見もの・読みもの日記

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戦後最大の宰相、田中角栄

2005-01-01 15:07:34 | 読んだもの(書籍)
○田原総一朗『戦後最大の宰相 田中角栄(上・下)』(講談社+α文庫)講談社 2004.12

 田中角栄が世論の熱狂的な支持を受けて首相になった当時、私は小学生だった。そして、立花隆の「田中角栄研究」が出て金脈問題が露見し、ロッキード事件に政界が揺れる中、中学生から高校生を過ごした。その間、田中角栄と言えば「私利私欲の鬼」「恥知らず」で「戦後政治の悪の根源」だと思ってきた。

 ところが、近年、田中角栄に関する本が引きも切らずに出ていることに気がつき、一昨年、津本陽の『異形の将軍:田中角栄の生涯(上・下)』(幻冬舎文庫 2004.2)(単行本は2002.11刊)を読んだら、非常におもしろかった。極貧の家庭(というと角栄は怒るらしいが)から、努力と才覚で成り上がっていく過程も面白いが、田中角栄というのは、戦後日本において真っ向からアメリカと対決しようとした唯一の宰相であり、それによってアメリカにはめられたのがロッキード事件である、という指摘に、何か膝を打ちたい気持ちがあった。

 本書の上巻は「ロッキード裁判は無罪だった」を副題にしており、検察側の証拠がいかに不十分で疑問の多い(はっきり言えば捏造に満ちた)ものであるかを丹念に跡付けている。これを読むと被告人や参考人が公判で「記憶にございません」としか言いようがなかったことが、いまさらながら理解できる。しかし、当時の私にとって「記憶にございません」は愚かな悪あがきにしか聞こえなかった。マスコミの論調もそのようなものばかりだったと思う。検察調書の論理的破綻を指摘すること、つまり田中金脈追及に擁護の手を差し伸べることなど、国民が許さなかった。

 なるほど、これがポピュリズムというものか、と思うと粛然とする。今日の問題である、構造改革と民営化にしても、北朝鮮に対する経済制裁にしても、世論の80%、90%が一方に傾くときこそ、耳と眼を開いていなければいけないなあ、と思う。あとから恥じることのないように。

 角栄と地元・新潟のつながりの中に、思わぬ地名を発見した。山古志村である。山間部のどんづまりにあるこの村は、かつて峠越えをしなければ買い物にも病院にも行けなかった。雪の間は病気になっても座して死を待つしかなかった。角栄は国道を捻じ曲げてこの峠にぶつかるようにし、トンネルを開通させた。のちに角栄がメディアの袋叩きにあったときは「わずか37戸のために国民の税金を浪費した」と恰好の標的にされたという。

 2004年、中越地震で大きな被害を受けた山古志村に支援を募り、暖かい視線で復興を見守るマスコミ関係者で、かつての利益誘導批判を覚えている人々はどのくらいいるんだろう? ちなみに、金権政治家・角栄のシンボルイメージとなってしまった、目白私邸の錦鯉は、山古志村の名産で、住民から「トンネルのお礼に」と送られたものだそうだ。

 下巻「日本の政治をつくった」は、田中角栄以後、真のリーダー不在のまま、迷走する日本の政治を、小泉政権誕生まで追ったもの。叙述は丹念だが、登場人物が小粒で、上巻ほどの面白みには欠ける。
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