毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「実体経済」って何よ?
アメリカに端を発した金融不安が世界中の株価を暴落させ、世界恐慌の再来とまで言われている。TVや新聞のニュースのトップは株価の動向、世界経済の先行き不安を憂慮するものばかりで、さすがの経済オンチの私でも、忍び寄る大不況の影に心が重くなってしまう。もちろん私のような者ではどうしたものやら見当がつくはずもなく、ただただ新聞を精読し、TVニュースを傾聴することで少しでも心の準備をしておこうと思うばかりである。が、最近どうしても気にかかってならない用語がある。それは、「実体経済」というものだが、金融不安が広がり始めたころから、盛んに使われるようになったように思う。曰く、
「金融不安が実体経済に与える悪影響」
「日本の実体経済はさほど心配ない」
などという文脈で使われることが多い文言である。もちろん漠然とは分かる。しかし、「実体経済」という言葉の反意語として使われる「金融経済」とは何だろうと考え始めると私にはよく分からないことだらけだ。そこで、少しネット上で調べてみた。
先ず実体経済とは何か。大まかに言えば、実体経済とはモノを作り、それを販売し、研究開発を重ね、サービスを提供するなど、私達が日々に体験しているものを指す(医者が病気を治す、教師は授業で生徒達に教える、道路、橋、港、空港、鉄道等が造られるなど)。実体経済では、労働によって、あるいはモノによって、対価(おカネ)を受け取っているため、人間の労働やモノによる裏付けがあって、初めて価値が認められる経済なのである。
それに対して金融経済とは何か。
よく使われる比喩が、経済全体を人間の身体とそれを支える血液に譬えることである。体(実体経済)が生きるためには、常に血液(おカネ)が全身を回って、酸素・栄養分を供給し、老廃物を排泄しなければならない。ところが金融経済とは、おカネ自体が商品として取引される経済と言ってもいいだろう。おカネは、それ自体に価値があるのではなく、何か実体のあるモノと交換して初めて意味があるものなのに、金融経済では、おカネそれ自体が目的となり、おカネがおカネを生み出すという構造になっている。おカネだけが際限無く増え続けているのである。
金融経済本来の役割は、実体経済の回転を助けることであり、実体経済にサービスを提供するからこそ金融経済の存在意義があったはずだ。しかし、血液であり体を支えるためのものが、勝手に大増殖し、いまや体を遥かにしのぐ程になってしまった・・。(金融経済は、いまや実体経済と比較して20~30倍の大きさになっているとも言われているようだ)
今日、最先端のハイテク機器によって世界は一つに繋がり、ネットワークが組まれたため、金融市場では毎日数兆ドルが動いている。そこは規制も監督も行われていないマーケットであるため、世界中で一日に1兆ドル(円高の現在は100兆円ほど)程度のおカネが動いていると言われている。
要するに、額に汗する労働から成るのが実体経済で、手にもしていないお金を右から左に動かすことで利益を得ようとするのが金融経済なんだな・・・。ここまで調べて、今夏私が不満を募らせた原油価格高騰のことを想起した。サブプライムローンの焦げ付きで行き場を失った金融資本が原油先物市場に注ぎ込まれたのが価格高騰の要因であると声高に論じられたが、ひょっとすると、あれは金融市場の断末魔のあがきだったのかもしれない。実体のない石油価格高騰が実体経済を窮地に陥れるという構造は、まさしく今回の金融不安が実体経済を、全世界の経済をどん底に沈めてしまうかもしれない事態と軌を一にしているように思われる・・・。
石油は今週末、やっと1ℓ140円台で買えるようになった。それはそれで経費節減に及ぼす効果はあるのだろうが、これだけ連日株価が暴落しては、株主などではない私の生活にもかなり深甚な影響を及ぼすことは必定であろう。この金融不安から簡単に抜け出すのは難しそうだが、何とか踏ん張っていかねばならないのは誰しも同じことだ。だが、「もうこれ以上マネーゲームに踊らされるのは真っ平ごめんだ」、という意思表示だけは是非していかねばならない。さもなければこうした金融市場の暴走は繰り返されることだろう。
いやだ、イヤだ。
「金融不安が実体経済に与える悪影響」
「日本の実体経済はさほど心配ない」
などという文脈で使われることが多い文言である。もちろん漠然とは分かる。しかし、「実体経済」という言葉の反意語として使われる「金融経済」とは何だろうと考え始めると私にはよく分からないことだらけだ。そこで、少しネット上で調べてみた。
先ず実体経済とは何か。大まかに言えば、実体経済とはモノを作り、それを販売し、研究開発を重ね、サービスを提供するなど、私達が日々に体験しているものを指す(医者が病気を治す、教師は授業で生徒達に教える、道路、橋、港、空港、鉄道等が造られるなど)。実体経済では、労働によって、あるいはモノによって、対価(おカネ)を受け取っているため、人間の労働やモノによる裏付けがあって、初めて価値が認められる経済なのである。
それに対して金融経済とは何か。
よく使われる比喩が、経済全体を人間の身体とそれを支える血液に譬えることである。体(実体経済)が生きるためには、常に血液(おカネ)が全身を回って、酸素・栄養分を供給し、老廃物を排泄しなければならない。ところが金融経済とは、おカネ自体が商品として取引される経済と言ってもいいだろう。おカネは、それ自体に価値があるのではなく、何か実体のあるモノと交換して初めて意味があるものなのに、金融経済では、おカネそれ自体が目的となり、おカネがおカネを生み出すという構造になっている。おカネだけが際限無く増え続けているのである。
金融経済本来の役割は、実体経済の回転を助けることであり、実体経済にサービスを提供するからこそ金融経済の存在意義があったはずだ。しかし、血液であり体を支えるためのものが、勝手に大増殖し、いまや体を遥かにしのぐ程になってしまった・・。(金融経済は、いまや実体経済と比較して20~30倍の大きさになっているとも言われているようだ)
今日、最先端のハイテク機器によって世界は一つに繋がり、ネットワークが組まれたため、金融市場では毎日数兆ドルが動いている。そこは規制も監督も行われていないマーケットであるため、世界中で一日に1兆ドル(円高の現在は100兆円ほど)程度のおカネが動いていると言われている。
要するに、額に汗する労働から成るのが実体経済で、手にもしていないお金を右から左に動かすことで利益を得ようとするのが金融経済なんだな・・・。ここまで調べて、今夏私が不満を募らせた原油価格高騰のことを想起した。サブプライムローンの焦げ付きで行き場を失った金融資本が原油先物市場に注ぎ込まれたのが価格高騰の要因であると声高に論じられたが、ひょっとすると、あれは金融市場の断末魔のあがきだったのかもしれない。実体のない石油価格高騰が実体経済を窮地に陥れるという構造は、まさしく今回の金融不安が実体経済を、全世界の経済をどん底に沈めてしまうかもしれない事態と軌を一にしているように思われる・・・。
石油は今週末、やっと1ℓ140円台で買えるようになった。それはそれで経費節減に及ぼす効果はあるのだろうが、これだけ連日株価が暴落しては、株主などではない私の生活にもかなり深甚な影響を及ぼすことは必定であろう。この金融不安から簡単に抜け出すのは難しそうだが、何とか踏ん張っていかねばならないのは誰しも同じことだ。だが、「もうこれ以上マネーゲームに踊らされるのは真っ平ごめんだ」、という意思表示だけは是非していかねばならない。さもなければこうした金融市場の暴走は繰り返されることだろう。
いやだ、イヤだ。
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