして明日の日曜日に何かイベントがあるらしく、若い人たちがテントを立てたりステージに楽器の準備をしたりしていました。その関係者の方たちからも明日は是非来てくださいねとご案内をいただきました。せっかくのきれいな自然があるのに誰もいないではもったいないですよね。今日も春に紹介したカモやガチョウがいて私を出迎えてくれました。彼らのために今回は財布を忘れずにもってゆきました。なぜかと言うと、餌を売っている自動販売機があるのです。100円玉を持っていないと彼らをガッカリさせることになるのです。

 

公園の中を歩くともうあちこちに小さな秋が見つかりました。次回紹介いたします。

 


映画 ふたりの桃源郷 の上映

 

 

 

 


屋代ダム公園 - 1

 

カモたちは春よりも薄汚れて見えます。春は雌がいたのですが彼女は何処へ行ったのでしょう。

意気込んでやって来ます。こんな時は気を付けないと嘴でやられますので注意してください。

エサの自動販売機の前まで付いて来ました。

この餌は元来鯉のためのエサなのです

もうないの ?

 

明日のイベントの準備