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 少し前のニュースになりますが、元東京高等裁判所総括判事で弁護士だった倉田卓次さんが、1月30日、亡くなられました。89歳でした。マスコミの扱いが少し小さかったのがとても残念でした。

 ベテラン法曹にとっては、倉田さんは、かつて仰ぎ見るような裁判官だったのではないでしょうか。私淑していた人も多かったと思います。業績は多く、交通事故の損害賠償基準を最初に作るようリードされたのは倉田さんですし、専門書に「ローゼンベルク証明責任論」「民事実務と証明論」などがあります。「裁判官の書斎」などの随筆集もファンが多かったと思います。その記憶力には愕然としましたが・・・(メモや日記を多く残しておられたのだろうと推測する人も多かったようです。)。
 そのほかに、自身は否定されていましたが、「家畜人ヤプー」の著者ではないかと噂されたこともあるようです。裁判官としては、話題の多かった人だと思います。

 私は、司法修習生のころに、倉田さんの講演を一度聴いたことがあります。故人には申し訳ないのですが、内容はほとんど覚えていないのです。ただ、とても気さくな雰囲気で「これが有名な倉田さんか」と思った記憶があります。
 矢口元最高裁長官とは違った意味で、戦後の大物元裁判官のご逝去ということになろうかと思います。倉田さんのご冥福を心からお祈りいたします。

 倉田さんの思い出がある方は、是非コメントで紹介して下さい。


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (私はピアノ)
2011-03-01 15:20:01
倉田さんご一家とは官舎でご一緒でしたので思い出はたくさんあります。
数学もお得意で、数学好きの私の母と、競うように問題を解いていました。正解がわかるとすっ飛んでいらして、これがこうなってあーなって…と夢中になって説明していらっしゃいました。少年のようだと思いました。

お棺には、古典などの本がいっぱい入れられていて、どなたかが「天国に行っても勉強するんだなあ」とおっしゃっていました。ご趣味の幅が大変広い方でしたね。
 
 
 
天国に行っても勉強するんだなあ (瑞祥)
2011-03-02 22:42:44
 倉田さんへの弔辞的な言葉としては、とても印象的ですね。ご葬儀の際のエピソードありがとうございます。
 倉田さんは、現役時代の旺盛な執筆活動も感嘆ものですが、退官後公証人になられてからもまた理論活動や随筆活動をされたので、その馬力に感心していました。高裁の部総括という激務の後に、よくあれだけ馬力があるものだと思いました。ホントに勉強家だったのですね。倉田さんの後では、後藤勇さんに同様な尊敬の思いを持っています。
 
 
 
御本を読みました (島の裁判所)
2011-03-11 00:58:12
「裁判官の戦後史」「続裁判官の戦後史」を仕事の必要があって読みました。「必要があった」以上の内容にひきつけられ、今でも持っていてときどき読みます。書いてあることは、無難なインテリの著作物にも見えますが、裁判官は、さまざまな人間の矛盾、想像以上の闇、時には考えられない程の明るさなど、人間のいろんな面に接している職業なんだ、と飾らない文章の中に思い至らされ、目から鱗の書物の一つで、ネットワークの「裁判官だってしゃべりたい」に匹敵するインパクトがありました。もう懐かしいくらいに思える本ですが、今も読み返します。著者と直接お会いできる機会がほんの1ヶ月程前まであった方とは、かえって驚きで、色あせないとはいえ、司法激動の今、原点として新鮮に読まれるべき著作と思えます。
 
 
 
活発な、お嬢さん、いまどうしてるかな (猫おやじ)
2012-05-02 15:54:26
自分のいた法令の会社では倉田先生の謦咳に接した同僚も多く、お嬢さんも縁あって、おなじ編集の机に座ってました。明るく、屈託のない育ちのいい、お嬢さんでしたが、お酒が好きで、飲むとはじけて、自分を宇宙へ飛ばす人でした。35年、編集にいましたが、まさに空前絶後でした。倉田先生は、伊藤栄樹先生と同じ、気さくな大人物でした。
 
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