見もの・読みもの日記

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独行者として/網野善彦を継ぐ

2005-01-07 23:03:20 | 読んだもの(書籍)
○中沢新一、赤坂憲雄『網野善彦を継ぐ』講談社 2004.6

 重く厳しい本だった。「あとがき」で赤坂さんが告白しているように「とても愉しい対談だった。いたるところに笑いがあった。こんなに笑いの多い対談も珍しいにちがいない」という和やかな雰囲気は、読んでいても十分に感じられた。しかし、にもかかわらず、「(笑)」の間に立ちのぼってくる二人の危機感と疲労感は、やっぱり隠しようもない。それは特に赤坂さんに感じた。中沢新一にとっての網野善彦は、学問上の先達、思想的な理解者であると同時に、子供の頃から慣れ親しんだ叔父さんである。だから、その哀悼には、かすかに甘い幸福感が伴っている。一方の赤坂さんにはそうした救いがない。

 対談が始まってすぐ、赤坂さんは「網野さんは忘れられていくだろう、とぼくは思います」と言い放つ。「群れをつくらない学者が、この日本の知的な風土のなかでどのように処遇されるのかということは、目に見えているんですね。たぶん例外はないんだろうと思います」と続ける。赤坂さん自身も基本的に「群れをつくらない学者」であるから、この発言があるのだろう。「行き掛かり上、ぼくは組織をつくってしまった」とはおっしゃっているけれど。私は『異人論序説』(1985.12)や『排除の現象学』(1986.12)の頃から彼の読者で、著者紹介の欄に何の職業も書かれていない(自宅の住所だけ書いてあった)のがすごく不思議だった。このひと、何も仕事してないのかなあ、どうやって食べてるんだろ、とか、余計な心配をしていたものである。

 切なく響いたのは「民俗学と歴史学の蜜月の終わり」という赤坂さんの指摘である。「民俗学の側からは宮田登さんが、歴史学の側からは網野さんが、それぞれに使命感をもって協同の場を創ろうとしていたが、もはや、それを積極的に引き受けようとする若い世代の民俗学者も、歴史家もたやすくは見つからない」(文学界 2004.5月号)という。

 宮田登さんかあ。好きだったなあ、私は学生時代にこのひとの本を貪るように読んだ。彼の著作を通じて、宮本常一や坪井洋文や谷川健一など、ほかの民俗学者の本にも手を広げた。しかし、考えてみると、宮田登の死(2000年2月)以後、民俗学への関心はほとんど無くなってしまった。

 宮田登というひとは、独行者・網野善彦とは正反対で、「ある意味では生臭いかたちで、弟子をたくさんつくり、ネットワークをつくり、党派を作った」と言う。その結果、何やらあやしいものとしか思われていなかった民俗学という学問を、アカデミズムに認知させ、国立大学の中にまで持ち込んだ手腕は評価されてもいい。「ただそれによって民俗学が本来持っていた否定力や欲望が、急速に風化されたような印象を受けます」(中沢)という。厳しい指摘だが、そうかも知れない。

 「網野善彦を継ぐ」ことに、たぶん最も近く、しかし最も苦闘しているのは、やはり赤坂さんだと私は思う。ずっとその著作を読んできた者として。今後の仕事を見守りたい。
コメント (1)
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