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毛利甚八さんを悼む

2015年12月07日 | 瑞祥

  去る11月21日、漫画「家栽の人」の原作者、毛利甚八さんが亡くなった。享年57歳、あまりにも早すぎる死である。

 「家栽の人」といえば、家庭裁判所の裁判官を描いた異色の漫画で、昭和63年から平成8年まで小学館のビグコミックオリジナルに連載され、一世を風靡した。多くのファンがいたと思われる。並外れた洞察力をもった主人公の桑田判事に対しては、そんな裁判官は理想型にすぎないと思いながらも、できればそうなりたいと密かに思っていた現職の裁判官は案外多いのではなかろうか。漫画における桑田判事の活躍は次第に話題となり、弁護士会だけでなく裁判所も毛利さんを講演等の講師として招くようになった。漫画の単行本が資料室に入った裁判所もある。私も、司法修習生のころから「家栽の人」の愛読者で、裁判官になってからも後輩の司法修習生などに読むことを勧めていた。

  そんな毛利さんと、私の間に個人的なご縁ができた。平成5年に私が書いた司法改革の論文を毛利さんが読んで、小学館を通じて、当時私の勤めていた裁判所に「論文を漫画に使ってもいいですか?」と連絡してきたのである。連絡を受けた裁判所職員の人が、私に対し、どうしますかと聞いてきた。私は、もちろんその連絡に驚くばかりであり、あの話題の漫画に自分の拙い論文がどう使われるのだろうとどぎまぎしたものである。ただ、その漫画は裁判所と裁判官を決して敵視するような感じではなかったと感じていたので、おそるおそる承諾をしたところ、漫画には、桑田判事とは対照的な石嶺裁判官が私の論文を読み、桑田判事が去った裁判所の目黒支部長判事と私の論文を議論する場面が出てきたのである。この場面を目にして、穴があったら入りたい気分になったものであるが、話題の漫画に引用をしてもらって、正直名誉なこととも感じたものである。

  そんなご縁のできた毛利さんと、初めてあったのは平成12年のことである。司法改革を目指す裁判官で設立し、私も参加している「日本裁判官ネットワーク」のシンポジウムに毛利さんが来てくれたのである。「家栽の人」のご縁もあり、お互い、古い友人に会うような感じで笑いながら挨拶をしあった。以来、毛利さんは、「日本裁判官ネットワーク」はもちろんのこと、裁判員制度や司法制度改革を随分応援してくれたと思っている。インタビュー本「裁判官のかたち」(現代人文社、平成14年)、漫画「裁判員の女神」1~5巻(実業之日本社、平成21年~)はその表れであるが、日本裁判官ネットワークが開いた裁判員制度実施を控えた時期に行った模擬裁判でも、参加して鋭い尋問をしてくれた。私の著作「裁判所改革のこころ」」(現代人文社、平成16年)にも、毛利さんが「刊行によせて」を書いてくれた。そうした毛利さんの応援に対し、私は、心から感謝していた。 

  その後、私は大分地方裁判所に赴任した。毛利さんは、大分県豊後高田市に居住していたので、正直とても喜んだ。毛利さんにメールで異動を連絡したところ、「オオッ」などという返事をいただいた。裁判所のある大分市と豊後高田市は、少し離れているが、同じ県内だから気軽に会えると思っていた。しかし、お互い忙しくて、随分すれ違いがあった。飲もうと連絡してもなかなか日程があわず、会いたくても会えない期間が随分長かった。でも、会えた時には、「家栽の人」のこと、少年審判のこと、裁判員制度のこと、司法改革のこと、それに意外と私との趣味のあった民俗学者「宮本常一」さんのこと、日本の民俗学のこと、九州の民俗学のこと、それに毛利さんの故郷、佐世保の歴史や毛利さんの佐世保時代のことをよく話し合った。今でもとてもよく覚えている。毛利さんは、「家栽の人」で一億円儲けたけれど、宮本常一さんを始め、民俗学の取材で全部使ってしまったと言っていた。その使いぶりにびっくりしたものである。

 でも、最近は、毛利さんと随分疎遠となっていた。住むところが離れ、司法改革も一段落して会う機会もなかったためであろうか。でも、毛利さんが、中津少年学院で篤志面接員として活躍されていることや、漫画「のぞみ」(毎日新聞社)が出版されていることを耳にしていた。相変わらずご活躍中だと嬉しく思いながら、恥じるべき不明があった。昨年、毛利さんが食道がんの事実を公表していたことは知らなかったのである。そのため、最後まで豊前高田に会いに行けなかったことは返す返すも残念である。闘病生活はつらかったのではないかと思うが、そんな毛利さんに何の恩返しが何もできなかったことはどれだけ後悔してもしきれないことである。

  振り返ると、毛利さんの思い出はいろいろあるが、その中でも毛利さんの言葉として忘れられない言葉が一つある。「僕は、人に会うと、その人を好きになってしまうのです。」という言葉である。おそらく、「家栽の人」のほか、毛利さん原作の漫画や毛利さんがかかわった活動にはこの言葉がどこかで生きていたのではないかと思われる。毛利さんは、時には驚くほど辛辣だけれど、人懐こくて、どこかで人間好きなところが垣間見えた。それだからこそ、立場や意見の違いを超えて、作品が愛されるのではなかろうか。また、司法改革にかかわっていただいたのも、人間を扱う司法の仕事にどこかで期待を持ち続けた結果ではないかと考えている。非行少年であっても、いつも最後まで更生を期待して、篤志面接員を続けられていたのではなかろうか。もしそうした推測が少しでも当たっているとしたら、毛利さんの期待や思いは、司法にたずさわる者が是非応えなければならないと思うのである。でも、毛利さんが司法に関与した原点ともいえる少年事件について、最近の動きを毛利さんはどうみておられたのであろうか。いろいろ推測するところはあるが、亡くなってしまわれたのであれこれいうことは差し控えたいと思う。しかし、遺言となったと思われる「「家栽の人」から君への遺言 佐世保高一同級生殺害事件と少年法」(講談社、平成27年10月)を是非読んでみたいと思っている。もし読んだ方がおられたら、感想を是非コメントしていただきたい。

 最後になってしまったけれど、毛利さん、今まで本当にありがとうございます。亡くなられたのは本当に残念で仕方がありませんが、亡くなられてからも、天国からいつまでも、司法に期待を持ち続け、見守っていただきたいと思います。心からご冥福をお祈りいたします。         合掌                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

                                                                   

                                                         


2 コメント

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毛利様の事,存じ上げませんが,実際の,民事行政裁判の傍聴の方が楽しい (秦野真弓 しんのまゆみ)
2015-12-07 20:31:34
本日,東京地裁にて
労働部→医療集中部→行政部の人証調べ,ハシゴしました
◎とりわけ,東京地裁行政部=増田稔.部総括判事下の
税務訴訟での村田一広主任裁判官→活発に補充尋問
◎村田一広裁判官様を,私,初めて傍聴したのは帯広支部
♪最高裁人事局付判事補+総務局付判事補を歴任された,村田一広様に期待したい
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Unknown (はるな)
2015-12-08 09:47:33
最近の検事、弁護士もののテレビは、娯楽一辺倒で真実味がまるでない。とくに裁判官はただのお飾り。
実際の法廷で胸のすく様な弁護士、検事のバトルなどなく裁判官の顔色だけをうかがってる。原告、被告の主張に耳を傾ける、そんな裁判官が増えることを願う。
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