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遺体は“1000人以上” 暴行、レイプ…先住民の子どもを大規模虐待~カナダ寄宿学校の闇~

2022-07-31 | 先住民族関連
TBS7/30(土) 16:01
■異例の“懺悔の旅” ローマ教皇の謝罪

「心から深くお詫びします」極めて異例の謝罪となった。85歳という高齢のローマ教皇フランシスコが、7月25日、カナダ西部のエドモントン郊外を訪れた。カナダ国内で最大級の寄宿学校があった跡地だ。集まった先住民の人々に向けた演説で、カトリック教会運営の寄宿学校での、先住民の子どもに対する政策は「取り返しのつかない過ちだった」とした。謝罪の言葉が英語で翻訳された直後に、大きな拍手が沸き起こった。長年求め続けた教皇本人からの「直接の謝罪」を、ようやく得られた歴史的な瞬間だった。さらに教皇は「キリスト教徒による悪行について、謙虚に許しを請う」とまで語った。
だが、この謝罪を「意味がない。決して許せない」と語る人々がいる。取材した寄宿学校の元生徒たちだ。彼らが明かした虐待の実態は、「悪行」という言葉だけでは、決して言い表せないものだった。
■「誘拐」から始まった
カナダ東部オンタリオ州にある小さな町、ブラントフォードに、モホーク寄宿学校があった建物が残る。一見、瀟洒(しょうしゃ)に見えるが、ここが、先住民の子どもたちへの「虐待」の場だった。
モホーク寄宿学校は、1828年から1970年までカトリック教会によって運営されていた、カナダで最も古く、長期間にわたり開校していた学校のひとつ。20近い先住民族出身の約1万5000人の子どもが暮らしたという。
この寄宿学校の元生徒、バド・ホワイトアイさんは、学校から車で2時間半、200キロ近く離れた米国との国境近くに住んでいる。78歳という年齢とともに、膝の状態が悪く、最近歩くことも難しくなっていた。それでも、私たちの取材依頼に、学校があった「現場」での証言を承諾してくれた。
取材した日は、緯度が高いカナダでも、日差しが照りつけ、焼けつくような暑さだった。寄宿学校の建物の前に立ったバドさんに、学校に来た経緯から訊いた。
「黒い車がやってきて、私たちが歩いている長い間ずっと、ついてきたのです」
8歳のときだった。自宅と祖母の家との間の道を弟と歩いていると、突然、黒い車が近づいてきたという。車内にいた男たちから乗るよう誘われたが、何度も断った。だが「アイスクリームを買ってあげるから」と言われ、幼い二人は車に乗ったという。アイスをもらったあと、家に帰ることができると思っていた。ところが、車は家とは反対の方向に進んでいったという。途中、眠りに落ちたあと、車が大きく揺れて、目が覚めたときには、全く見たことのない場所にいた。そこが、自宅から100キロ以上離れたモホーク寄宿学校だった。
「しばらくして、私たちは、誘拐されたんだと気づいたのです」
バドさん兄弟のケースは特別ではない。モホーク寄宿学校にいた、多くの子どもたちが自宅から拉致されたと指摘されている。
カナダでは、1870年代から1990年代までに、約15万人もの先住民の子どもたちがインディアン法に基づき親元から強制的に引き離され、カトリック教会が主に運営する139校の寄宿学校に送られた。先住民を教育して、白人と「同化」させようという狙いだった。
■先住民の伝統を奪った「文化的大虐殺」
「自分の番号を今でも覚えています。53番でした。彼らは、何かをやらせたい、納屋かどこかで作業をさせたければ、番号で呼んだのです」
子どもたちは、名前ではなく「番号」で呼ばれたという。このとき、私は、過去に取材したアウシュビッツ強制収容所の元収容者の言葉を思い起こしていた。その男性は左腕の袖をまくって、肩の近くに彫られた数字を見せながら「私たちは、人間ではなく番号だったのです」と語った。無論、寄宿学校と強制収容所の役割は全く異なる。だが、人権侵害という視点からは重なり合う部分も見えてくる。バドさんも、のちに、ナチスによるユダヤ人強制収容所の実態を知り、寄宿学校と似た部分があると感じたという。
「同化政策」の名の通り、先住民固有の文化を奪うことが目的だった。子どもたちは先住民の言葉を使うことを堅く禁じられた。「私たちの言葉を奪われました。何の問題もない、完璧な言語があったのに。最も悲しいことでした」とバドさんは話す。
カナダ政府は、寄宿学校の実態を解明するために「真実と和解委員会」を設けて、生存者の聞き取りや資料の調査などを行った。その報告書(2015年)では、先住民の伝統を奪う、こうした同化政策を「cultural genocide=文化的大虐殺」と批判して、こう定義した。「集団としての存続を可能にする構造や慣習を破壊することである」。
■教職員から連日続いた「暴行」
「そこは教育の場ではなく、農作業の場所でした。そして殴られました。罰は教育のためではなく、ただ私たちを壊すことが目的でした」
勉強よりも農作業ばかりを強いられた、とバドさんは話した。
「暴行は毎日でした。生徒の集団の中から何人かを選んで連れて行き、大きなベルトで殴っていました。どこに当たるかは気にしていませんでした」
教職員らからの暴行が連日続いたという。
同じモホーク寄宿学校の元生徒、ダイアン・ヒルさん(66)にも取材できた。ダイアンさんは、元生徒のなかで最も若い世代である。
「私は58年間、このことを決して話しませんでした。私は一度も言ったことがありません、一度も」
彼女は7歳の時に、この寄宿学校に連れて来られた。膝下まであった長い髪。先住民の伝統文化で、三つ編みにするのが少女の誇りだったという。ところが、到着直後、強制的に髪を切られた。さらに裸にされ、固いタワシで身体を洗われたという。その後、ベッドで横になり、寂しくて泣いていると、部屋のドアが開いた。ダイアンさんは「誰かが慰めにきてくれたんだ」と喜んだという。だが入ってきたのは、見知らぬ職員の女性だった。このあと、何が起きたのか。58年前の記憶は鮮明だった。
「彼女は、私から布団を奪いました。突然、顔を殴られて、白い星みたいなものが見えて、鼻血が出ました。それまで殴られたことがなかったので、何が起こったのかわからなかった。大人は殴らない、という世界から私は来ました。でも殴られ、足首を掴まれ、ベッドから引きずり下ろされました。7歳の子どもだった私は、ショックで反応できませんでした」
さらに女による暴行は続いた。
「床に叩きつけられると、その瞬間から、殴る蹴るの暴行が始まりました。ベッドの下に潜り込もうとしたら、髪を掴まれ、引きずり出されて、また殴られ、叩かれ…。『泣くな、泣くな、泣くな』と言われたんです。『泣くな、絶対に泣くな 』って 。それが、ここでの最初の夜でした。翌朝に見ると、毛布やシーツが血だらけでした」
彼女は噛み締めるように語った。閉じた瞳からは涙が流れていた。
■明かされた「性的暴行」の経験
バドさんは、膝の痛みをこらえながら、一歩、また一歩と、歩みを進めて、寄宿学校があった建物に入った。階段を降り、何カ所かのドアと廊下を通って、その場所になんとか辿り着いた。今も地下1階にあるボイラー室だ。ここで、ある経験を明かした。
9歳のとき、何度か会話をしていたという教職員の男から「ボイラー室を見に行こう」と誘われた。室内に入ると、石炭で湯を沸かすというボイラーの仕組みを説明されたという。そして男は、バドさんを壁に押しつけた。
バドさんは当時と同じ場所に残る、その壁に向かって語った。
「彼は、私を壁に押し付けたんです。何か他のものを見せてくれるのだろうと、私は喜んで壁に向かいました。でも違いました。彼は私の首に指を回し始めました。そして、私のシャツを引っ張り出して、服を脱がし始めました。私は悲鳴を上げていました。私の服、靴、すべてを脱がされました。それから、私を弄んだのです。彼は私の上に覆いかぶさり、私の心は悲鳴を上げていました」
職員の男からの性的暴行だった。恐怖心が今も強く残っているとバドさんは言う。だが性的暴行は、この1回だけではなかった。
ある夜、ベッドで寝ていると、身体に重みを感じたという。そこにいたのは、面識のない職員の男だった。
「すぐには目が覚めませんでした。半分寝ているような状態でした。彼が毛布を取ると、それで目が覚めたんです。その大柄な男は、簡単に私を押さえつけました。うつ伏せにして、下着を脱がされ、何度も、何度も犯されました。私は全力で抵抗しましたが、少年にできることは限られていました」
その後も、同じことが十数回、繰り返されたという。レイプの経験については「恥ずかしさ」から誰にも報告できなかった。初めて語ることができたのは、バドさんが50歳を過ぎてからだった。弟も、性的暴行を受けたことを最近になって初めて告白したという。
世代が少し若いダイアンさんも、こう証言した。
「女の子だけでなく、男の子も多くがレイプされていました」
二人によれば、当時、校内で性的暴行を受けた少女が、校舎の壁のレンガに「Help me」と文字を掘っていたという。だが、そのSOSは外部に届かなかった。モホーク寄宿学校で性的暴行が継続的に横行していたと見られる。調査委員会の報告書によれば、他の寄宿学校でも多数の報告があるとされている。
■「飢え死にしそうだった」
食事や衛生状態も劣悪だった。ダイアンさんが、ある日の食事について語った。器に穀物が入っていた。ぐつぐつと沸騰しているように見えたという。ところが…。
「穀物は、ほとんど温かくなかったのです。なんで沸騰しているのだろうと、よくわかりませんでした。でも熱くない。実は、その中にウジ虫が入っていたんです」
女の子たちはスプーンで一度、口に入れてから、歯を使って虫を取りだして、テーブルの下に押し込んでいたという。
バドさんも常に空腹で、ゴミ捨て場に行き、ゴミのなかから焦げたサンドイッチを拾ってよく食べたという。それでも「飢え死にしそうだった」と話した。
虐待、劣悪な食事などから脱走を試みる子どももいたという。バドさん自身も一度、脱走したがすぐに捕まり、罰として何度も激しく鞭打ちされたと話した。
■消えた数千人の子どもたち…跡地で千人以上の遺体発見
「あの大きな木の向こう側に、幼い子どもが埋まっていると聞いた」
建物の裏側にある木を指さしながら、バドさんは言った。
「多くの子どもたちが消えています。死んだのか、殺されたのか、わからないのですが…あんなに酷い暴行があったのだから、死んでいてもおかしくない」
私たちがモホーク寄宿学校跡地に到着した日、10人以上の警察官らがエントランス近くで地中調査に向けた作業を進めていた。コンクリートの下に子どもが埋められているのか。地中調査に使われていたレーダーは、深さ2.5メートルの状況を把握する性能があるという。当日、作業をしていた責任者、ジェシー・スクワイアさん(26)の曾祖父母も、モホーク寄宿学校にいた。
「元生徒たちの話を聞くと、間違いなく、このあたりに遺体が埋まっているようです。不幸なことに、人道に対する罪が数多くあったのです」
子どもの遺体が埋まっている可能性のある敷地は、600エーカー、東京ドーム50個分に及ぶ。調査をすべて終えるには、今のペースでは6年から10年近く必要だという。
こうした遺体探索の作業を、ジェシーさんは「歴史をつなぎ合わせている」と表現した。元生徒のダイアンさんも遺体の発見を期待している。
「私たちの子どもたちを見つけたい。そうすれば、彼らを安らかに眠らせることができ、空へと旅を続けるのを助けることができるのです」
去年5月、カナダ西部カムループスでは、学校の跡地から子どもと見られる約200体の遺体がレーダーの地中調査で発見された。これまでに複数の寄宿学校の跡地周辺で、合わせて1000人以上の遺体が見つかっている。だが、これも一部と見られる。カナダ当局の発表によると、これまでに4000人から6000人の先住民の子どもが行方不明とされているのだ。
■教皇の謝罪…元生徒は「意味がない」
ローマ教皇の謝罪について、バドさんも、ダイアンさんも「意味がない」と突き放した。直接の詫びがあっても「決して、許すことはできない」と語った。
寄宿学校での過酷な経験は、当事者たちのその後の人生に、あまりに深い傷を残した。バドさんも、長い間、アルコール依存症に悩まされた。虐待や性的暴行の記憶を「ごまかす」ために、酒に頼っていたと話す。
「彼らは、言語、勇気、立ち上がる意志など、多くのものを私から奪ったのです。彼らは全てを奪ったのです。 銃も撃つこともなく、全てをやったのです」
言うまでもなく、カトリック教会の責任は極めて重い。だが、宗教だけの問題と捉えるべきではないだろう。なぜ長き年月にわたり、愚劣の極みとも言える性的暴行が横行し、数千人という命が奪われるまでの大規模な虐待が見逃されたのか。少数派の先住民に対する「人種差別」、子どもという「弱者の人権蹂躙」。こうした問題は、今の時代にも通底する人類の課題でもある。
また現在のカナダ政府の、「多様性こそが力」という姿勢があるが故に、寄宿学校の実態調査が進んだとも言える。当事者にとっては十分ではないが、ローマ教皇とともに、少なくとも「過去の過ち」に正面から取り組んでいる。今回のケースは、自国が抱える“歴史の闇”にどう向き合うのか、という問いを考える材料にもなるだろう。
ニューヨーク支局長 萩原 豊
※動画はこちらから。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ae9209a0d919f825867e761fb1b309cc24f5fd00

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天の川、打ち寄せる光 月刊南極支局

2022-07-31 | 先住民族関連
岩手日報2022.07.30

天の川がくっきり見える夜空に揺らめくオーロラ。南極大陸(奥)と雪上車を包み込むように広がる=4日午後8時40分、南極・東オングル島(2.5秒露光)
 【昭和基地で国際部・菊池健生】7月の昭和基地周辺は、オーロラが見える好条件に恵まれた。出現頻度が高い「オーロラ帯」にある同基地では、夜長に好天が重なり、太陽の活動もマッチ。美しい光のカーテンは、第63次南極地域観測越冬隊(沢柿教伸(たかのぶ)隊長)の隊員の心を癒やしている。
 4日午後8時40分ごろ、基地上空にオーロラが見え始めた。幾重にもなり、揺らめく。天の川を背景に、赤や緑の光が生き物のように形を変える。
 オーロラは太陽風によって運ばれた電子が大気中の酸素や窒素と衝突し、光を発する現象。先人たちも不思議な思いで見ていた。
 1912年に南極点に達しながら死亡した英国の探検家ロバート・スコットは日誌に「オーロラが人の心を強く動かすのは、むしろ何か純粋に霊的なもの、静かな自信に満ちてしかも絶えず流動するものを暗示することによって、想像力を刺激するから」と記した。中世欧州では災害の凶兆、北極の先住民族は「死の国へ案内する精霊のたいまつ」「出産時に亡くなった子どもの霊」に例えた。
 観測隊員の佐藤幸隆さん(33)=気象庁、東京都小金井市出身=は「静かに動くオーロラに圧倒された。(昔の人たちは)音もなく広がる光にある種の恐ろしさを感じたのではないか」と見上げた。
◇      ◇
 第63次南極観測越冬隊の活動は、岩手日報本紙をご覧ください。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2022/7/30/121649

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遺骨のゲノム研究、政治利用 「先住」主張し、占領の歴史正当化

2022-07-31 | 先住民族関連
毎日新聞7/30(土) 6:00配信

遺骨のゲノム研究成果を伝える論文や報道、世界の研究者による倫理ガイドライン=京都市上京区で2022年7月15日午後1時42分、千葉紀和撮影
 過去を生きた人々の遺骨に、技術革新が新たな価値をもたらしている。骨のゲノムを調べる最先端の人類学研究は、従来の考古学や歴史学に基づく定説を続々と書き換える一方、国内外で民族や先住性を巡る新たな争いも引き起こし、研究倫理や成果の悪用が問題化している。遺骨を巡る「ゲノム革命」の光と影を追う。
 ◇イスラエル首相の投稿波紋
 「イスラエルの地とパレスチナ人とのつながりは、ユダヤ人との4000年にわたるつながりに比べれば何でもない」
 混迷するパレスチナ問題を巡り、イスラエルのネタニヤフ首相(当時)が2019年7月、ツイッターに発信した内容が、世界に波紋を広げた。遺骨を用いた最新のゲノム研究がこう証明したとして、占領を正当化したのだ。
研究成果は同じ月、ドイツのマックス・プランク研究所などが科学誌に発表した。イスラエル南岸の古代都市の遺跡から出土した青銅器時代と鉄器時代の骨のゲノム解析で、論争が続いてきたペリシテ人の来歴の一端を解明したという。
 ペリシテ人とは、ユダヤ教の聖典・旧約聖書に最大の強敵として登場し、パレスチナの地名の由来でもある。論文の要点は複数あるが、保存状態の良い10体の骨から抽出したDNAを調べ、別の地域や時代のゲノムデータと比較。変異や類似性をたどった結果、「ペリシテ人の祖先は南欧から来た」という従来の仮説を科学的に裏付けたと解釈できた。右派政党を率いるネタニヤフ氏は、彼らが「新しい移民」に過ぎず、土地の先住権は自分たちにあると単純化したと言える。
 この主張には各界から異論が相次いだ。理解が短絡的な上、パレスチナの人々は長きにわたり土地に住み続け、国連決議などで定められた権利を要求している。科学の知見だけで占領が容認されるはずはない。
 だが、古代人のゲノム研究から自国や民族の歴史を都合良く解釈して政治利用する動きは、ハンガリーのオルバン首相ら、強権的とされる指導者に拡大。研究者の間に危機感が高まった。
 ◇「国際的に通じる指針」作成
 21年10月、英科学誌ネイチャーに「遺骨を用いたDNA研究の倫理」と題するガイドラインが発表された。手がけたのは、世界31カ国64人の人類学者や遺伝学者ら。国際的に通じる指針を目指し、前年からオンラインで議論してきた。
 最新のゲノム研究から、人類の過去には異なる集団同士の交雑、つまり子孫を残すことが、大規模に何度も起きたことが明らかになってきている。指針はこうした科学の蓄積が「あらゆる集団の『純粋』という神話を否定し、人種差別や民族主義的な物語の偽りを立証してきた」と強調。「遺伝データをアイデンティティー(自己同一性)の決定要因として用いるのは不適切だ」とくぎを刺した。
 その上で「人骨の損傷を最小限に抑える」「研究当初から遺骨の関係者と関わって敬意と配慮を持つ」など、研究者が守るべき5項目を挙げた。
 日本から議論に加わった札幌医科大の松村博文教授(形態人類学)は「例えば北海道で出土した人骨は、先史時代であろうとアイヌの祖先の骨であることは間違いない。だが、今の民族とその祖先をどう結びつけるかといった点はデリケートな場合もあり、研究が思わぬ影響を及ぼすこともある。だから研究者は、情報をオープンにして関係する方々に説明を繰り返し、もし理解が得られなければ退くことも大切だ」と話す。
 ◇「人種」概念の正当化も
 この指針を作る中心を担ったのは、米ハーバード大のデイビッド・ライク教授(遺伝学)のグループだ。ライク氏は古代DNA研究のパイオニアで、人類史を一新する注目度の高い論文を量産。15年には、ネイチャーから「今年の重要な科学者10人」に選ばれた。
 第一人者が、倫理面でも議論を主導するのは望ましい。ところが学界では、ライク氏自身の研究のあり方が問われてきた。潤沢な研究予算を背景に、アフリカや太平洋の島国などから人骨や遺伝データをかき集め、時には先住民族の骨を一方的に利用したとされる。その姿勢は「バイオ植民地主義」として、先進国で使われる医薬品開発のために発展途上国の生物資源を収奪するのと同様に非難を受けている。
 さらに問題なのは、科学的根拠がないとされてきた「人種」概念を正当化するような主張を続けている点だ。悪名高いナチス・ドイツの人種差別を想起させ、多数の研究者から連名で批判される事態に発展した。
 そのため「指針作りはパフォーマンスだ」という冷めた見方も根強い。デンマークのコペンハーゲン大で研究する自然人類学者の澤藤りかいさんは「世界の研究者が集まって指針を作成したことには意味があるが、一部の研究者だけで勝手に作っているとの異論も少なくない。さらなる話し合いが世界的にも局所的にも必要で、細かな指針を作るため実際に動いているメンバーもいる」と語る。
 遺骨のゲノム研究は成果の政治利用だけでなく、研究者の姿勢自体も世界では問われている。【千葉紀和】
https://news.yahoo.co.jp/articles/4377ce6d635b173c2b29b40b463a471e6c50cefa

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ゴールデンカムイ』拍手を送りたくなる死亡シーン3選…あまりにも感動的だった男たちの散り様

2022-07-31 | アイヌ民族関連
ふたまん7/30(土) 18:31配信

画像はヤングジャンプコミックス『ゴールデンカムイ』第31巻(集英社)
 野田サトル氏による漫画『ゴールデンカムイ』の最終巻となる第31巻が7月19日に発売となった。2014年からスタートし、2022年4月に『週刊ヤングジャンプ』での連載を終えた同作は、“不死身の杉元”こと元軍人の杉元佐一とアイヌの少女アシㇼパを中心とした物語。アイヌの金塊をめぐり、さまざまな人間がバトルを繰り広げる同作では、ド派手なアクションシーンが魅力のひとつで、敵味方問わず数多くのキャラクターが命を落としていった。
 ひとくちに「死」といっても、その形はさまざま。悲惨な最期を迎えた者もいれば、信念を貫き満足げに逝った者もいる。今回はその中から、思わず拍手を送りたくなるほど感動的だった死亡シーンをいくつか振り返りたいと思う。
※以下には『ゴールデンカムイ』の一部内容が含まれています。ストーリーを解説するのが本記事の主目的ではありませんが、漫画をまだご覧になっていない方、意図せぬネタバレが気になる方はご注意ください。
■最期まで自分の在り方を貫いた、稲妻強盗と蝮のお銀のあっぱれな死に様
 はじめに紹介するのは、稲妻強盗こと坂本慶一郎と、その妻である女強盗・蝮のお銀の最期。2人はお互いに凶悪であるがゆえに恋に落ち、結婚後は北海道各地で強盗を働き暴れ回るという生活を送っていた。坂本は“稲妻強盗”と呼ばれる通り非常に足が速く、1度は網走監獄に収監されたものの、自慢の足を活かして脱獄に成功する。
 夫婦仲は非常に良く、人前でも構わずキスをしたり身体を重ね始めたりと、ときに周りが引いてしまうほどだった。しかし彼らの幸せな生活は突如終わりを迎えることになる。坂本は網走で刺青を入れられた囚人のひとりだったため、鶴見中尉に罠にはめられ第七師団に襲撃されてしまうのだ。
 坂本はお銀と小樽運河で落ち合うことを約束し、第七師団の追跡をまいて逃走しようとする。その後追いかけてきた鯉登からはなんとか逃げ切るものの、機関銃を携えてきた鶴見によって蜂の巣にされてしまった。
 その光景を目の当たりにしたお銀は、“幸せなまま終わりにしたい”という想いから、夫のもとへ駆け寄り最期の口づけを交わす。そして鶴見中尉に襲いかかるものの、背後に現れた鯉登に首を落とされ絶命した。彼女は首だけになってもなお、鶴見中尉の足に噛みつくという執念を見せつけた。
 最期の最期まで力の限り走った稲妻強盗と、彼とともに幸せな終わりを迎えることを選んだ蝮のお銀。そんな2人のあっぱれな散り際には、あの鶴見中尉も「美しい死に様を見せてもらったぞ」と言葉を送っている。
■命の恩人・土方を守って散ってしまった、都丹庵士の美しい最期
 続いては盲目の盗賊・都丹庵士の死亡シーン。彼は目が見えない代わりに聴覚や嗅覚が鋭く、音の反響や匂いで敵の居場所を把握することができる。暗闇や霧の中など、常人にとって視界が効かない状況での戦闘がとりわけ得意だ。
 彼は、囚人時代の硫黄山での苦役によって視力を失ったという過去を持つ。それゆえ、囚人に苦役を強いた人間たちに復讐するために動いていた。しかし土方に命を救われた経験もあって、金塊争奪戦では土方陣営に加わることになる。
 その後も都丹は土方に2度ピンチを助けられた。つまり彼にとって、土方は自分を3度も救ってくれた命の恩人だったのだ。彼はそのことをとても有難く思っており、だからこそ土方のためならすべてを懸ける覚悟でいた。
 そんな都丹が命を落としたのは、五稜郭で繰り広げられた最終決戦でのこと。彼は激しい戦いの最中、第七師団の二階堂が土方を狙っていることに気づき、とっさにかばって銃弾を食らってしまう。その際の「どうせオマケの人生だ 少しでもあんたの寿命の足しになれば……」というセリフからは、彼の感謝と忠誠心がにじみ出ていた。
 土方を先に行かせ戦い続けた都丹は、その途中でふと音が止んだことに気づく。彼はいつの間にか戦場とはほど遠い、真っ白で静かな世界にやってきていた。視力を失って以来、暗闇と喧騒の中で生き続けてきた彼は、最期にようやく光と静寂で満ちた場所にたどりつくことができたのだった。
土方にこれまでの恩を返し、満足げに散っていった都丹。その悲しいと同時に美しくもある最期には、思わず胸がアツくなってしまった。
■最強最高の男は最期までかっこよすぎた…牛山辰馬の散り際
 最後に、“不敗の牛山”こと牛山辰馬のかっこよすぎる散り際について紹介していく。彼はその二つ名の通り、肉弾戦では敵なしの強さを誇り、ヒグマや武装した兵士を素手で撃退するという化け物じみた戦闘能力を見せつけている。
 最終決戦でも牛山の規格外っぷりは相変わらずだった。彼を含めた杉元・土方一派は、五稜郭で第七師団と激しい戦いを繰り広げるも、劣勢に立たされてしまう。そこで彼らは態勢を立て直すため、一旦戦略的撤退をすることに。逃走手段として汽車を選ぶのだが、なんと第七師団の増援列車に乗り込んでしまう。
 そこで動き出したのが牛山。彼は素手で、しかも涼しい顔で兵士たちを次々と投げ飛ばし、さすがとしか言いようがない強さで敵を圧倒する。“ちぎっては投げちぎっては投げ”という言葉がぴったりの光景に、周りは思わずドン引きだった。
 その後牛山は、第七師団屈指の実力を誇る月島軍曹とも一戦交えることに。武器で刺されようが殴られようがびくともせず、「どうだ強いだろ?」と誇らしげに言う余裕さえ見せていた。手投げ弾を使用されても素手でキャッチし投げ返しており、その化け物じみた身体能力にはもはや笑うしかない。
 そこで月島は、手投げ弾を使った自爆作戦を決行。牛山は突っ込んできた月島をいともたやすく投げ飛ばすが、その拍子に彼の手から爆弾が落ちてしまう。しかも運の悪いことに、落ちた先はアシㇼパと白石のすぐそばだった。
 牛山は迷うことなくアシㇼパたちの盾となった。衝撃が落ち着いた後アシㇼパと白石が目にしたのは、片腕を吹き飛ばされるという大怪我を負った牛山。さすがの彼も爆弾の威力には勝てなかったようで、そのまま崩れ落ちていってしまう。
 死にゆく彼の脳裏によぎるのは、かつて家永カノに投げかけられた「あなたの完璧はいつだった?」という問いかけ。彼は薄く笑みを浮かべながら「いまだよ…いま」と答えると、そのまま息を引き取った。白石の「最後まで格好良いなんてずるいだろ」というセリフの通り、牛山のかっこよすぎる生き様と死に様は、多くの読者に感動を与えたことだろう。
 激しいアクションと心揺さぶる人間ドラマが魅力の『ゴールデンカムイ』。今回紹介した以外にもさまざまなキャラクターが懸命に生き、全身全霊をかけて戦い、そのなかの一部は散っていってしまった。数多くの命のきらめきのなかで、あなたの心に残っているのは誰だろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/374162e4fbcc62b047339842068ee056cf505b57

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「人種主義の歴史」書評 本来ない差異を作り序列化する

2022-07-31 | 先住民族関連
好書好日2022/07/30 07:00

「人種主義の歴史」書評 本来ない差異を作り序列化する
(好書好日)
「人種主義の歴史」 [著]平野千果子
 「人種とは何か」と問われたら、どう答えればよいのか。人種主義(レイシズム)を批判する人にとっても、これは難問に違いない。
 本書は次のように説明する。本来、人種なるものは実在しない。自らとは異なる集団を分類し、序列化する差別的なまなざしが、人種の概念を作り出したと。この〈人類を分類し、序列化するまなざし〉が人種主義だと著者は定義する。
 実在しない人種はどのように生み出されたのか。本書はコロンブスの大陸発見にまでさかのぼり、欧米における展開を追う。
 最初の画期は、大航海時代だ。スペインが中南米を侵略し、先住民を大量に虐殺した。アフリカの黒人を使役する奴隷貿易も始まった。次なる画期は19世紀。国民国家の形成にともない、排外主義が加速した。戦争の世紀である20世紀には、人種概念に基づいてジェノサイドが起きた。現在も人種主義は根強いが、それに抗(あらが)うブラック・ライヴズ・マター運動が世界に広がっている。
 長い時間幅を扱いながら、本書全体には、三つの視点が貫かれている。一つはジェンダー。人種主義は性差別と連動した。19世紀、ロンドンで見世物(みせもの)小屋に入れられ、死後に解剖までされた黒人が女性だったことは、象徴的である。
 二つめは科学の役割だ。18世紀以降、生物学・人類学が率先して人類を分類し、人種主義を正当化した。
 三つめは、日本との関係である。明治日本でも、内国勧業博覧会の際に、アイヌ・琉球・台湾などの人びとを展示する事件が起きた。第1次大戦後のパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃を提言する一方、アジア諸国を支配し続けていた。
 問題は足下にある。日本では、人種主義を黒人差別と同義に考えがちだと著者はいう。差異がないはずの人類を分類し、序列化するのは、民族差別・部落差別も同じだ。実証研究に裏打ちされた著者の識見は、本質を理解するガイドとなる。
    ◇
ひらの・ちかこ 1958年生まれ。武蔵大教授(フランス植民地史)。著書に『フランス植民地主義と歴史認識』など。
https://news.goo.ne.jp/article/book_asahi/trend/book_asahi-14682700.html

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