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1 この一年間,比較的熱心に「龍馬伝」を見た。日曜日に見ることができる時はテレビで直接見たが,用事などで見ることができない時はDVDにタイマー録画しておいた。そして次の土曜日の再放送までに見ておいて,録画を残しておきたい内容のものだけを選んで,土曜日の再放送を利用して編集録画用DVDにLP録画し直した。今後も時折り見直すことになるだろう。これは名案であった。

2 坂本龍馬については,大学生のころ司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んだ。感動して読み返したり,そのテレビ放送を見たり,他にも何冊か龍馬の本を購入したりしたので,結構龍馬の「通」だと思っていた。

3 ところが今回の「龍馬伝」では,私の知らない事実が沢山描かれており,とても参考になり,面白かった。また迫力もあり,感動する場面も多かった。坂本龍馬という一人の人間が幕末の歴史を大きく動かしたことを見事に描いていたと思う。それは龍馬という個人の人間的な魅力に負うところが大きいのであろうが,それにしても歴史の中で一個人の力がそこまで大きな力を発揮できるものかと,不思議な思いが残った。

4 薩長同盟については,これまでも大体のことは知っていた。仲の悪い薩摩と長州が,特に長州が薩摩を憎んでいたため,同盟を結ぶことなど当時の状況からは到底思い及ぶべくもないことであったと思われる。しかし龍馬により,西郷も驚いた薩長同盟の提案がなされ,龍馬の人間的な魅力だけでなく,武器を必要とした長州に薩摩が軍艦と銃を提供し,米を必要とした薩摩に長州が米を供給するなど,その状況が巧みに利用されたようである。もっとも米のことは今回出てこなかったかも知れない。薩摩による軍艦と銃の購入については,幕府に対しては,長州を攻撃するためのものであると説明されたようである。それにしても,追いつめられていた長州藩主はともかくとして,よくも薩摩藩主が薩長同盟を決断したものだと思う。

5 次ぎに薩摩と土佐の盟約の成立である。このことは余り知らなかった。土佐は藩祖山内一豊が徳川家康に大恩ある形で,小藩の掛川藩から土佐に移封されたものであり(この経過は「功名が辻」(司馬遼太郎著)に詳しい。),徳川幕府に反旗を翻すなど到底あり得ないことであった。しかし龍馬は巧みに土佐藩の執政後藤象二郎を説得した。その手法は,薩摩と長州が武力で徳川幕府を倒すことを阻止するために,土佐藩が加わることで徳川幕府に大政を奉還させ,土佐が新しい日本を作る要(かなめ)となり,主導権を握ることができると説得し,後藤象二郎をその気にさせたものである。その駆け引きは,男と男の対決として見事であった。(ムサシ)

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