先住民族関連ニュース

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アイヌ遺骨返還活動知って 「考える会」代表、11日に白老で講演

2023-02-10 | アイヌ民族関連
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2023年2月9日 22:31(2月9日 22:50更新)
 【白老】アイヌ民族の詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(89)が代表を務める一般社団法人「アイヌ力(ぢから)」は11日午後1時から、町東町3の「シマフクロウの家」で講演会「アイヌ遺骨問題に取り組んで」を開く。
・・・・・・ 
(小林彩乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/799834

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台湾客誘致へ道東モニターツアー 運輸局とHAP、13日から4年ぶり実施

2023-02-10 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年2月9日 22:11
 北海道運輸局と北海道エアポート(HAP、千歳)は13日から、台湾の旅行関係者を招いた道東モニターツアーを4年ぶりに実施する。道内を訪れた台湾人観光客の8割以上が再訪するリピーターの多さに注目。十勝管内などの観光地を巡ってもらい、訪日客回復の足がかりにしたい考えだ。
 4泊5日の日程で、台湾のエバー航空と旅行会社6社を招き、ツアー商品の開発を促す。十勝管内では、音更町の十勝川温泉に宿泊するほか、新得町のサホロリゾートや鹿追町の然別湖コタンで自然観光を体験する。阿寒湖温泉(釧路市)のアイヌ文化や網走市の流氷観光なども視察する。
・・・・・・
(泉本亮太)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/799821

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アイヌ料理、現代風に工夫 札幌 シェフのアレンジ試食会

2023-02-10 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年2月9日 21:18(2月9日 21:36更新)

アイヌ民族の伝統料理を現代風にアレンジしたメニューを味わった試食会
 アイヌ民族の伝統料理をアレンジしたレシピの試食会が9日、札幌市中央区の札幌プリンスホテル国際館パミールで開かれ、市民ら約160人がホテルのシェフらが工夫を凝らしたメニューを堪能した。
 市民にアイヌ文化の魅力を広め、事業者らにアイヌ文化を取り入れた事業のヒントにしてもらう狙いで、道が主催した。試食会では、札幌在住の文化伝承者多原良子さんが監修し、同ホテルの橋本禎嗣料理長が考案したユク(鹿肉)が乗ったサヨ(かゆ)やアイヌ民族が愛飲してきたエント茶をジュレにしたデザートなどが出された。料理研究家の星沢幸子さんも会場を訪れ「新しい切り口が面白く味もおいしい」と話した。
・・・・・・
(金子文太郎)
※「ユク」の「ク」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/799759

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トンコリ7メートル 通常の5倍超 阿寒工芸協組、3月までに完成 文化拠点展示へ

2023-02-10 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年2月9日 19:24
阿寒湖温泉の木彫作家らが制作中の巨大なトンコリ
 【阿寒湖温泉】釧路市阿寒町阿寒湖温泉で、全長が通常の5倍以上に及ぶ巨大なアイヌ民族伝統弦楽器「トンコリ」の制作が進んでいる。制作者の阿寒アイヌ工芸協同組合は、観光客らにアイヌ文化への理解を深めてもらうための作品として活用する考えだ。
 通常のトンコリは全長1メートル、幅10センチ程度だが、制作している巨大トンコリは2本あり、一つは全長7メートル、幅50センチ、もう一つは全長5メートル40センチ、幅40センチ。プロジェクトリーダーの床州生さん(56)によると、「これだけ大きなトンコリが作られた前例はない」という。
 国のアイヌ政策推進交付金を活用する「アイヌ工芸技術後継者育成事業」の一環。阿寒湖周辺の森林を所有する前田一歩園財団が、森林保全で間伐したマツの大木を無償提供した。
・・・・・・
(松井崇)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/799658

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アイヌ民族の差別体験知って 外部講師招き栗山中で授業

2023-02-10 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年2月9日 18:51(2月9日 19:19更新)

差別を受けた実体験を語る原田公久枝さん(左)
 【栗山】栗山中は6日、2年生を対象に「アイヌの文化と歴史」をテーマにしたふるさと教育授業を行った。講師は、いずれも札幌市在住でフリーペーパー「ルイカ イタク」の原田公久枝(きくえ)代表、帯広カムイトウウポポ保存会所属の川上恵さん、郷土史に詳しい町内の高橋慎(まこと)さん(73)の3人が務めた。
 十勝管内芽室町出身の原田さんは、子どもの頃に運動会で履く靴を買いに行った際、店の人から「アイヌに試し履きはさせられない」と言われたという体験などを語った。「中学生には重たすぎる話かもしれないが、今もアイヌの子どもたちは重荷を背負い続けている」とし、なぜそうなるのか考えてほしいと訴えた。
・・・・・
(土屋孝浩)
◆「ルイカ イタク」の「ク」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/799638

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【2月23日】旭川でアイヌ文化を学べる人形劇が開催!参加無料!

2023-02-10 | アイヌ民族関連
asatan2023年02月09日
2023年2月23日(木・祝)に旭川市中央図書館で行われる『ほっかいどうアイヌ文化キャラバン』のご紹介です。

2023年2月23日(木・祝)に旭川市中央図書館で『ほっかいどうアイヌ文化キャラバン』が行われます。
旭川では、アイヌ文化を学べる『人形劇キャラバン』を開催。
約170年前、蝦夷地と呼ばれた今の北海道にやってきた松浦武四郎と、そこで出会ったアイヌの人たちとの交流を描いたオリジナルストーリーです。
参加無料なのでぜひ♪
店舗情報
イベント名:ほっかいどうアイヌ文化キャラバン
日時:2023年2月23日(木・祝)①11:00~11:30②14:00~14:30
場所:旭川市中央図書館(北海道旭川市常磐公園)
参加:無料
定員:30名※定員に達した場合は抽選
お申込み:https://form.run/@Hokkaido-Ainucaravan-Asahikawa2
※お申込み締切日/2月18日(土)
https://asatan.com/articles/5371

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蝦夷地を北海道と名付けた松浦武四郎~アイヌ搾取の暴虐に抵抗する

2023-02-10 | アイヌ民族関連
BUSHOO!JAPAN2023/02/09

北海道が成立してから、150年という歳月が流れました。
それを記念して2019年7月15日(北海道では6月7日)に放映されたのが、NHKドラマ『永遠のニシパ』。
この年に放映されたのは偶然ではない気がします。
というのも2019年は、アイヌ新法案が提出された年だからです。
アイヌは先住民族である――。
歴史的経緯を見てごく当たり前のこの真実、この年まで法で定められてはおりませんでした。
それどころか同法案を【日本人の対立を招く】として、差別的にバッシングする動きもあるほど。
もしも彼が生きていれば、こんな現代を見てどう思うか。
『まったく変わっていないではないか!』
松浦武四郎――。
まだ「蝦夷地」と呼ばれた土地を探検し、「北海道」の命名者となった江戸期の人物で、明治21年(1888年)2月10日が命日。
本稿ではその生涯を振り返ってみましょう。
文化年間に生まれた松浦武四郎
江戸時代というと、こんなイメージがあるかもしれません。
幕末だ、何だとドタバタし始めたのはペリーの来航以降のことで、それまでの日本人は太平に慣れきっていた。
と、これが実はそうでもありません。
19世紀はじめ、ヨーロッパはナポレオン戦争で荒れ果て、その余波は、地球を回って日本にも到達。知識人はナポレオンの伝記を読み漁る等して、動乱を感じておりました。
こうした話は、武士階級だけではありません。
豪農でも、国際情勢や愛国心に目覚める人物がおりました。
後に西郷隆盛の命令で江戸でテロ活動をした相楽総三もその一人でしょう。
あるいは、それまで平穏に生きていたにも関わらず、情熱をたぎらせ上洛した松尾多勢子のような女性もいたほどでした。
文化15年(1818年)――。
伊勢国の徳川家領地士・松浦桂介時春の三男として生まれたその赤ん坊・武四郎も、こうした時代の申し子でした。
地士とは、苗字帯刀を許された庄屋(村の長)のことです。
彼が生まれた時代は、ナポレオン戦争終結の3年後。歴史的に見ても、ターニングポイントの時期です。
ロシアと国境を接していた蝦夷地の松前藩は、不凍港を目指すロシア南下の脅威にさらされつつありました。
松前藩が所領を幕府に召し上げられ、海防のため奥羽諸藩が蝦夷地を支配した時期もあったのです。
それが一時停止したのは、ロシアがナポレオン戦争に巻き込まれたから。
松前藩にとって一息つけた時期が終わり始めた頃に、彼は生まれたのでした。
夢は諸国放浪! 海を越えたい!
父の松浦桂介は、秀才でした。
本居宣長のもとで国学を学び、茶道を嗜む風流な人でもあったのです。
その末っ子である松浦武四郎は、父の愛を受けたやんちゃな子として育ちます。
彼は幼時に剃髪し、寺で学問を学んだこともありました。
学問のみならず、慈愛の心を学んだことが、その性格に影響を与えたことでしょう。
津藩の儒学者・平松楽斎の塾で、13歳から三年間学んだことも。
しかし、この師匠からは破門されています。理由は不明。どうにも我慢がならないと耐えきれない性格のようです。
とても塾でジンワリと学んでいられるようなタイプではない。
13歳の彼にこんな話があります。
そのとき武四郎は「文政のお蔭参り」をジッと見つめていました。いわゆる【伊勢参り】をする旅人の姿に、強い憧れを抱いていたのです。
夢は、諸国放浪だ――。
として天保4年(1833年)に家出し、一ヶ月ほどで連れ戻されています。こんな性格では、師匠も怒ったことでしょう。
松浦の夢は大きいものでした。
江戸、京都、大阪、長崎……それどころか、唐や天竺まで行きたいと手紙に書いていたほど。
外国――日本の外まで見たい!
まだ鎖国の時代に、そう夢見る少年だったのです。
そんな我が子の夢を、親も受け入れざるを得ません。
嫡男ならばまだしも、兄がいる末っ子です。そういう気楽さも、彼には幸いしたのでしょう。
17歳から21歳にかけては、仙台から鹿児島まで。旅の費用は、篆刻や四書五経、漢詩の講義で稼いでおりました。
知的かつ器用で、かつ親の仕送りをあてにしていなかったわけですね。
18歳の時は、あの天保の改革でお馴染みの水野忠邦の奥向で半年ほど奉公したことも。
21歳になると、長崎で大病に罹ってしまいます。回復後、しばらく仏僧として、看病をしてくれた周囲にお礼として仕えていたこともあります。
とはいえ、目的はそれだけとも思えません。
「大塩平八郎の乱」の影響もあり、幕府の目が厳しい中、淡々と海を越えられないかと期待し、3年間待っていたとも考えられます。
勉強をしたい。
できれば出世もしたい。
それでも、やっぱり旅をしたい!
そんな好奇心旺盛な青年であったのです。
蝦夷地への旅
そんな彼に転機が訪れたのが、天保14年(1843年)のことでした。
この3年前にはアヘン戦争が勃発。捕鯨船の出没も増え、「外国船打払令」では対応できなくなりつつあった頃です。
そしてここが重要な点です。
アメリカやイギリスよりもっと前に、日本に迫っていた外国の脅威――。
それがロシアでした。
ペリーの黒船に注目が集まるためあまり知られておりませんが、文化年間(1804-1818年)辺りから、樺太や択捉にロシア戦艦が出没する事件が相次いでいます(「文化露寇」)。
漂流民も増えています。
蝦夷地にロシアが迫っているらしい――よし、これより蝦夷地を回ってみよう。
そして、そのことをいつかこの国のために役立てようではないか。
松浦はそう考えると実家に戻って、現地への上陸を決意。弘化2年(1845年)に津軽から、松前藩領・江差に渡ったのでした。
ここで、考えておきたいことがあります。
ゴローニンらが漂着し、幕府もロシアに対する危険を察知している。
それなのに、奥歯に物が挟まったような感覚がある。
それが幕末の北方事情です。
松浦武四郎が、その目と足、そして筆で暴くのです。
蝦夷地で出会った人々。
それはアイヌでした。
彼の渡航歴は以下のように3度あります。
1回目:1845年6月〜10月
2回目:1846年4月〜9月
3回目:1849年閏4月〜6月
松浦は蝦夷地を隅々まで歩き回り、アイヌの知恵、勇気、優しさ、助け合いの精神に感銘を受けました。
蝦夷地とは、まさしくアイヌモシリ(人間の静かなる大地)だったのです。
アイヌも、松浦を歓迎しました。
「酷いシャモ(和人のこと、地方によって呼び方は異なる)も多いもの。でも、そんなニシパ(旦那)の中で、あなたはよい人だ」
アイヌは親切にもてなし、料理をふるまい、興味深い話を聞かせてくれるのです。彼らの言葉を学びながら、松浦は『蝦夷日誌』はじめとする多くの著作に残しました。
生き生きとした筆致でアイヌの姿が記録されています。
※続きは【次のページへ】をclick!
例えばアイヌの記録とは以下のようなものがありました。
マキリ(小刀)だけでヒグマと対峙し追い払い、子グマをコタンまで連れ帰った烈婦。
親のために狩りをして、食料を求め、届ける孝子。
関羽の髭を見て憧れて伸ばし、その髭で子供を遊ばせる酋長。
松浦の知的好奇心は、そんなアイヌの話を聞いて膨らんでいきます。
賢いアイヌもいる。
素晴らしいアイヌもいる。
勇敢なアイヌもいる。
髷を結っていない。
服が左前である。
耳環をしている。
そういう服装や風習の違いだけで、野蛮だと見下すなんて、なんと愚かでくだらないことだろう。
アイヌは素晴らしい。
松浦はそんな信念を抱き、様々な列伝を記録したのです。
『ゴールデンカムイ』のアシリパは、女性でありながら狩人です。アイヌ女性は狩りをしないと思われてきました。
一方、口承文芸では、存在していました。
松浦の記録にも、狩りをするアイヌ女性が出てきます。少なく、一般的ではない、されどいなかったわけではない。
漫画『ゴールデンカムイ』アシリパのリアリティは、松浦の記録からもわかるのです。
アイヌをなぜ苦しめるのか?
松浦は、アイヌの美徳を残すだけで終わりませんでした。
アイヌが、松前藩によって、和人によって、どれほど苦しめられ、傷つけられてきたことか。
幾度も旅をすることで、陰惨な扱いを目にし、怒りを覚えるようになっていきます。
夫に対して貞節を守ろうと、奮闘するアイヌ女性の逸話も多く含まれています。
なぜ、そうなるのか?
多くの和人が、アイヌ女性の美貌に目をつけました。
少女が16にもなれば、そろそろよい年頃だと狙い始めるのです。夫を労働に連れ出し、留守を守る妻を誘う。それでも断られたら脅し、殴りつけました。
そんな脅しに対して、マキリ(短刀)で撃退した女性。その健気さ、必死の抵抗。
和人からの性的暴行により、梅毒に感染した被害者もおります。
アイヌにとっては未知の症状であるため恐れられ、隔離され、一人身を腐らせながら死んでいきました。
妻が和人の妾にさせられ、抗議を聞き入れられず、木で首を吊り、死を選んだアイヌ男性もおりました。
そうかと思えば妻を和人に略奪されることを防ぐため、敢えて障害のある妻を選ぶアイヌ男性も……。
こうした搾取の結果、人口が激減し、滅亡に瀕していったコタン(集落)もあります。
ろくな食事も与えられず、ぎりぎりの給与を与えられ酷使され、どうせ頭が悪いからわからないだろうと、騙し続けられるアイヌの人々。
日本に奴隷制度はなかったと言えるのか?
アイヌ女性のこうした境遇は、アメリカの歴史をも思い出させるものです。
聡明で観察眼を持つ松浦は、これは和人の残酷さと無知だけの問題ではないと見抜きました。
背景にあるのは、松前藩というシステム。
「場所請負制」という藩が富を吸い上げる仕組みが、暴虐につながっていたのです。
実は、藩そのものが、アイヌからの搾取を前提として成立していました。
しかも、ロシアに対抗するため、その状況は時代が進んで改善どころか悪化するばかり。
アイヌを救うためには、何をすればよいのか?
松浦は考え抜きます。
黒船来航、変わりゆく幕末の中で
三度目の蝦夷地探検を終えたあと、松浦はその成果『蝦夷日誌』を水戸藩主・徳川斉昭に献上しました。
水戸藩といえば、幕末の尊王攘夷運動の先駆けとなった藩。
黒船来航以来、日本は国防問題への関心を高めていました。
プチャーチンも来日する中で、蝦夷地探検を進めてきた松浦は、注目を集め始めます。
幕府も無策ではありません。
「御雇」として松浦を蝦夷地探検させようとし、これに待ったをかけたのが、松前藩です。
「場所請負制」によるアイヌへの暴虐を暴かれたため、松浦に対して敵意を抱いておりました。
この松前藩の妨害も、意味をなさなくなってゆきます。
安政2年(1855年)、幕府は「日米和親条約」による開港に備え、函館を幕府直轄領にします。
そして松浦は、箱館奉行所支配組・向山源太夫の推挙もあって、登用されたのです。
前述したようなアイヌの苦境をまとめた松浦は、幕府が松前藩から彼らを救うのではないかと期待を寄せていました。
しかし、そうはならず病気を理由に、江戸に戻ってしまうのです。
松浦には、失望感がありました。
悪逆な松前藩とは異なり、幕府はアイヌに仁政を施すのではないか?という期待は裏切られたのです。
さらに【安政の大獄】が起きます。
頼三樹三郎はじめ、友人知人が処刑されたことで、彼は幕府にも失望しました。
このころから、松浦は出版に精力を注ぎます。
学術的な書物だけではなく、紀行文、漫画(イラスト入りの本)、双六といったカジュアルなもので、蝦夷地を知ってもらおうとしたのでした。
江戸と大阪でヒットし、懐も潤った松浦。
しかし、金儲けや名声だけが目当てだったとも思えません。
庶民にまで、アイヌの知識が広まりますように。そのためには、金が必要になる。
そんな彼の考え方が窺えます。
新たな世でも、アイヌは救われないのか?
松浦を捉える上で難しいところ。
それは「どの勢力に与していたのか」把握しにくい点です。
頼三樹三郎と懇意にしていたこともあり、水戸藩とつながりがあります。こうした経歴を大々的に解釈されることが、戦前は目立ったものです。
「尊王攘夷の志士」という紹介も、よくなされています。
それならば、幕府に登用されて喜ぶのだろうか。
箱館奉行所支配組・向山源太夫とも、彼は懇意にしていました。
さらに複雑なのは、明治政府からの招聘に応じて出仕し、しかもすぐに職を辞しているところです。
結局、松浦は何なのか?
どういう考え方なのか?
慶応4年(1868年)、幕府から明治政府へと変わる中、松浦はその知識と経験を大久保利通に見出されました。
北海道」と名付ける
箱館戦争が終結すると「蝦夷開拓御用掛」、開拓使の「開拓大主展(だいさかん)」、「開拓判官」と、松浦は新政府の役職を歴任しました。
蝦夷地という名称は、変えなくてはならない。
これこそが急務でした。
明治時代初期は、古代律令制の名称をふまえたものでした。そこで「五畿七道」から「道」を採用し、国郡とすべしというところまで決めたわけです。
地名制定は、松浦以上の適任者はいません。
・日高見道
・北加伊道
・海北道
・海島道
・東北道
・千島道
彼の提出した六案のうち「北加伊道」から「ほっかいどう」という読みを、「海北道」から表記を取り入れ、「北海道」が誕生したのです。
その他にも、松浦が提案した多くの地名が、取り入れられました。
彼が蝦夷地を探検し、アイヌの地名を記録したものがかくして残されたのです。
北海道のあちこちに、アイヌ由来の地名が残っていること。これは、アイヌの命名と、松浦武四郎の探検と記録ゆえなのです。
アイヌと和人――。
二つの民族あっての北海道なのです。
松浦の目指した北海道は
こうした活躍から、金百円と従五位の官位を得た松浦。
しかし開拓使では、藩閥争いが発生していました。
長州系の兵部省と佐賀系の北海道開拓使の対立は、深刻なものでした。
対立構造は、こうなります。
【開拓判官】
松浦武四郎
島義勇※「北海道開拓の父」とされ、札幌都市開発に関わった、佐賀藩出身
vs
【開拓長官】
東久世通禧※「七卿落ち」で長州に逃れた公卿の一人
これは、あまりに酷い人選であったと思わざるを得ません。
幕末明治初期にかけて、勝者となった長州藩の背後には、攘夷思想に凝り固まった公卿たちがおりました。
彼らは京都を出ることもなく、国際情勢を学ぶこともありません。
「獣のような穢らわしい夷人が、この神の国に上陸するとは! あきまへん」
「ところで、キリシタンバテレンゆう国はどこにありますのえ?」
そんな感情論と優越感だけで、無謀な攘夷の後押しをしていたのです。
こうした公卿は、岩倉具視のような稀有な例外を除けば、実務能力など皆無。
よりにもよって、そんな公卿を北海道開拓を任せるとは最悪です。松浦と理解し合えたはずもない。
戊辰戦争には、差別感情がつきまといました。
大和朝廷以来、東北には野蛮な蝦夷がいるのだから、それを倒すという感覚がそこにはあったのです。
自分たちこそ大和朝廷以来の洗練された日本人だと思う、その頂点に位置する公卿。
彼らにアイヌの権利を説いたところで、蝦夷と一蹴されてもおかしくはありません。
北海道開拓は、こうした政治的な権力争いの中、混沌の中で始まりました。
開拓のため、真っ先に送り込まれたのが戊辰戦争で敗北した東北諸藩の武士たちです。
彼らに、食料や寒冷地対策を教えたのは、開拓使ではなくアイヌです。
その親切心と知恵を知ればこそ、松浦の焦燥感は増すばかり。
アイヌを苦しめ抜いた松前藩は、幕末の混乱の最中、大打撃を受けながらも一応官軍側についたと言えます。
そのため、転封とならなかったのです。
「場所請負制」も、廃止となりません。松前藩は、打撃を受けた際にアイヌの搾取で立て直すことが、身についていました。
松浦の苦悩は、いかばかりであったか――。
早くも明治2年(1870年)には、官位を返上し、辞表を提出してしまうのです。
彼が明治維新に期待を寄せたのは、「安政の大獄」だけが原因ではありません。
松前藩を放置し、結果、アイヌを苦しめている幕藩体制。その打破を願ったからこそでした。
しかし、その松前藩は官軍側についた。そのために、新政府は処罰するどころか、残してしまう。アイヌを救うために、力と正義に期待する。
それを繰り返して、松浦はことごとく裏切られました。
幕府に期待しても、幕末の混乱のさなかにどうにもならない。新政府も、結局は駄目だった。アイヌをどうあがいても救えない。
松浦は疲れ果ててしまいました。
退官後、新政府から功績に対し「終身十五人扶持」を受けます。
松浦は北海道を後にします。
そして、二度とそこに戻ることは、ありませんでした。
「一畳敷」に座る探検家
退官後も、松浦は探検家として身についた生き方を捨てませんでした。
しかし、その旅路はまるで精神世界へ向かうようなもの。熊野、奈良の霊場、菅原道真関連の史跡巡りを繰り返したのです。
そんななか「好古家」(骨董マニア)としても知られるようになっていきます。
学究心の塊であった松浦は、
・勾玉
・青銅鏡
・石器
・古書物
等々、ありとあらゆる骨董品を集めたのです。
そのマニアぶりは「乞食松浦」というあだ名までつけられたほど。晩年の旅は、こうしたコレクション収集の一環でもありました。
そんな彼の究極の部屋が、東京神田の自宅に建てた「一畳敷」です。
友人から提供された寺社仏閣由来の古材で建てられた、まさに集大成とも言える場所。
大正期の随筆家・内田露庵をして「好事の絶頂」とされた、究極のコレクションルームでした。
古希を迎え、死を悟った松浦。
生涯を歩き尽くしてきた彼にとって、最期の旅の場所のようなものです。
肉体は歩けなくとも、魂はこの小さな場所で、飛び回っていたのでしょう。
明治21年(1888年)、松浦は享年71という生涯を終えました。
生前の松浦は「一畳敷」を破壊し、その木材で遺体を焼き、遺骨ともに大台ケ原山に埋めるように言い残していました。
しかし、それは実現していません。
彼の書斎「一畳敷」は何度かの移転を経て保存されています。
関東大震災、東京大空襲から逃れ、今も国際基督教大学敷地内に「高風居」として残されているのです。
松浦の生涯を振り返る理由とは
蝦夷地を歩き抜いた松浦は、北海道から身を置きました。
その背後には、失望感と苦しみもあったことでしょう。
松浦が職を辞した後、明治政府首脳部は「岩倉使節団」をアメリカに派遣します。
そこで彼らが目にしたのは、日本人によく似たネイティブ・アメリカンが迫害される姿でした。
はじめこそ憤っていたものの、こうした西洋諸国の姿から、明治日本は学んでしまったのです。
偽科学に基づく「合理的な人種差別」という概念を。文明国である欧米もそうなのだから、そういうものなのだと。
こうしてアイヌは、政府により人間動物園で展示されました。
アイヌの墓から骨が盗掘され、「学問のための資料」として研究されてしまいました。
その蹂躙はまだ決着がついていません。
屯田兵はじめ、多くの和人がアイヌの知恵で救われたにも関わらず、そうした歴史は消されてゆきます。
一方的に和人が恩義を施してやったと、歴史修正がなされてゆくのです。
このやり口も、欧米諸国から学んだものでした。
その一方で、アイヌは「日本人だから」という理由で、戦場に送り込まれていく。
功績をあげても一時的に褒められるだけで、その待遇には露骨な差別がある。
この北海道の歴史を、アイヌの苦難を、松浦武四郎が目にしていたら?
彼はどう思うのでしょう。
松浦の苦悩に似た苦い味を、アイヌとその差別解消に尽力する側はまだまだ噛み締めねばなりません。
太平洋戦争後――GHQの支配下のもと、アイヌは権利向上に期待を寄せます。
しかし、そうはなりませんでした。
珍しい踊りや儀式を見せる観光資源としてのみ、期待される。その一方で、差別をされたのです。
一体いつになれば、アイヌは正義ある扱いを受けられるのか?
もしも松浦武四郎が生きていたら、激怒する歴史が、まだ刻まれているのです。
そうした歴史を経て、2019年に彼の生涯がドラマになること。これは画期的な一歩ではあります。
金田一京助ではなく、なぜ松浦武四郎なのか。
明治以降のアイヌ研究者は、研究材料として彼らを扱い、許可なしに文物を収集することも珍しくありません。
金田一の収集や研究も適切であったか?
そこはアイヌの見解をふまえねばならないでしょう。
そこをふまえますと、適任者は松浦武四郎なのです。
彼は、和人とは思えぬほど親切なニシパであると、評価されていました。
これは彼だけの証言とは思えない部分があります。
著作や証言をみてゆくと、松浦は無私無欲、知的好奇心に突き動かされ、アイヌの保護と研究に生きていたことがわかります。金銭は、あくまで探求費用でしかありません。
家を残すことも二の次と考えていた節があります。
40を過ぎてから女性側のアプローチで、やっと結婚したほどでした。
彼は己の探究心と、その果てみ見出したアイヌのことを考え抜き、生きた人物でした。
そういう彼は世間から見れば異色で、理解しがたいものがあったのかもしれない。
攘夷志士であることを強調した戦前の伝記は、迷いながらキャラクター付けをしたあとすら感じるほどです。
松浦武四郎という人物は、江戸から明治においても、戦前ですら、理解しにくい先進性のある人物であったのではないでしょうか。
ヒューマニスト、人間とは何であるかをひたすら追い求めた。そんな人物だと感じます。
彼以上に、北海道の誕生にふさわしい人物はいないでしょう。
それは、彼が北海道の名付け親という名誉を担っているからだけではありません。
松浦は、あまりに先進的でした。
人は人らしくあるべきだ。
人種による差別ほど愚かしいものはない。
そう理解していたからこそ、アイヌのことを考えてきました。
人間は、人間だ。
そう人類が学び、到達できたのは、松浦が世を去ったずっとあとのことです。
松浦は、その先進性ゆえに苦労を重ねました。
しかし、だからこそ、現在でも錆びつくことのない、そんな人物なのです。
松浦武四郎と『ゴールデンカムイ』杉元佐一の比較
ここから先は、蛇足かつ彼自身の人生とは離れるものです。
松浦武四郎は、北海道の歴史を扱う漫画および『ゴールデンカムイ』主人公・杉元佐一との共通点もある人物ではないでしょうか。
作者の野田先生がそこをふまえているのかどうかは、わかりません。
ただ、そうであっては不思議でない要素があります。
・家の束縛を受けない立場ではぐれもの
→松浦は嫡男ではなく浪人の期間が長い。杉元は家そのものを失い、かつ除隊済み。
・激烈な怒りの持ち主
→両者ともに、特にアイヌに対する迫害には激怒を見せます。
・名誉欲が薄い
→官位返上した松浦。軍人としての功績や勲章に未練を見せない杉元。
・金銭欲も薄い
→実際にそんな記録の残る松浦。アイヌの金塊を必要以上には望まない杉元。
・頑健でサバイバルスキルに長けている
→幾度にも渡る探検をこなした松浦。満身創痍でも死なない杉元。生まれついて頑健なだけではなく、サバイバルスキルを身につけていきます。
・アイヌへの敬意
→著作の数々でそれを残した松浦。アシリパを「知恵を持つ戦士」として敬意を示す杉元。
・恋愛感情が薄い
→40過ぎるまで妻帯を考えたことすらなかった松浦。アシリパ側からの好意はうっすらと描かれていますが、実は杉元側からの描写は一切ありません。
・合理的で柔軟性がある
→松浦の生き方からは、「二君に仕えず」という理論が感じられません。尊王攘夷の志士という捉え方もありますが、そう単純なわけではない。幕府側の箱館奉行とも懇意であり、維新後も幕臣である勝海舟と親しく交流しています。
松前藩とは次第に対立を深めてゆきますが、はじめのうちは交流があったわけです。
そういう彼の言動を見ていると、あまりに態度を変えすぎているように思えなくもありません。
ただ、これも彼にすれば当然のこと。
目的達成のためならば、手を組む相手を変えることは何の不思議もありません。
これは、杉元にも同じことが言えます。
もしも裏切っていると察知すれば、仲間だろうと倒すと笑顔で言い切ります。その反面、あれほど死闘を繰り広げてきた第七師団と手を組むのです。
目的のためならば、仲間を選ばない。
そんな合理性が両者ともにあります。
・アイヌよ、そのまま生きてくれ!
→松浦は、儒教的な倫理に従って導けば同じ人間であると著書に書いてはいます。
ただ、本気でそう思っているとは考えにくい。そんな要素があります。
アイヌがありのままに生きることこそ最善の道だと信じている。そんな考え方が伝わってくるのです。
杉元も、アシリパに和人として生きろとは言いません。
ウイルクがアシリパを戦士にしたいと知った時は、あのまま生きていって欲しいと自分の願いをぶつけています。
両者ともに、あれほどの苦労をいとわないにも関わらず、その願望はシンプルなことなのです。
こうした要素はかなり重要です。
こういう要素があればこそ、アイヌを差別せずに、描くことができる。そんな配慮を感じます。
杉元とその一行は、作中でもアイヌに差別意識がないように描かれています。
・杉元および彼の一行は、アイヌ女性を性的に搾取しない
→谷垣の場合、彼もインカラマッとの恋愛関係は相互の許可と意志を確認した相思相愛である。
アイヌ女性の性的虐待をふまえると、これは重要な点。
アイヌ女性の授乳をいやらしい目で見ていた白石ィ! おいちょっとお前、杉元に殴られて来い。
・杉元および彼の一行は、アイヌを金銭的に搾取しない
→鯉登は、樺太アイヌであるエノノカが提示した犬橇の経費をそのまま支払っています。
それどころか、交渉のあとは握手までして、対等の契約であるように思えます。
かなりの高額。アイヌを搾取した和人が多い中で、これは重要です。
・杉元および彼の一行は、アイヌと同じ環境で行動している
→食卓や寝台を、人種によって分けることはありません。
実は、彼らは差別からほど遠い行動をとっているのです。
白石が差別発言をした際には、杉元がきっちりと制裁をしております。
松浦は、自分の著作が漫画(イラスト入りの本)や双六に利用され、庶民の間に広まってゆくことを歓迎していました。
漫画やアニメを通して、アイヌの知識が広まる『ゴールデンカムイ』は、現代版松浦武四郎の作品とも言えるのではないでしょうか。
「金塊争奪戦だ!」
それが表向きのアピールでありながらも、主役である杉元はそこまで金塊に執着していない。
むしろ彼は、アイヌであるアシリパがそのまま生きてゆくこと。
そこに、全力を注いでいるのです。
杉元佐一は、現代の目線から見ても差別意識がない、先進的なヒューマニストです。
その勇気のみならず、差別と無縁の言動が、大きな魅力と言えます。
そしてここで忘れてはならないのが、明治生まれの杉元佐一の以前に、文化生まれの松浦武四郎が実在したということです。
彼はまさしく、そういった意味で素晴らしい人物です。
松浦武四郎の思いを忘れるな
なぜ、杉元は松浦武四郎に近いのか。
そういう振る舞いを見せてこそ、2010年代という時代において、ふさわしいヒーローであるからではないでしょうか。
松浦武四郎にせよ、杉元佐一にせよ。
こういう極めて差別から程遠い和人がいたからと、そこで安心して救われてはなりません。
「白人救世主」という概念があります。
人種差別を行う人物が多い舞台の中で、差別される側に理解を示すマジョリティを描くこと。
『ドライビングMissデイジー』
『ジャンゴ』
『ヘルプ』
『グリーンブック』
といった名作とされる映画でも、このことは指摘されています。
この概念を、噛み締めねばなりません。
よい和人もいた。
だから何なのか。
松浦に安心している場合じゃない。彼を安易な救世主にして、安心してはなりません。
できることならば、松浦武四郎ではなく、アイヌ目線でアイヌ自身を描いたドラマが見たい。
スパイク・リー作品のような、痛みを感じるほど厳しいアイヌ差別と戦う映画が見たい。
こうした流れを踏まえ、そう言いたくなる。
ただ、残念なことに、日本はそこまでの段階に達していない。
だからといって諦めてはいけません。
『永遠のニシパ』には、エカシ役に宇梶剛士さんがキャスティングされました。アイヌに、アイヌが配役されること。これは画期的な一歩です。
まだここまで――と、そう思うのか。
ようやくここまで来られたか。ここから進むぞ――と、前向きに捉えるのか
松浦武四郎の生き方を通じて、和人が暗い歴史と問題を受け止めるのであれば、それは素晴らしいことです。
アイヌの問題は、アイヌだけのものではない。
和人の、いや人間のことなのだ。
そんな松浦武四郎の思いを、忘れてはならないでしょう。
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2023/02/09/123350

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【ウラリエ&annaが行く星野リゾート旅:第4回】「界 ポロト」のとんがり屋根には極上温泉♡おこもりしたい癒し宿へ!

2023-02-10 | アイヌ民族関連
アンナ2023.02.09
annaアンバサダー&インスタグラマーのウラリエさんとannaがめぐる星野リゾート旅も第4回目。
これまでビーチにゲレンデとアウトドアを楽しんできたので、次は自分へのご褒美“癒し旅”をチョイス♡
その舞台は、星野リゾートの中でも近年大人気の温泉旅館ブランド『界』。
“王道なのに、あたらしい”をテーマに、体も心もリラックスできる湯治(とうじ)と、その土地の風土やグルメが堪能できます。
そして、今回訪れた『界 ポロト』は、ひなびた海岸沿いの町に眠るアイヌ民族の歴史、世界的にも珍しい天然温泉など、ロマンあふれる魅力がいっぱい!
1泊2日で疲労した心と体を整え、明日からもっと元気に頑張るための土台をつくる、“うるはし現代湯治”に挑戦し、全力で癒されてきました!
■1:1泊2日の湯治旅、いざ北海道へ!
関西からは『関西国際空港』、『大阪国際(伊丹)空港』、『神戸空港』から直行便でひとっとび。
雪景色の『新千歳空港』から電車で約40分で『界 ポロト』のある白老町(しらおいちょう)に到着します(冬のリゾートシーズンは、特急電車が混雑するので席の予約がベストです!)。
JR『白老駅』から徒歩約10分・タクシーで約5分ほどで、憧れの宿『界 ポロト』が見えてきました!
白樺が並ぶエントランスでまずパチリ!
『界 ポロト』はイギリスの旅行専門誌が選ぶ『2022年世界のベストホテル42』でベストデザイン賞を受賞しています。ゆったりと温泉に癒されつつ、建築やデザインを見て、映えて、楽しむこともできるんです♡
(1)星野リゾートの温泉旅館ブランド「界」
日本全国22か所※1に展開している『界』は、星野リゾートが運営する温泉旅館ブランド。※2023年2月現在
療養を目的とした温泉地に滞在する“湯治”をアレンジした“うるはし現代湯治”や、その土地ならではの伝統文化を体験する“ご当地楽”、“ご当地おこもりグッズセット”など、風土色豊かなグルメなどを通して、旅の醍醐味をギュッと詰め込んだおこもりステイが叶います。
(2)とんがり湯小屋の「界 ポロト」

画像:anna
『界』ブランドでも最北端の施設が、北海道・白老町のポロト湖畔に建つ『界 ポロト』。
ここにはかつてアイヌ民族の集落があり、歴史をつくってきた場所です。館内でもその文化や伝統に触れることができるんです。ちなみに、“ポロト”はアイヌ語で“大きな湖”という意味なんだそうですよ。
特にインパクト抜群なのが、湯小屋はアイヌ民族独自の建築である『ケトゥンニ構造』で造られた三角屋根の湯小屋! ポロト湖を背景に佇む姿は情趣にあふれ、現代に続く歴史を感じさせてくれますね♡
■2:自然の中に迷い込んだような個性派宿
館内に入り、ウラリエさんから「わあ!」と声が上がった理由は、暖かくて大きな暖炉。
『界 ポロト』では施設全体をアイヌ民族の集落に見立て、“暖炉は広場、客室はお家”ととらえているそう。窓の外には雄大な自然が広がり、くつろぎ度も満点です。
とんがり湯小屋だけでなく、館内デザインもとっても個性的。
白樺の木が並ぶ道を越え、緩いカーブを描く森の小径のような廊下を抜けて、『界 ポロト』自慢のご当地部屋“□の間(しかくのま)”に向かいます。
■3:お楽しみいっぱい♡ご当地部屋の全貌公開!
大きなテーブルは家族が集まる“炉”をイメージし、その周りにはゆったりくつろげるソファが鎮座。奥に見えるベッドもふかふかです♡
『界 ポロト』の客室は、全室レイクビューが自慢。しかも今回お泊りする特別室には、専用テラス付き♡
時間帯によって表情を変えるポロト湖と湯小屋の絶景を前に、ウラリエさんもすでに夢中な様子。
天然温泉のプライベート露天風呂も特別室のおすすめポイント! ほかの客室にも温泉の展望風呂はありますが、露天風呂を独り占めできるのは特別室ならではの贅沢です。
(1)アイヌ文化の伝統デザインを発見
さりげなく部屋を彩る素敵なデザインには、アイヌ文化が隠れています。ウラリエさんも注目の壁掛けアートは、実はアイヌの民族衣装にも使われていた繊維なんだそう。
クッションの模様や壁のデザインに使われているアイヌ文様は、もともと“魔除け”の意味があるのだとか。客室だけでなく館内のあちこちにアイヌ文様を発見できるので、ぜひ探してみてくださいね♡
(2)集めたくなる!オリジナルアメニティ
チームannaが注目したのは、キュートな風呂敷に包まれたアメニティ。歯ブラシやヘアブラシ、コットン、綿棒、髪ゴムがセットになっています。
説明書きを見ながら、風呂敷がバッグに大変身♡
お風呂に行く際には、小物入れとして大活躍してくれました!
■4:「温泉いろは」で湯治効果をアップ!
お部屋をチェックした後はさっそく大浴場へ……でもその前に、『界』ならではの“うるはし現代湯治”体験『温泉いろは』に参加してみました!
温泉に詳しい“湯守り”スタッフさんが、白老町の歴史や自然、『界 ポロト』で楽しめるモール温泉についてレクチャーしてくれます。「効果的な入浴方法を教えてもらえるのはうれしいですよね♡」とウラリエさんも楽しんでいました!
<詳細情報>
温泉いろは
開催日時:毎日16:00~
開催場所:ロビー
料金:無料
※予約不要
(1)太古の天然ボタニカル温泉!
『界 ポロト』の温泉は、世界的にも珍しい“モール温泉”。植物由来の有機成分を含み、コーヒーのような茶褐色が特徴です。皮膚の再生を促進させる“フミン酸”などの成分を含むことから、美肌の湯としても知られています。
■5:極上の瞑想空間「〇湯」でしっぽり
モール温泉について学んだ後、「あとは実践!」とばかりに向かったのは、内湯の『〇湯(まるのゆ)』です。
浴室内は、まるで洞窟のよう。ドーム型の天井に小さくぽっかりと開いた穴から太陽の光が差し込み、水面には青空が浮かびます。
落ち着いた薄暗い雰囲気、ポカポカの温泉に包まれて、気持ちは一気にリラックスモード。ウラリエさん曰く「目を閉じていると、頭の中がからっぽになりますね」とのことで、瞑想気分も味わえます!
<詳細情報>
〇湯(まるのゆ)
入浴時間:5:00~11:30、15:00~25:00
お風呂上りは、お待ちかねの夕食タイム♡ 北海道といえば……な贅沢美食づくしを満喫します。
■6:北の味覚の王様登場!毛蟹鍋で贅沢ディナー
先付けをサーブしてくれたのは熊の置物! イクラとキャビアを添えた馬鈴薯(ばれいしょ)のスープで夕食がスタートします。
次の煮物椀は、南京のすり流しに揚げ出し大根餅、蟹、花麩をのせた美しい一品。ゆずがふわりと香り、素材の甘みが複雑に絡む味わいに舌鼓♡
ウラリエさんがさっそくいただいたのは『宝楽盛り』です。アイヌ民族の丸木舟“チプ”を模した船上には、5種盛りの八寸やお造り、酢の物がズラリ。
お造りはボタンエビやニジマス、ウニといった北海道の旬の味覚がラインナップ。
ウラリエさんお気に入りの『鴨燻製とりんごの串』や『フォアグラ干し柿』など、ユニークな八寸も見逃せません!
蓋物には『キンキの酒蒸し』が登場。関西ではあまり目にすることがない魚ですが、北海道ではメジャーな深海魚なのだそう。一度焼いたキンキは香ばしく、脂のりも抜群です。
続いて『牛と季節野菜の陶板焼き』は、地元のブランド牛“白老牛”を蒸し焼きにした一品。牛肉のとろけるようなおいしさはもちろん、さすが北海道、付け合わせの野菜も絶品でした。
※食材は日によって提供内容が変わることがあります。
お鍋には大きな毛蟹、帆立、鮭、春菊。北海道のおいしさの“醍醐味”をギュッと閉じ込めた、『醍醐鍋』のお時間です♡
提供された瞬間から全員が釘付け&言葉も出ません。
目の前で注ぎ入れてくれたオレンジ色の鍋スープは、エビなどをはじめとした甲殻類の出汁や味噌などを合わせた和風ブイヤベース。こっくりとまろやかな風味に蟹の旨みがプラスされ、思わず無言で食べ続けてしまいました。
「おお!」とやっと声が出たのは、〆の雑炊を作ってもらうとき。「ごはんの器が蟹……」これは必見です。ナチュラルチーズをひと振りした雑炊は、濃厚なリゾット風。スープも一滴残らずいただけるのはうれしいですよね♡
ラストを飾ったのは、バケツに入った『牛乳のブランマンジェ』。ハスカップやラベンダーのソースをトッピングして、味変を楽しみながらペロリ。ごちそうさまでした!
<詳細情報>
【特別会席】毛蟹と帆立貝の醍醐鍋会席
提供時間:17:30~、または19:30~
※通年提供『季節の会席』からのアップグレードプランです。
※特別会席は5日前までの予約が必要。
■7:客室で楽しむ「ご当地おこもりグッズ」体験
夕食後は「ちょっと部屋でのんびりしたいな」という時間にぴったりな“ご当地おこもりグッズ”をレンタル。
『界 ポロト』で提供している『アイヌ文様の刺しゅう体験』は初心者さんでも簡単にできるそうで、annaを代表してウラリエさんが刺しゅうを初体験しました。
アースカラーの生地は、モール温泉で染め上げたもの。
好きな刺しゅう糸を使って丁寧に、かつ慎重に針を進めるウラリエさんは「集中できるのがいいですよね。なんか夢中になっちゃいます」と、ゆったりと過ごす時間を満喫していました。
1時間ほどかけて刺しゅうが完成! 体験グッズにはウッドフレームも付いているので、かわいく飾ってお土産にしちゃいましょう♡
<詳細情報>
アイヌ文様の刺しゅう体験
料金:1,500円
※事前予約不要、当日貸出数に限りあり
その後はストレッチをしたり、お部屋の露天風呂に入ったり、生姜湯を飲んでほっこりしたり、思い思いの時間を過ごしました。
明日は朝焼け露天を楽しみたいので、早々におやすみなさい……。
■8:朝一番のプライベート露天風呂でご満悦♡
早起きしたら目覚めのストレッチをして、さっそく部屋露天を堪能♡ 朝もやがかかったポロト湖の景色はまるで絵画。早朝の冷えた空気も気持ち良く、贅沢な時間になりました。
こちらが朝風呂から見える絶景です!
毎年1月下旬~3月上旬ごろは湖が凍って雪が積もり、真っ白な白銀の世界が広がるそう。ワカサギ釣りもできると聞き、ウラリエさんも興味深々です。
(1)お部屋ストレッチを実践♡
“うるはし現代湯治”では、温泉に入る前やお部屋で過ごす時間も活用することができます。ストレッチ法やリラックス法、瞑想法などをまとめた冊子がお部屋にあるので、ぜひ参考にしてみてください。
“目覚めのストレッチ”をやってみるウラリエさん。「これで今日も全力で遊べます!」とご機嫌に。
■9:とんがり湯小屋の「△湯」に潜入!
部屋付き露天風呂を出て水分補給をすませたら、次は大浴場“△湯(さんかくのゆ)”へ! 男女共有の湯上がり処ではご当地体操プログラムも体験できますよ♡
浴室に入ると、源泉かけ流しの“あつ湯”と“ぬる湯”の2つの浴槽が。さらにその奥には、△の形をした露天風呂への通り道。
昼は青空、夜は星空が楽しめる露天風呂は、何時間でも入れちゃいそうなほど気持ちいい!
女湯には目隠し用の生垣がありましたが、男湯には遮るものがなく、レイクビューなんだそうです。
<詳細情報>
△湯(さんかくのゆ)
入浴時間:5:00~11:30、15:00~25:00
※利用は宿泊者のみ
(1)体がほぐれる♡朝の「はばたき体操」
△湯の湯上がり処では、毎朝7時に『丹頂鶴のはばたき体操』を開催。
ゆっくり深呼吸をしながら、ツルのヒナの動きや成長後のはばたく様子を取り入れたオリジナル体操を行います。なかなかユニークな動きもあって、どんどん楽しくなってきますよ♡
<詳細情報>
丹頂鶴のはばたき体操
開催日時:毎日7:00~
開催場所:【5~11月】ロビー【12~4月】湯上がり処
料金:無料
※予約不要
(2)お風呂上がりのお楽しみ♡
湯上がり処にあるフリードリンクを一気飲み! お茶やジュースがそろっているので、しっかり水分補給をしておきましょう。
お風呂上がりにうれしいアイスキャンデーも発見♡
こちらもフリーで楽しめるので、湯上がり処でのんびり過ごすのも△湯の楽しみ方のひとつです。
(3)いくつ見つかる?△探し
△湯や湯上がり処は、とんがり三角屋根の湯小屋の中にあります。三角なのは屋根だけではなく、窓や壁、天井にだって三角が!
まだまだこだわりの三角デザインが散りばめられているので、“△探し”も楽しいアクティビティ!? ウラリエさんもいろいろな三角を写真に収めて楽しんでいました。
■10:ご当地づくしの大ボリューム朝食
食事処には、レイクビュー個室やカウンター席、半個室などさまざまなスタイルのお部屋がいっぱい。この日は絶景を眺めながら朝食をいただきます♡※お席は選べません
小鉢や珍味などもあわせて、朝食は全14品。
『いくら醤油漬け』や『かすべ(エイ)の西京漬け』、『がごめ昆布入り山わさび』など、北海道ならではの味わいも魅力です。
『鮭とじゃがいものすり流し鍋』は、アイヌ民族の郷土料理を基にしたオリジナル料理。白味噌と豆乳ベースのスープにバターを加えて味変も楽しめます。「この鮭のつみれ、めちゃくちゃおいしいです!」と、味・ボリュームともに大満足の朝ごはんでした!
■11:土地ならではの伝統体験「ご当地楽」に挑戦!
朝食後は、ご当地楽『イケマと花香(かこう)の魔除けづくり』に参加しました。ロビーに時間を記した木札があるので、参加したい回の木札をゲットすれば予約完了。午前2回、午後3回から時間が選べます。
『界 ポロト』で体験できる“ご当地楽”は、アイヌ民族が魔除けとして日々身に着けていた植物『イケマ』を使ったお守りづくり。予約時間になったら、ロビーにある暖炉前に集合です!
体験セットはこちら(2人分)。まずは専用用紙を折って六角形をつくっていきます。スタッフさんが見本を使いながら丁寧に教えてくれるので、不器用な方も安心ですね。
写真(左)がツル科の植物“イケマ”です。ほかにもカレンデュラやコーンフラワー、白樺の葉を加え、紐を通して包めば完成!
「ドライフラワーが透けて、部屋に飾ってもかわいいかも♡」と、ウラリエさんもご満悦。『ご当地おこもりグッズ』も含め、自分で手作りした作品が形として思い出に残せるのは、うれしいですよね!
<詳細情報>
【ご当地楽】イケマと花香(かこう)の魔除けづくり
開催日時:毎日9:30、10:00/16:00、16:30、19:15
開催場所:ロビー
所要時間:30分
定員:1回10名まで
料金:無料
※要予約
■12:もっと知りたい!ライブラリーでのひととき
1泊2日の『界 ポロト』滞在もまもなく終わりが近づいてきました。ギリギリまで温泉を堪能した後、ウラリエさんはロビーのライブラリーでアイヌ文化を研究中。
「こんなにアイヌ文様がかわいいなんて知らなかった」と、興奮気味なウラリエさん。チェックアウト後は、ホテルに隣接するアイヌをテーマにした施設に立ち寄りました♡
温泉、歴史、グルメと、その土地にしかない魅力を『界 ポロト』での体験を通して満喫した今回の星野リゾート旅。「また来たいね!」はもちろん、「次はどこの“界”に行ってみたい?」と、“界めぐり”の旅を約束しました。
<施設詳細>
界 ポロト
住所:北海道白老郡白老町若草町1-1018-94
電話番号:050-3134-8092(界予約センター)
IN12:00/OUT15:00
料金:【季節の会席プラン】31,000円~ 【特別会席プラン】36,000円~(各2名1室利用時の1名料金、夕朝食付き、税・サービス料込)
詳細: https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/kaiporoto/
■13:宿が楽しい♡おこもりステイ
ゆっくり温泉に入ったり、初めての体験をしたりするだけではなく、旅した地域を深く知る新しい旅がしたい方には『界』がおすすめ!  「一度は泊まりたい」と言われるのも納得の、“泊まる”楽しさを存分に楽しんでみてください。
これまでの『関西から行く!星野リゾート旅シリーズ』もあわせてチェック!(取材・文/小林梢)
【ウラリエ&annaが行く星野リゾート旅】全4回
第1~2回は沖縄編はこちらから!
■1記事目:「リゾナーレ小浜島」で贅沢な離島ビーチリゾート滞在♡
■2記事目:「西表島ホテル」で未知なるジャングル&マングローブ探検へ♡
第3回は北海道編はこちらから!
■3記事目:「リゾナーレトマム」で雪と氷とグルメを満喫♡最新スノーリゾートがスゴイ!
【画像・参考】
※ウラリエ(@urarie83)
※anna
※本記事内はすべて税込価格です。
※撮影シーンのみマスクを外して撮影しております。
※各自治体が発出しているルールに従い、新型コロナウイルス感染症対策を講じたうえでお楽しみください。
※2023年2月9日(木)時点の情報です。情報が変更になる場合があります。詳細はホテルへご確認ください。
Sponsored by 星野リゾート 界 ポロト
https://anna-media.jp/archives/678548

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「韓国と日本の生徒たちが友達になったことこそ『交流20年』の最大の成果です」

2023-02-10 | アイヌ民族関連
ハンギョレ2/9(木) 7:20配信
韓日歴史教師交流会のパク・ソンギ会長
 『向き合う歴史授業』(ヒューマニスト)。
 本書は、2000年の日本による歴史教科書歪曲を契機として、翌年から交流が開始された韓国と日本の歴史教師たちが、この20年間の共同シンポジウムなどを通じた「授業実践」の内容をまとめた本だ。1988年に創立した韓国の全国歴史教師の会(以下「全歴会」)所属の韓日歴史教師交流会(パク・ソンギ会長)と、1949年に発足した日本の歴史教育者協議会(以下「歴教協」)による韓日交流委員会の共同作業である本書には、26件の歴史授業の事例が掲載されている。
 日本側の授業を見ると、自国の教科書に載っていないせいで生徒たちが学べなかった内容や、帝国主義時代の加害者である日本の姿を知る内容が多い。北海道の先住民アイヌの文化や、日清戦争で日本軍が東学農民軍を無残に虐殺した内容を扱った授業が代表的な例だ。200年以上にわたって朝鮮が日本に大規模な通信使を派遣していたことを扱った授業では、韓日に長い友好の歴史があったことを伝えている。
 韓国側の授業も、隣国である日本に対して生徒たちがバランスの取れた思考ができるよう促す内容が多い。韓国だけでなく日本側の視点も同時に示す「独島(ドクト)授業」や、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に朝鮮に投降し、国防力強化に貢献した「降倭」沙也可こと金忠善(キム・チュンソン)を扱った授業などだ。
 2001年に韓日歴史教師交流会の初代会長を務め、2019年から再び会長となったパク・ソンギさんに、ソウルの四佳亭(サガジョン)駅近くのカフェで3日にインタビューした。
 「全歴会には2400人あまりの会員がいますが、私たちの集まりは29人程度です。歴教協の会員も約4千人いますが、韓日交流委に所属するのは約20人です」。成均館大学史学科時代、学費を稼ぐために日本で2年間アルバイトをしたおかげで日本語を覚えたというパク会長は、2002年から毎年1回開催されている「韓日歴史教育実践シンポジウム」の事前準備、引率、通訳などを担ってきた。教師になって3年目の1996年から毎年1回、在職していた高校の生徒たちと日本の高校生との交流も行ってきたので、すべて合わせると40回以上も日本の教師や生徒と交流してきたことになる。
 彼は月に一度、日本の韓日交流委の会員たちがオンラインで行う懇談会にも参加する。「日本側から、今年は関東大震災から100年だということで、韓国側にこのテーマについてどのように授業を行うのかまとめた文章を送ってほしいと要請されました。歴教協の機関誌の月刊『歴史地理教育』に関東大震災特別号を出すそうです。7月27日に朝鮮戦争休戦から70年を迎えますが、フィールドワークをするために訪韓する意向も伝えてきました」
 韓日の歴史教師たちはなぜ交流するのかと問うと、彼はこのように答えた。「相手を知るためです。そうしてはじめて理解し、共感し、協力できるんです。私が学校に通っていた頃、日本に対しては問答無用で反発する感情がありました。しかし歴史を学ぶことで、そのように感情的にアプローチしてはいけないと思うようになりました」
 彼の見るところ、この20年間の交流は「韓日両国にとって健全な市民社会の形成の礎、かつ東アジアの平和連帯に向けた小さな一歩」だった。韓日の歴史教師たちは深層討論と執筆を経て、2007年と2014年に韓日共同の歴史書『向き合う韓日史』(全3巻)も出している。パク会長は、このような努力が日本を見つめる韓国の視線に影響を及ぼしたとも言う。「歴史教育の究極の目標は『実践による現実の変化』です。私の考えでは、交流のいちばん大きな成果は、韓国と日本の生徒たちにそれぞれ日本と韓国の友達ができたことです。(交流に参加して)私に歴史を学んだ韓日の生徒はおよそ千人にはなるでしょう。彼らは(自国が)友人の国を侵略すれば怒るでしょう。私が『線』だとすれば、この生徒たちは今後『面』となって、自分のやり方で望ましい韓日関係の形成に貢献すると思います。
韓日の歴史教師たちの20年あまりの交流で 
授業実践した資料集、先日出版 
「日本を正しく知ってはじめて理解や共感も可能 
多様な資料を提示して歴史思考力を育む 
幅広い視野で韓国史を教えてほしい」 
 1996年から高校生の韓日交流も担う
 『向き合う韓日史』1巻が出てから16年になる。教育現場ではどのように活用されているのだろうか。「この本には、政治や大事件が中心の韓国の歴史教科書には記されていない人々の話が多く載っています。金忠善や日本の植民地時代に全羅道の小作争議を支援した日本人弁護士の布施辰治など、政治的事件にかかわった人たちや、その中に秘められている人々の話です。これを通じて生徒たちは、日本人の中でも日帝侵略の被害を受けたり、また反対した人も多いということを知り、そんな日本人たちと共に望ましい韓日関係を築いていかなければならないと考えるでしょう」。彼は今回出版された『向き合う歴史授業』について「日本の出版市場の状況があまり良くないため、まず韓国で出した」と語った。
 現在の韓国の歴史教育の最大の問題は何かと問うと、パク会長は「世界や東アジアなど幅広い視野で韓国史を学ぶべきなのに、不十分だと思う」と答えた。「生徒たちは高校1年生で修能(大学入試)の必須科目の韓国史を学び、2・3年生で修能の選択科目である『世界史』と『東アジア史』を学びます。生徒たちは、覚えることが多いからといってあまり選択しません。だから韓国史が事実上、高校最後の歴史の授業となるわけです。わが校もこれまで10年近く開設してきた東アジア史科目を、今年は選択する学生が減ってしまったため廃止しました。とても残念です」。彼は、未来世代はよりいっそう国外進出が活発になると述べつつ、「自分たちが今後活動する世界の地域との関係で生徒たちが韓国史を理解できる歴史教育になってほしい」と語った。
 歴教協の会員の魚山秀介さんは本書に「知識注入学習の代表例と言われてきた(日本の)歴史授業は、特に高校課程に『歴史総合』『日本史探求』『世界史探求』などが新設されたため、探求学習がよりいっそう求められている」と記している。これについてパク会長は「日本が新たに高校の必須科目に指定した『歴史総合』は世界史と日本史を合わせた科目で、日本が見える世界史を教えようとの趣旨」だと説明した。「『歴史総合』の教材を見ると、日本優越主義や日本右翼の政治的認識は相変わらずですが、探求の質問は増えています」
 パク会長は、韓日の歴史教師の集まりを始めたのには、従来の詰め込み式の歴史教育を避けようという意図もあると述べる。「私たちの教育目標の一つは歴史的思考力を養うことです。そのためには日本側の資料や視点など、さまざまな歴史的事実を生徒たちに提供しなければなりません」
 インタビューの最後に、今後の韓日関係の見通しについて尋ねた。「大きな希望はありません。今の政治的関係が今後も続くように思います。であったとしても、歴史教師としてできることに最善を尽くさなければなりません。私は、韓日の市民社会の連帯はより厚くなると思います」
カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://news.yahoo.co.jp/articles/85aa56d3a4cce323a2f4ca9aa71df84382a820bc

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おかだ 直樹 ブログ【衆参両院フル稼働!予算委に続き内閣委も「店開き」】2月8日、今国会で初めて衆議院内閣委員会が...

2023-02-10 | アイヌ民族関連
選挙ドットコム2023/2/9
【衆参両院フル稼働!予算委に続き内閣委も「店開き」】
2月8日、今国会で初めて衆議院内閣委員会が開かれ、内閣府特命担当大臣(規制改革・クールジャパン戦略・アイヌ施設)、国際博覧会担当大臣、行政改革担当大臣として「所信」を述べました。
こうした委員会のオープンを国会用語で「店開き」と呼びます。内閣委なら官房長官はじめ内閣官房・内閣府の各大臣が、みずからの政策や方針を記した「所信」(信ずる所)を委員会で朗読するのです。
ちなみに、こうした大臣所信や予算案・法律案の趣旨説明のことを「お経」とか「祝詞(のりと)」などと呼び、お坊さんか神主さんになったように気持ちを込めて朗々と読み上げます。いつ出来たか知りませんが、国会用語は面白いですね。
店開きで大臣所信を聴取した委員会では、次回から所信に対する質疑が行われ、やがて法律案が提出されれば、その質疑や討論、採決と進んで行きます。
この日は、衆議院予算委員会の集中審議(テレビ中継入り)も開かれ、午前午後と地方創生、デジタル田園都市国家構想担当大臣として答弁しました。
また昼時間には参議院自民党政策審議会で大阪・関西万博の全国的なムード盛り上げに向けた協力を求めるご挨拶もするなど、国会の衆参両院と内閣府の大臣室を何往復したでしょうか。
でも、まだまだ序の口で通常国会は前途遼遠、これから更に多忙を極めて行きます。
https://go2senkyo.com/seijika/68404/posts/550509

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特別展「ラテンアメリカの民衆芸術」国立民族学博物館で、古代〜現代の作品約400点から文化の多様性に迫る

2023-02-10 | 先住民族関連
ファッションプレス2023/02/09
特別展「ラテンアメリカの民衆芸術」が、大阪の国立民族学博物館にて、2023年3月9日(木)から5月30日(火)まで開催される。
民衆芸術の多様性に迫る

モラ(飾り布) パナマ共和国 国立民族学博物館蔵
写真:六田知弘、六田春彦
「民衆芸術」とは、ラテンアメリカの民衆が手がける洗練された手工芸品を指す。造形芸術のひとつのジャンルである民衆芸術には、暮らしに役立つ生活用品から装飾品まで多様な作品が含まれ、その種類は陶器、木彫、人形、仮面、織物、刺繍、絵画、版画、雑貨など、多岐にわたっている。
特別展「ラテンアメリカの民衆芸術」は、民衆芸術が示す豊かな多様性に着目しつつ、古代から現代に至る約400点の作品を紹介。 ラテンアメリカにおける文化の混淆の歴史、芸術振興の過程、そして市民による批判精神の表現という3点に光をあて、それぞれの意味で民衆芸術が成立した歴史をひもといてゆく。
民衆芸術は、さまざまな文化からなるラテンアメリカという地域が形成される歴史のなかで生まれたものだ。先史時代に岩絵などのかたちで始まり、メソアメリカ文明やアンデス文明の成立にともなって土器や織布などの作品が作られるようになった。さらに大航海時代以降には、ヨーロッパやアフリカ、アジアから渡ってきた人びとの文化が先住民族の文化と交わることになる。今日の民衆芸術は、このように多様な文化の混淆と変容を経てかたち作られてきたものだといえる。
また、民衆芸術は、国民の芸術という意味も持っており、その背景には芸術振興政策がある。20世紀前半のメキシコとペルーでは、国民文化を高揚する手段として国内各地の手工芸品が着目され、芸術としての評価を確立することが試みられた。展覧会の開催や博物館の整備といった制度を通して民衆芸術が振興されると、そこから名品が生まれ、芸術のひとつのジャンルとして国際的に知られるようになったのだった。
さらに民衆芸術は、市民による批判精神の表現という意味を帯びるようになる。20世紀後半のラテンアメリカでは、軍事政権による人権弾圧や、債務危機による政府の機能不全などから、民主化や人権尊重などを求める社会運動が活発化した。こうした背景のもと、暴力を記憶し、権力による弾圧に抵抗するという政治的な役割を担った作品が制作されるようになった。こうした作品もまた、今日の民衆芸術において重要な側面をなしている。
このように民衆芸術は、その意味をめぐってさまざまな解釈が存在し、それがジャンルとしての多様性にも反映されている。また、民衆芸術をめぐる以上3つの意味は、それぞれ固有の歴史を有するばかりでなく、今なお現在進行形の過程のもとにある。本展では、互いに異なる歴史過程の併存から生まれる民衆芸術の多様性に光をあててゆく。
展覧会概要
特別展「ラテンアメリカの民衆芸術」
会期:2023年3月9日(木)〜5月30日(火)
会場:国立民族学博物館 特別展示館
住所:大阪府吹田市千里万博公園10-1
開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:水曜日(5月3日(水・祝)は開館)、5月8日(月)
観覧料:一般 880円(600円)、大学生 450円(250円)、高校生以下 無料
※本館展示も観覧可
※( )内は20名以上の団体、満65歳以上などの割引料金(要証明書など)
※障がい者手帳の所持者および付添者1名は観覧無料
※会期などは変更となる場合あり
【問い合わせ先】
国立民族学博物館
TEL:06-6876-2151 (代表)
https://www.fashion-press.net/news/99523

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ギャラリー:密猟者からコンゴウインコの守護者に、ホンジュラス先住民の挑戦 写真14点

2023-02-10 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2023/02/09
ラ・モスキティアの森で、松の木の巣に戻るコンゴウインコ。(PHOTOGRAPH BY ALEJANDRO CEGARRA)

ホンジュラス、ラ・モスキティアの森で、夜明けの満月を背景にして木の枝にとまるコンゴウインコ。国鳥であるにもかかわらず、コンゴウインコはホンジュラスで絶滅の危機に瀕していたが、先住民族であるミスキート族の保護活動によって数が回復した。(PHOTOGRAPH BY ALEJANDRO CEGARRA)
中米最大の森林で激減していたコンゴウインコが、先住民の保護により回復している。
文=JORGE RODRÍGUEZ/写真=ALEJANDRO CEGARRA/訳=ルーバー荒井ハンナ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/020801627/

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沖縄 基地被害 世界に発信 PFAS 環境団体が会見

2023-02-10 | ウチナー・沖縄
赤旗2023年2月9日(木)

(写真)会見する宜野湾ちゅら水会の町田共同代表(右から2人目)ら=8日、沖縄県庁
 人体への有害性が指摘される有機フッ素化合物(PFAS)による基地周辺の環境汚染問題に取り組む市民団体など沖縄県内の複数の団体が8日、県庁内で会見しました。米軍や自衛隊の基地が集中する沖縄で、県民の権利が侵害されているとして、国連機関に沖縄の声を届ける活動に取り組んでいくことを明らかにしました。
 会見したのは、米軍普天間基地(同県宜野湾市)周辺のPFAS問題に取り組む「宜野湾ちゅら水会」や沖縄国際人権法研究会など。
 国連人権理事会・先住民の権利に関する専門家メカニズム(EMRIP)が「先住民の権利に対する軍事化の影響に関する研究」を行うとして、意見や報告の提出を呼びかけたのに対し、両団体などの6団体が1月末までに応答しました。
 ちゅら水会の町田直美共同代表は、EMRIPに報告したこととして、普天間基地に隣接する小学校内の土壌調査を行い、同基地由来とみられる高濃度のPFAS汚染が確認された事実などを説明。スイスのジュネーブで7月開催予定のEMRIPの会議などに会として代表を送り、「子どもたちの健康や権利が著しく侵害されていることを訴えていきたい」と語りました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-02-09/2023020913_01_0.html

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国連、毎年2月17日を「世界観光レジリエンスの日」に採択、観光を「SDGsに貢献する横断的な産業」と位置付け

2023-02-10 | 先住民族関連
トラベルボイス2/9(木) 13:30配信
国連総会は、毎年2月17日を「Global Tourism Resilience Day (世界観光レジリエンスの日)」にする決議を採択した。各国政府、国連機関、学術・研究機関、民間セクターは、この日を覚えて、観光のレジリエンス強化に努めることを推奨している。
決議文では、観光は、経済成長、貧困の緩和、雇用の創出、適正な仕事の創出など経済的即めに加えて、環境保護、地域文化の促進、農村の開発、女性、若者、先住民などの生活の質の向上などSDGsに貢献する横断的な産業であるとの認識を示している。
また、2020年と2021年の世界の観光産業の累計損失額は3.6兆ドル(約460兆円)に及ぶなど、国連として新型コロナウイルスのパンデミックで最も大きな打撃を受けた産業であることを認めた。
そのうえで、すべて加盟国、国連関連団体、国際機関、地域組織、市民グループ、学術機関、民間企業、個人は、教育や様々な活動を通じて、持続可能な観光の重要性に対する意識を高めていくことを推奨。さらに、緊急事態に対する観光部門の脆弱性を指摘し、加盟国は、官民の協力体制やアクティビティや商品の多様性も含めて、混乱後の回復に向けた戦略を策定する必要性を唱えた。
このほか、2022年5月にニューヨークで世界観光機関(UNWTO)との協力で開催された「包括的な回復に向けた持続可能で強靭な観光」というテーマのハイレベル議論に触れたうえで、UNWTOとの連携で、国連内に観光に関する協議を定期的に実施するほか、観光に関するさらにハイレベルなテーマ別のイベント開催も奨励した。
※ドル円換算は1ドル130円でトラベルボイス編集部が算出
https://news.yahoo.co.jp/articles/d575fe85fcb4c110076b33551a08fa81e1a8feb7

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『人はなぜ物を欲しがるのか (原題)POSSESSED 私たちを支配する「所有」という概念』ブルース・フッド著(白揚社) 3300円

2023-02-10 | 先住民族関連
読売新聞2023/02/10 05:20
「所有」 人に取り憑く悪魔
評・森本あんり(神学者・東京女子大学長)

◇Bruce Hood=カナダ生まれ。英ブリストル大教授。認知発達に関する研究で数々の賞を受賞している。
 原題からして刺激的である。現代人は所有するかに見えて、実は悪魔に所有され 憑

かれている(possessed)。マルクスは商品の、ホビットは指輪の、現代人はインスタグラムの物神崇拝(フェティシズム)に取り憑かれている。だからこれは現代版「悪魔 祓
ばら
い」の書である。
 人は何ももたずにこの世に生まれ、何ももたずにこの世を去る。にもかかわらず、われわれの所有欲は 留
とど
まるところを知らない。多くもてばそれだけ幸せになれると思っている。所有するのは人間だけだ。そして、何かを欲しがることは、必要を満たすことと同じではない。所有(ownership)は、自己(own)の延長なのだ。
 導入には、中古で買った 燻製
くんせい
用グリルに人間の足が入っていた、というキッチュな事件が語られている。その 顛末
てんまつ
はともかく、「人は自己の肉体の所有者か」という問いは今も未解決だ。我が身を傷つける自殺や入れ墨は、多くの国や文化で違法だった。しかし臓器売買は、今やいくつかの国では完全に合法である。所有を「処分権」で考えているからだ。その理屈で言うと、美術品 蒐集
しゅうしゅう
家がレンブラントの絵をダーツの的にして遊んだり、タリバンがバーミヤンの大仏を爆破したりするのは合法的ということになる。はたしてそれでよいのだろうか。
 伝統的な議論では、哲学者ロックが定住と耕作に所有の起源を見たが、その同じ論理はイギリス人植民者がアメリカ先住民の土地をさん奪する際にも使われている。ただし、泥棒でも所有を続けると所有権をもつ。「権利の上に眠る者は保護しない」という英米法の決まりらしい。
 「ほかの子に人気のあるおもちゃを欲しがる子ども」に触れながら、思想家ジラールの「欲望の三角形」に何の言及もないのは残念である。結局のところ、所有とは社会的なアイデンティティの象徴でありその証明なのだ。とすれば、人が社会的動物である限り、この悪魔を祓うのは不可能なのかもしれない。小浜 杳訳。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20230207-OYT8T50007/

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