○世田谷美術館『特別展 祈りの道―吉野・熊野・高野の名宝』
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
お正月も開館している美術館や博物館が増えた。うれしいことだ。というわけで、1月2日、世田谷美術館に行き、吉野・熊野・高野まとめて初詣とすることにした。展示品の質と量は圧倒的である。仏像があり、絵画があり、古神宝(工芸品)があり、また仏像があり、というふうに、寄せては返す波のようなバラエティで飽きない。
会場に入ってまもなく我々の眼を奪うのは、吉野・金峯山寺の蔵王権現立像である。はじめ、遠目に全身が目に入るときは、それほどの威圧感を感じない。ほの暗い照明に誘われて、広い別室に足を踏み入れ、一歩一歩近づきながら目線を上げていくと、突然、その迫力に胸を突かれる。高さ4.5メートル。しかも、一般の巨像は大地に両足を下ろして立つのが通例であるのに、この蔵王権現像は、軽やかに片足を蹴り上げているのだ。逆立つ髪、憤怒の表情、張りつめる筋肉、わずかに反り返る右足の指など、横にまわっても後ろから見ても、驚くべきことに造形に破綻がない。天地左右の広い空間を掴み取り、牛耳るような迫力は、何かとてつもない意図を持った現代美術のようでもある。
蔵王権現の美術品は、このほかにもある。木像もいいが、毛彫銅鏡の作例が多くあって美しい(片足を上げる独特のポーズは絵画にはなりやすいけど、立体にするのは技術的に難しかっただろうと思う)。ちなみに蔵王権現は日本独特の神(仏)で、役行者の祈願に応じて、初めは釈迦仏、次に千手観音、弥勒仏(諸説あり)が現れたが、もっと強い神を望むと、忿怒形の蔵王権現が示現したという。おもしろいなあ、「日本の伝統」の信奉者たちは、中学生でも高校生でも連れてきて、あの蔵王権現を見せてやればいいのに、と思う。
見ものをもうひとつ挙げるなら、熊野速玉神社の三神像である。主神の熊野速玉大神は唐草文様の冠がアイヌの王様を思わせた。ヒトの姿であってヒトの感情から虚脱したような、なんとも不思議な表情をしていると思っていたら、山下裕二さんは『芸術新潮』1月号(小特集・紀州の神仏、地の果ての愉楽)で「ユーレイ」と評している。
「熊野(那智)参詣曼荼羅」を久しぶりに見たのも嬉しかった。色がいい。黄茶を基調に赤や白を合わせたところが、庶民の晴着の色づかいに似ていると思う。黒田日出男先生の「熊野那智参詣曼荼羅を読む」(思想 1986)を思い出した。もっとも私は平成11年のNHK人間大学「謎解き日本史・絵画史料を読む」でお話を聞いただけですが。
このほかでは、道成寺の千手観音(この巨像が体内仏!?)が圧巻。マニアックには高麗版一切経の美しい文字に注目。りりしく賢そうな狛犬、マンガみたいな顔の石の狛犬もあり。熊野古神宝では「挿頭華(かざしのはな)」がいちばん見たかったんだけど、これは前期だけだったのね。残念。
■参考:蔵王権現立像が「下山」(毎日新聞)
http://www.mainichi.co.jp/life/culture/jigyo/event/art/2004/inori-tokyo/1117.html
【追記】2005年1月現在、東京国立博物館の常設展示(本館2階)に、国宝『線刻蔵王権現像』が出ている。こっちも超おすすめ。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
お正月も開館している美術館や博物館が増えた。うれしいことだ。というわけで、1月2日、世田谷美術館に行き、吉野・熊野・高野まとめて初詣とすることにした。展示品の質と量は圧倒的である。仏像があり、絵画があり、古神宝(工芸品)があり、また仏像があり、というふうに、寄せては返す波のようなバラエティで飽きない。
会場に入ってまもなく我々の眼を奪うのは、吉野・金峯山寺の蔵王権現立像である。はじめ、遠目に全身が目に入るときは、それほどの威圧感を感じない。ほの暗い照明に誘われて、広い別室に足を踏み入れ、一歩一歩近づきながら目線を上げていくと、突然、その迫力に胸を突かれる。高さ4.5メートル。しかも、一般の巨像は大地に両足を下ろして立つのが通例であるのに、この蔵王権現像は、軽やかに片足を蹴り上げているのだ。逆立つ髪、憤怒の表情、張りつめる筋肉、わずかに反り返る右足の指など、横にまわっても後ろから見ても、驚くべきことに造形に破綻がない。天地左右の広い空間を掴み取り、牛耳るような迫力は、何かとてつもない意図を持った現代美術のようでもある。
蔵王権現の美術品は、このほかにもある。木像もいいが、毛彫銅鏡の作例が多くあって美しい(片足を上げる独特のポーズは絵画にはなりやすいけど、立体にするのは技術的に難しかっただろうと思う)。ちなみに蔵王権現は日本独特の神(仏)で、役行者の祈願に応じて、初めは釈迦仏、次に千手観音、弥勒仏(諸説あり)が現れたが、もっと強い神を望むと、忿怒形の蔵王権現が示現したという。おもしろいなあ、「日本の伝統」の信奉者たちは、中学生でも高校生でも連れてきて、あの蔵王権現を見せてやればいいのに、と思う。
見ものをもうひとつ挙げるなら、熊野速玉神社の三神像である。主神の熊野速玉大神は唐草文様の冠がアイヌの王様を思わせた。ヒトの姿であってヒトの感情から虚脱したような、なんとも不思議な表情をしていると思っていたら、山下裕二さんは『芸術新潮』1月号(小特集・紀州の神仏、地の果ての愉楽)で「ユーレイ」と評している。
「熊野(那智)参詣曼荼羅」を久しぶりに見たのも嬉しかった。色がいい。黄茶を基調に赤や白を合わせたところが、庶民の晴着の色づかいに似ていると思う。黒田日出男先生の「熊野那智参詣曼荼羅を読む」(思想 1986)を思い出した。もっとも私は平成11年のNHK人間大学「謎解き日本史・絵画史料を読む」でお話を聞いただけですが。
このほかでは、道成寺の千手観音(この巨像が体内仏!?)が圧巻。マニアックには高麗版一切経の美しい文字に注目。りりしく賢そうな狛犬、マンガみたいな顔の石の狛犬もあり。熊野古神宝では「挿頭華(かざしのはな)」がいちばん見たかったんだけど、これは前期だけだったのね。残念。
■参考:蔵王権現立像が「下山」(毎日新聞)
http://www.mainichi.co.jp/life/culture/jigyo/event/art/2004/inori-tokyo/1117.html
【追記】2005年1月現在、東京国立博物館の常設展示(本館2階)に、国宝『線刻蔵王権現像』が出ている。こっちも超おすすめ。