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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

鑑真和上に会いに/東京国立博物館

2005-01-23 10:09:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館『唐招提寺展-国宝 鑑真和上像と盧舎那仏』

http://www.tnm.jp/

 また唐招提寺展か、と思わないでもなかった。『鑑真和上展』が上野の東京都美術館で開催されたのは、唐招提寺金堂の平成大修理が始まったばかりの2001年1月~3月のことである。4年ぶりねえ、短くはないけれど、10年や20年に1回とかいう秘仏のご開帳に比べたら、長いとも言いがたい。

 とはいえ、見に行った。そして、けっこう満足した。以前の『鑑真和上展』は、舞台に展示された諸仏を観客が正面から眺める形式だったと思う。今回は、広い会場に金堂の諸仏(盧舎那仏、四天王、梵天、帝釈天)が点々と配置され、観客は、その間を好きなように歩き回って、好きな角度から眺めることができた。この形式はいい。会場はものすごい混雑だったが、人の流れをあまり気にしなくて済む。私は4体の四天王の間を気が済むまで行きつ戻りつしたあと、梵天、帝釈天に進み、最後に盧舎那仏のまわりをひとめぐりした。

 唐招提寺金堂の四天王は、着ているものに獣面や鬼面が付いていないし、邪鬼も踏んでいない。シンプルである。手前の2体(持国天と増長天)に比較的よく彩色が残っている。特に裾や鎧の影になる部分によく残っているので、なんだかスカートの中を覗くみたいで恥ずかしかったが、一生懸命、足元を覗き込んだ。増長天は、両足の間に垂れた裾の先端に赤い花が一輪残っていて、色っぽかった(背面の裾にも白い花紋の残像あり)。それから、増長天の背面は、彩色が融けて流れた名残なのだろうか、佐伯祐三の油彩のような美しい背中をしている。

 持国天と広目天は、ともに、耳の横で両端が巻き上った兜をかぶっている。見慣れた形だと思っていたが、背面から見て、この巻き上がりが、ぐるりと頭部を囲んでいるということに初めて気づいた。なるほど。これでこそ頭部を防御できるわけだ。しかし、不思議なのは、この巻き上がり方が、持国天と広目天で、ぜんぜん違うのである。広目天のほうが巻き上がりの幅が広く、その結果、後ろから見ると、大きなお釜をかぶったようで、噴き出してしまう。どうしてこんなに形が違うのか? どっちが本物(中国古代の甲冑)に近いのか、誰か教えてくれないかしら。

 盧舎那仏は光背がないので、ずいぶん印象が違う。近寄ると、親しみやすくて、丸々した膝に触ってみたくなる。お父さんの膝に這いのぼる幼児みたいに。

 次のコーナーでは、唐招提寺金堂の解体修理のプロセスが写真で展示されていた。これが面白い。瓦を取り外すところで、数人の作業員が縦一列に並んでいたけれど、どうも瓦を投げ渡してリレーしているようだった。ひゃー。プロの仕事とは言いながら、怖いことをするなあ。

 屋根の垂木を支える隅鬼は一見の価値あり。ずんぐりして小柄だが、筋骨隆々と逞しい。興福寺の天燈鬼、龍燈鬼にも通じる。古代の日本って、あんな立派な肉体の持ち主がたくさんいたのかしら。もっと貧相な人間ばかりをイメージしてしまうのだけど。それとも、あれは理想形なのかなあ。

 後半は、御影堂の襖絵(東山魁夷画)と鑑真和上像。小さいガラスケースに入れられていて、少し窮屈そうだった。そう、和上像はふだんも小さなお厨子に入っているのだが、せっかく、まわりの襖には、ふるさと揚州の風景が描かれているのだから、薄墨の柳を渡る風を感じられるよう、広いお座敷に出して差し上げればいいのに、と思う。和上、和上、わたしは昨年、揚州に行ってきましたよ。なんて語りかけたくなった。

 中国の歴史を読むと、揚州という都市は、繁栄も極めたけれど、また何度も戦乱に焼かれ、修羅の巷にもなっている(まあ、中国の主な都市はみんなそうなんだけど)。そんな歴史を、和上はどうお思いだろうか、なんてことを考えてしまうくらい、この像は生きた人間を感じさせる。
 
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