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見もの・読みもの日記

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唯一無二の茶碗/黒の奇跡・曜変天目の秘密(静嘉堂文庫)

2025-05-22 22:29:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『黒の奇跡・曜変天目の秘密』(2025年4月5日~6月22日)

 工芸の黒い色彩をテーマとして、刀剣や鉄鐔など「黒鉄」とよばれる鉄の工芸品や「漆黒」の漆芸品を紹介するととも、中国と日本の黒いやきものの歴史をたどり、東洋陶磁の至宝、曜変天目が秘めるさまざまな謎と秘密にせまる。

 はじめに「天目のいろいろ」から。天目茶碗は、中国の天目山(浙江省)一帯の寺院において用いられた天目山産の茶道具で、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと(Wiki)。例外もあるが、基本的には黒っぽい。 展示室の壁には、室町時代の『君台観左右帳記』による評価の文言が引用されていた。「天目」は「常のごとし」で、ほとんど評価の対象になっていない。続けて「灰被(はいかつぎ)を上とする也。上には御用なき物にて候間、不及代候也」(身分の高い人は用いない、価格を付けるまでもない?)ともいう。しかし、展示されていた灰被天目3件は、私にはどれも魅力的に見えた。いずれも福建省の茶洋窯(元~明時代)で小ぶりな作り。1件目は、仙台伊達家伝来で、側面に地層のような横縞がうっすら見られる。その隣りの『銘・埋火』は、縦にひっかいたような模様が、キラキラと彩雲のように浮かぶ。

 ウミガメの甲羅のような模様の玳玻天目は鼈盞(べっさん)とも呼ばれ、「天目の上、千疋」という。福建省の建窯で焼かれた建盞は「三千疋」。油滴天目は「五千疋」。そして「曜変は建盞の内の無上也、万疋の物也」。なるほどなあ。実は、1疋がどの程度の貨幣価値なのか、よく分かっていないのだが。カテゴリーごとのランク感はよく分かった。

 続いて、黒い工芸と黒のやきものさまざま。古代中国(戦国時代)の黒陶あり、黒釉の三彩馬あり、螺鈿、堆黒、蒔絵印籠など。刀剣とその拵えもあって、直江兼続の愛刀や黒田清隆旧蔵の刀も出ていた。磁州窯系の『黒釉線彫蓮唐草文梅瓶』は真っ黒け。ボールのように膨らんだボディに小さな口が載っている。酒瓶かな? 磁州窯は白と黒のやきもののイメージだが、白土の塗り忘れか搔き落とし忘れのように思われた。仁清の『色絵吉野山図茶壺』も大好き。解説に「夜桜」とあったけれど、漆黒の背景は、別に実景と捉えなくてもいいんじゃないだろうか。

 最後の展示室は、今回は『曜変天目』のみ。まわりが暗いせいか、茶碗の中がはっきり見えて美しかった。最後に中央のホワイエに出ると、曜変天目について充実した解説パネル(バナーかな?)を読むことができる。中国には「窯変」という言葉はあるが、「曜変」は日本で作られた言葉らしい。「窯変」は、陶磁器を焼く際に予期しない変化が出現することで、禍々しい印象があり、中国の陶工たちはこれを恐れたという(そういえば、橋本治さんの小説は『窯変源氏物語』だった)。曜変天目の条件を厳密に満たし、完存するのは3件のみであること、中国杭州では曜変天目の陶片が発見されていることなどは周知のとおり。鮮やかな青色がどのようにできるかは、化学物質の名前が並ぶ説明が書かれていた。

 中国では、元時代以降、粉末の茶に湯を注ぐ点茶法が廃れると、天目茶碗も次第に用いられなくなった。さらに明・洪武帝(朱元璋)が1391年に固形茶の製造を禁じた(団茶禁止令)ことが茶文化に決定的な影響を与え(え~初めて知った!)、以後は泡茶(湯の中に茶葉をひたす)や煎茶(急須で茶葉を煎じる)が主流になった。明・永楽帝は足利義政に天目茶碗を贈っているが、アンティークとしての位置づけだったのではないかという。おもしろい。でも曜変天目でお茶を飲みたいかといわれると、私はあまり気持ちが動かない。むしろ灰被天目でいただきたいかな。


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