○高橋哲哉『教育と国家』(講談社現代新書)講談社 2004.10
「戦後教育のせいで子どもがおかしくなった」から、教育基本法を改正し、愛国心教育・伝統文化の尊重・道徳心と宗教的情操の涵養などを復活させようという論調に対して、ひとつずつ反駁していく本。高橋哲哉さんは好きなんだけど、この本については、どうも虚しさが残る。相手側の「愛国心教育・道徳教育・伝統文化の尊重などを公教育に復活させれば子どもはよくなる」という主張が、どう考えても噴飯ものであるからだ。そういう主張をしている人々にそっとすり寄って、ねえ~ほんとのところ、そんなこと、信じちゃいないんでしょ?って聞いてみたい、私は。
自分の受けた教育が「全てダメだった」と言われたら、人情として「そんなことはない。何かいいところはあったはずだ」と反論したくなるだろう。いつか自分の受けた教育を復活させようという怨念と郷愁は分からないではない。
しかし、戦前の教育を受けた政治家・軍人・財界人が、戦中・戦後を通じて、私利私欲と了見の狭い党派主義に走って日本を誤らせたことは明らかである。庶民だって同じ。教育の有無によらず、今も昔も人間には、有徳の士もいれば大悪党も小悪党もいる。結局、彼らが復活させたい道徳教育によって学べるものは「裏で何をしていようと表向きは公徳心ありげな顔をして通す詐術」だけじゃないかと思うんだが。もしかして彼らは、そんなこと百も承知で、そういう日本人を復活させたいのだろうか?
何より馬鹿馬鹿しいと思うのは「伝統文化の尊重」という主張である。自分で理解できるもの、都合のいいものだけを「伝統」と言い張る暗愚。まずは「源氏」「新古今」「平家」「太平記」くらいは読んで、縄文土器から古伊万里、桃山の障壁画くらいは真剣に眺めてこい、と言いたい。
本書の後半に報告されている「日の丸・君が代」の強制が、公教育、特に東京都において行われているというのは、悩ましいことだ。しかし、どちらにしても、こんなことが、現実に「今の学校を生きている子どもたち」に何の関係があるのか、と思うと一層悲しい。彼らにとってこんな論議は、どこか遠いところの干戈に過ぎないのではないかと思う。
教育制度の改悪が行われようとしている中で、せめて今の教育基本法を守ることには一定の意味があるはずだ、と著者は言う。しかし、情報技術の発達、グローバリゼーションの浸透、男女関係や家庭のありかたの変化を受けて、学校教育の役割やステイタスが決定的に変化している中で、もっとやらなければいけないことはたくさんあるように思うのだけど。
「戦後教育のせいで子どもがおかしくなった」から、教育基本法を改正し、愛国心教育・伝統文化の尊重・道徳心と宗教的情操の涵養などを復活させようという論調に対して、ひとつずつ反駁していく本。高橋哲哉さんは好きなんだけど、この本については、どうも虚しさが残る。相手側の「愛国心教育・道徳教育・伝統文化の尊重などを公教育に復活させれば子どもはよくなる」という主張が、どう考えても噴飯ものであるからだ。そういう主張をしている人々にそっとすり寄って、ねえ~ほんとのところ、そんなこと、信じちゃいないんでしょ?って聞いてみたい、私は。
自分の受けた教育が「全てダメだった」と言われたら、人情として「そんなことはない。何かいいところはあったはずだ」と反論したくなるだろう。いつか自分の受けた教育を復活させようという怨念と郷愁は分からないではない。
しかし、戦前の教育を受けた政治家・軍人・財界人が、戦中・戦後を通じて、私利私欲と了見の狭い党派主義に走って日本を誤らせたことは明らかである。庶民だって同じ。教育の有無によらず、今も昔も人間には、有徳の士もいれば大悪党も小悪党もいる。結局、彼らが復活させたい道徳教育によって学べるものは「裏で何をしていようと表向きは公徳心ありげな顔をして通す詐術」だけじゃないかと思うんだが。もしかして彼らは、そんなこと百も承知で、そういう日本人を復活させたいのだろうか?
何より馬鹿馬鹿しいと思うのは「伝統文化の尊重」という主張である。自分で理解できるもの、都合のいいものだけを「伝統」と言い張る暗愚。まずは「源氏」「新古今」「平家」「太平記」くらいは読んで、縄文土器から古伊万里、桃山の障壁画くらいは真剣に眺めてこい、と言いたい。
本書の後半に報告されている「日の丸・君が代」の強制が、公教育、特に東京都において行われているというのは、悩ましいことだ。しかし、どちらにしても、こんなことが、現実に「今の学校を生きている子どもたち」に何の関係があるのか、と思うと一層悲しい。彼らにとってこんな論議は、どこか遠いところの干戈に過ぎないのではないかと思う。
教育制度の改悪が行われようとしている中で、せめて今の教育基本法を守ることには一定の意味があるはずだ、と著者は言う。しかし、情報技術の発達、グローバリゼーションの浸透、男女関係や家庭のありかたの変化を受けて、学校教育の役割やステイタスが決定的に変化している中で、もっとやらなければいけないことはたくさんあるように思うのだけど。