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「認知症をめぐって」(その1)

2014年06月16日 | ムサシ

1 このところ,老人や認知症をめぐっていくつかのマスコミ報道がなされ,多少驚く内容でもあったので,少し考えてみることにした。
2 まず平成26年4月24日に言い渡された名古屋高裁の判決についてである。事案の概要は,概ね次のようである。
 平成19年12月に愛知県大府市の認知症(要介護4)の当時91歳の男性(Aさん)が家を抜け出して徘徊中,あるJRの,駅の構内で列車に跳ねられて死亡したが,列車の運行が遅れたとして,JR東海が遺族に損害賠償を請求した事件である。
 Aさんは自分の名前も年齢も,また自宅の場所も認識できない程度に認知症が進行していた。長男夫婦は横浜に住んでおり,週末に帰省して父の面倒を見ていたが,ある時から長男の妻が1人で大府市に転居し,同居はしていなかったようであるが,老義母と2人でAさんの世話をしていた。自宅周辺にはセンサーを設置したり,本人が外出すればチャイムが鳴るようにしていた。ところが長男の妻がトイレの掃除中で,老妻はウトウトしていた一瞬の隙に,Aさんは外出してしまった。チャイムの音が大きくてAさんが怖がるのでたまたまスイッチは切られていた。その後Aさんは,JRの駅のホームで列車に跳ねられて死亡し,列車の運行は混乱した。
3 平成25年8月に言い渡された名古屋地裁の一審判決は,「ホームヘルパーを頼むなどの具体的な対策をとることも考えられた」ことや,老妻はまどろんで,「Aさんから目を離していたのであるから,注意義務を怠った過失がある」として,JR東海の請求を全て認めて,事故当時85歳(判決当時90歳)であった老妻と,長男に対し,総額720万円の支払いを命じた。
4 控訴審である名古屋高裁は,一審判決を変更して,妻に対してのみ約360万円の支払いを命じ,長男に対する請求は棄却した。判決は,「重度の認知症だった男性の配偶者として,妻に民法上の監督義務がある」と認定し,センサーの電源を切っていたことから,「徘徊の可能性がある男性への監督が十分ではなかった」と認定したものである。
5 判決文や事件の内容を詳細に検討したわけではないので,単なる感想でしかないが,この判決は老妻に対してかなり厳しい判決だと感じられる。センサーの電源を切っていたことを咎めるのであれば,センサーを設置していない場合には,それだけで責任を問われることになる理屈である。判決は老妻に一体何をなすべきと要求するのであろうか。「監督は完璧でなければならない」というのであろうか。しかも老妻も「要介護1」と認定されていたというのである。金額も360万円で高額である。
6 遺族の責任追及が不可能であるかどうかについては,私は判断できる立場にないが,この件で判決の結果を支持することになると,家を抜け出した認知症老人が外出先で何か事件を起こして,他人に損害を与えると,甚だ多くの場合に遺族が損害賠償責任を追及されることになりそうである。判決は一体痴呆老人に対して家族はどの程度の監督をなすべきと要求するのであろうか。一切監視の目を離れる状態にしてはならないとでもいうのであろうか。そんなことは事実上不可能であろう。またホームヘルパーを頼むだけの経済的余力がある人が一体どの程度存在するというのであろうか。この判決では,「うたた寝をするのであれば,チャイムの電源を入れてからにしなさい」ということになる。(ムサシ)