奈良の飛鳥と壺阪寺の御朱印&風景印巡りの続きです。
岡寺の坂を下りて次のバスまで相当な時間があるので近くの石舞台にある休憩所でお昼です。古代米カレーです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/16/e92049811a531b7c9aec933eff745765.jpg)
カレーを食べながら次の予定を考えます。次の壺阪寺へのバスは壷阪山駅14時20分発で、これが最終です。明日香村内のバスや電車との接続時間を考えて13時のバスで一旦橿原神宮前に戻ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/32/614fed0e25099d115ca094e827c3bab5.jpg)
橿原神宮前駅に到着。橿原線との接続駅で、京都から来た特急と吉野方面への特急が接続しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/32/d329f4eb8c8a7dad01542698094044e0.jpg)
駅近くに畝傍郵便局があります。こちらも風景印があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/f5/1354460bbba649ca5181eee3ad3bcfc6.jpg)
畝傍郵便局の風景印です。橿原神宮や埴輪がデザインされています。
畝傍郵便局からほど近くに久米寺があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/82/011fb18cef2e4cd3188427451e8c79d7.jpg)
聖武天皇の時代に久米仙人により創建されたとされる真言宗御室派のお寺です。久米仙人は仙術を使い奈良の大仏殿建立に必要な材木や石材を空を飛ばして運び、聖武天皇から褒賞として30町歩の田を与えられ久米寺を創建したとされます。
ところが久米仙人、空を飛んでいる最中に若い女性が川で洗濯をしているのを見てふくらはぎに目がくらみ墜落したと今昔物語に出てくるそうです。実際のところは興福寺の前身にあたる厩坂寺ではないかと見られており、のち御室(仁和寺)の別院となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d1/f77fb9d220e84459ffa0e21ea3b91f26.jpg)
現在の本堂は1663年に完成したもので、本尊は薬師如来像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6b/ae572c5029c4030ef764e6c420564624.jpg)
西国薬師四十九霊場の七番札所となっていますので御朱印も頂けます。
橿原神宮前駅に戻りましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d9/50329a686b241b9aea482654944fb1ca.jpg)
橿原神宮前を境に吉野までは吉野線になります。特急と急行が直通しており線路が単線になること以外は特に意識することなくつながっています。
元々南大阪線は大阪鉄道(大鉄)、吉野線は吉野鉄道が運営しており、戦前は両社が提携し直通電車を走らせていました。近鉄の前身・大軌(大阪電気軌道)とは関係なく運営していた両者でしたが、大鉄が大軌と同じく伊勢への延伸計画を掲げると大軌は本気で潰しにかかります。まずは橿原神宮前から吉野へ吉野鉄道と並行する免許を取って脅しにかかり吉野鉄道は大軌の軍門に降ります。残った大鉄も他に組む相手がなく次第に大軌に株式を買い集められ最後は経営権を握られて万事休すとなります。
戦前の大阪私鉄は梅田から時計回りに阪神・阪急・新京阪・京阪・大軌・大鉄・阪和・南海の8社がひしめいていました。歴史にもしもはありませんが、大鉄が他社、例えば駅用地の融通などで関係のあった阪和と合併していれば今の近鉄南大阪線は違った形だったと考えられます。
残りは壺阪寺です。続きます。
岡寺の坂を下りて次のバスまで相当な時間があるので近くの石舞台にある休憩所でお昼です。古代米カレーです。
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カレーを食べながら次の予定を考えます。次の壺阪寺へのバスは壷阪山駅14時20分発で、これが最終です。明日香村内のバスや電車との接続時間を考えて13時のバスで一旦橿原神宮前に戻ります。
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橿原神宮前駅に到着。橿原線との接続駅で、京都から来た特急と吉野方面への特急が接続しています。
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駅近くに畝傍郵便局があります。こちらも風景印があります。
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畝傍郵便局の風景印です。橿原神宮や埴輪がデザインされています。
畝傍郵便局からほど近くに久米寺があります。
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聖武天皇の時代に久米仙人により創建されたとされる真言宗御室派のお寺です。久米仙人は仙術を使い奈良の大仏殿建立に必要な材木や石材を空を飛ばして運び、聖武天皇から褒賞として30町歩の田を与えられ久米寺を創建したとされます。
ところが久米仙人、空を飛んでいる最中に若い女性が川で洗濯をしているのを見てふくらはぎに目がくらみ墜落したと今昔物語に出てくるそうです。実際のところは興福寺の前身にあたる厩坂寺ではないかと見られており、のち御室(仁和寺)の別院となっています。
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現在の本堂は1663年に完成したもので、本尊は薬師如来像です。
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西国薬師四十九霊場の七番札所となっていますので御朱印も頂けます。
橿原神宮前駅に戻りましょう。
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橿原神宮前を境に吉野までは吉野線になります。特急と急行が直通しており線路が単線になること以外は特に意識することなくつながっています。
元々南大阪線は大阪鉄道(大鉄)、吉野線は吉野鉄道が運営しており、戦前は両社が提携し直通電車を走らせていました。近鉄の前身・大軌(大阪電気軌道)とは関係なく運営していた両者でしたが、大鉄が大軌と同じく伊勢への延伸計画を掲げると大軌は本気で潰しにかかります。まずは橿原神宮前から吉野へ吉野鉄道と並行する免許を取って脅しにかかり吉野鉄道は大軌の軍門に降ります。残った大鉄も他に組む相手がなく次第に大軌に株式を買い集められ最後は経営権を握られて万事休すとなります。
戦前の大阪私鉄は梅田から時計回りに阪神・阪急・新京阪・京阪・大軌・大鉄・阪和・南海の8社がひしめいていました。歴史にもしもはありませんが、大鉄が他社、例えば駅用地の融通などで関係のあった阪和と合併していれば今の近鉄南大阪線は違った形だったと考えられます。
残りは壺阪寺です。続きます。